こときちのつぶやき

2002年 1月〜

 

無垢 2002年3月29日

生きていれば楽しい事ばかりじゃないんだよね。

そりゃあたまには不機嫌になる時もあります。

ふくれっ面しながら子供(10ヶ月)を風呂に入れていると、ふと目が合った拍子に満面の笑みをされました。

子供は無垢です。何の邪心もありません。

愛想とか、気遣いとか、そんな物は全く感じられない笑顔。

子供って良いなぁ。何だか救われた気がします。

明日からまた頑張ろう。

 

バイクにまつわる心配 2002年3月15日

バイクで事故に遭いました。

過失がどうあれ事故は嫌な思いをするものですが、それでもひどい怪我が無かった事はとても幸運でした。

事故後バイクに乗れなくなったので奥さんに迎えに来てくれるよう電話をしましたが、

取り乱す事も無く「あ、そう。分かった。」といつもと変わらない調子。

私に余計な心配や負担を掛けないように心配を押し殺して普通に振舞ってるのかと、申し訳ない気分。

後日、私がバイクに乗ることが心配かと尋ねたら、「全然」と即答されました(笑)

今回の事故に限らず、バイクで事故を起こせば死んでもおかしくありません。

それなのに心配ではないのか?と聞くと、多分今回の事故で入院するような怪我をしても

バイクを止めろとは言わないだろうと答えました。

それは私のライディングが安全で安心しているのではなく、むしろ良く見落とすので運転は心配だと言うのです。

それでなお「バイクを止めろ」と言わないのは、私のバイクバカぶりを良く理解してくれているからみたいです。

でもそう言われると余計に身の引き締まる思いですね。

バイクでの事故や転倒は幾度とありますが、今まで死ななかった事はもちろん、入院が必要な怪我や

骨折等が1度も無かったのは奇跡的とも思えます。

奇跡はそう度々あるものではありません。

家族に迷惑を掛けない為にも運転には充分注意し、身を守る運転と装備を心がけなければいけないと痛感しました。

 

二股 2002年3月7日

 念願のSRXが手に入ってからというもの、寝ても覚めてもSRXの事で頭が一杯。

今までは時間もお金もDRに絞ってきましたが、どうしても欲しかったSRXが来てしまったから大変。

しかもSRXは手を加えたい所が沢山あって、社外パーツが沢山あるんです。

でもSRXはとうに生産中止になってるから、パーツも生産打ち切りになってるかもしれません。

大変です。早急に手に入れなければ。でもDRのパーツも欲しいし・・・

本棚にしまいこんであった古いClubmanのシングル特集号を引っ張りだしてきては、

同じページを何度も読み返したり。

タンクの錆取りの段取りをしたり、今後の整備メニューを検討したり、毎日SRXの日々です。

 しかし改めてDRの良さも実感。

DRとSRXって「シングル」という共通点があるだけで、性質も用途も全く異なります。

SRXはなんと言っても綺麗過ぎて気を使います。

外観の程度も良いから、余計に扱いには気を使います。

これじゃあもし走れるようになっても「今日は路面が濡れてるからやめよう」とか

「自転車が倒れて傷つきそうだ」なんて心配で心配で乗れません。

床の間に飾っておきたいくらいです。

対してDRはオフ車だから汚れてもへっちゃら。数ヶ月洗車しなかったこともあったっけ。

外見がくたびれていることもありますが、ちょっとやそっとコケたって車体も精神もビクともしません。

雨が降ろうが泥だらけになろうが、混雑した駐輪場だろうがどんな所でもお構いなしに使えるし、乗って楽しい。

 使い倒すDR。磨き倒すSRX。どちらも大のお気に入り。

う〜ん、どちらかを選ぶなんて出来ない!

この歳で二股をかけることになるなんて。

 

末永く 2002年2月18日

 BMWなどは長く乗り続けられるとよく言われますが、別に国産車だって乗り続けられるじゃないか。

そう思ってたんですが、細かく考えるとそうでもないような気がしてきました。

 私のDRも既に14年ほど経過しているので、当然あちこち消耗します。

でも純正部品は今でもちゃんと出るので、修理に困ることもありませんでした。

ところが先日、不調の為キャブレターを掃除しようとしたら、バルブにガタがあるのに気付きました。

DRのキャブは負圧動作のピストンバルブを持つ、良くあるCVキャブですが、

そのピストンバルブが長年上下動を繰り返したために、キャブ本体側のピストンバルブガイドが磨耗したのです。

ガタつきの影響か、ニードルにも干渉して磨耗した跡がついています。

それではガイドの部分を交換しようと思ったら、ガイドだけでは部品として出ていません。

つまりピストンバルブのガタを正常に戻そうとすると、キャブレター本体ごと交換することになってしまいます。

たった5万kmでキャブレター交換・・・

 以前ガソリンタンク部分の燃料コックからガソリンが漏れたことがありました。

おそらくコックのパッキンの一部が劣化したのでしょう。

でもコックは分解出来ない物で、アッセンブリー交換しなければなりません。

 DRはタンクの一番低い部分がキャブレターより下になるため、

吸気脈動を利用した燃料ポンプを装備しています。

この燃料ポンプ、単純な構造でダイヤフラム(ゴム幕)が2枚あるだけなんですが、

これは分解出来る構造にも関わらずダイヤフラムだけ部品として購入する事が出来ません。

 DRのリヤサスはリザーバータンクを持たないオーソドックスな物ですが、これも分解出来ない物。

壊れたり、ヘタったりしたら新品に交換する使い捨てタイプ。

 長く乗り続けようとすると、どんどん新品パーツに替わっていきます。

それがフィルターやパッドのような消耗品ならまだしも、重要な機関部分も本体ごと交換しなければなりません。

 コストダウンの為に部品を簡素化するのは仕方ないでしょう。

でも長い目で見れば劣化するのが分かりきってるパッキンやゴム部品が交換出来なかったり、

重要な機関部分が修理出来なかったりするのは、正直がっかりしました。

DRのキャブだってピストンバルブ側が擦り減る構造にするだけで、ちゃんと修理できるというのに!

国産車は初心者向けのエントリーマシンなんでしょうか。

すぐに乗り換えるから、長い間、沢山の距離を走らないから、部品の交換まで考えなくていいのでしょうか。

バカみたいに余計な所までオーバークオリティにする必要もないでしょうし、

パッキン交換の事まで考えてられないから部品ごと交換すればいいじゃないか、ってのも分からなくはないですが

何だか勿体無い話です。

私のDR、末永く愛用するならFCRとオーリンズに交換して下さいということなんでしょうか、スズキさん。

 

バイクの行く末 2002年1月25日

 世間では何かと環境問題とか安全性とか騒がれてるから、バイクはこの先どうなっちゃうのかな?

なんて、たまには考えたりもします。

これだけ技術が進歩したのにも関わらず、いまだに不安定な乗り物を楽しんでいるのも何だか笑えます。

アメリカでは2輪なのにひっくり返らない電動の乗り物(セグウェイ)なんかも出てきました。

バイクはそういう乗り物に取って代わられてしまうのでしょうか。

 安全の為?国内向けのバイクにはメーカーの自主規制でパワーを制限しているのは周知の通り。

バイクを取り巻く環境がもっと厳しくなってきたら、出力制限だけではなく速度制限まで行われるようになるかもしれません。

そもそも法規上バイクで走れる最高速度は高速道路で100km/hまで。

まぁ追い越しの場合もあるので120〜130km/hくらいでリミッターを働かせようか、なんてね。

今でも国内向けバイクでは180km/hを越えるとリミッターが働きますけど。

あんな感じで、250ccでも1400ccでも130km/hを越えるとブウゥ〜・・プスプス・・となってしまったら・・・

もしそうなったら、どうなってしまうんだろう?さぞつまらなくなってしまうだろうなぁ。

なんて考えてたら、私の場合はあまり関係無い事に気がつきました。

私のDR、高速道路でも120km/hがいいところ。気持ちが良いのは80km/hくらい。

実に合法的なバイクです(笑)

「120kmしか出ないなら、250ccでも良いじゃないか」と思うかもしれませんが、そうはいきません。

750ccシングルのトルクフルなフィーリングは、250ccでは決して味わうことの出来ないものです。

ナナハンを80kmで楽しむ。

実に贅沢なバイクです(笑)

でも実際はそんな事より「古いバイクは環境に良くないので登録出来ません」と、

そのうち言われるんじゃないか心配です。

 環境問題ついでにもう1つ。

とあるサイトで「もしバイクがモーター化されたら静か過ぎて危ない」という意見が出されました。

確かに歩行者が気付かないと危険な場合もあります。

しかしだからといって静かなメカニズムをわざとノイズでうるさくするのはナンセンスというもの。

ここは1つ携帯の着メロならぬ、モーターバイクの走メロを採用しましょう。

道行くバイクが「ピィ〜ピロ、ピロピロ」とかいいながら走っていくのです。

バイク屋さんに行って走メロをダウンロードするのです。

走メロに凝り過ぎると航続距離が短くなったりして。

走メロに合わせて、走りながらカラオケが出来てしまいます。

何だか微笑ましいです。

環境保護でDRが乗れなくなっても、これなら楽しそうです。

今から楽しみです(笑)

 

煙草のかほり 2002年1月25日

 先日、家族でとあるファミリーレストランに行った時のこと。

何気なく座った席に、何処からとも無くタバコの臭いが・・・

周りを見ると、少し離れた席で若い女性がおしゃべりしながらタバコを吸っていました。

 私はタバコを吸いません。今までも吸った事が有りません(1回くらいはあるかも?)。

そんなことを言うと「こときちはクソ真面目なんだから」と思うかもしれませんが、実は吸わない理由があるのです。

ウチの親父はヘビースモーカー。私が物心ついた頃から、既によく吸っていました。

家族で出かける時も、車のなかはタバコの煙で煙たかったりしたものです。

夏場はタバコの臭いに汗が混じって、結構不快だったりします。

何度か止めようとはしてましたが、結局今でも吸っています。

だから私は子供の頃から「タバコを吸うと大人になったらこんな風になるんだよ」という見本を見ながら育ったのです。

自分で意思が弱いのは分かりきってるので、一度吸い始めたらきっと止められないでしょう。

タバコを吸い始めるきっかけって、「カッコ良さそうだから」なんて単純な理由。

20歳の頃は何度か吸おうと思いましたが、自分が吸っている姿を想像してもカッコ良くないんですよね。

だから私は最初からタバコは吸わないことにしました。

 中年男性が止めたくてもなかなか止められないのに、若い女性の喫煙率は結構高いとか。

オジサンの中毒症状的なイメージと違って、若い女性の場合はファッションの一部のようにも見えます。

まぁ、誰であろうと禁煙箇所でない限り特に止める理由もありませんが、それが彼女(奥さん)となると話は別。

健康にも良くない事は分かりきってるし、子供を産むとなるとなおさら良いはずがありません。

キスの味がタバコの味ってのも幻滅しちゃうよなぁ。

だから以前タバコを吸い始めた彼女に「止めろ」と言ったら、「そんなのは自分の勝手だ」と拒否されました(-_-;)

そんな彼女とはサヨナラしたけど、新しい彼女もタバコを吸っていました。

今度は私の忠告通りに止めてくれたので「なんてしおらしい良い娘だろう」と結婚したけど、今では尻に敷かれっぱなし。

それはさて置き、ふと周りを見ると若い女性がよくタバコを吸っています。

彼女らはこの先もずっと吸い続けるのだろうか?

ダイエットと同時に「禁煙グッズ」も大ヒット商品になるのだろうか?

 私は吸いませんが、だから他の人も止めろとは言いません。吸っても良い環境なら迷惑だとも思いません。

ウチの親父にも止めろとは一度も言った事がありません。

それはちゃんとした大人が選んだ選択肢の一つですから。

でも吸わない人はタバコの臭いにとても敏感です。

だからタバコでバレるようなウソは決してつかない方が身のためってもんです。

 以前奥さんが私に向かって「タバコを吸って欲しかった」と言っていましたが、今ではどう思ってるんだろう?

私自身は自分の選択は間違いじゃなかったと思っています。

 

幸せ 2002年1月7日

 年明けに知人のお父さんが亡くなりました。

お焼香に訪れた沢山の人を見て、お父さんは幸せな人生だったんだろうななんて思ったり。

亡くなった方をネタにするのも無神経だなぁと思いますが、考えさせられる事もあったので

思う事を率直に書いてみたいと思います。

 ある雑誌に「バイクに乗れる事の幸せ」という記事がありました。

ハンディキャップを持つ女性がレースを通じてバイクに乗れる事の幸せを実感しているというような内容。

それは感心させられるし、共感も出来ますが、別にハンディキャップを持たない私でも

常日頃バイクに乗れる事の幸せ、有り難味は実感しています。

年を重ねる毎に周りのライダーはバイクをやめていき、今ではほとんど居ません。

所帯を持ち、子供を持つ身となれば、家族にとって何の利益も出ないのに危険なバイクは認められ難いでしょう。

家庭でも社会でもそれなりに責任を負うようになり、自ら危険を遠ざけているのかもしれません。

そんな中にあってバイクに乗ることに文句も言わず、しかもガレージまで提供してくれた奥さんには感謝しているし

そういうことが当たり前であるとは思っていません。

バイクに乗り出した頃は自由気ままで、ただバイクに乗っているだけで楽しく幸せを感じられましたが、

時間に制約が出来た今でもあの頃以上に充実した密度の濃い時間を過ごしていると思います。

 去年末のつぶやきにも書きましたが、バイクに限らず日常に紛れて忘れてしまいがちな幸せは沢山あります。

毎日繰り返し、それが当たり前のような錯覚を受けますが、何一つ当たり前な事などありません。

 お父さんのご冥福をお祈りします。

 そして今年も僕は幸せを噛み締めてバイクに跨る。

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