こときちのつぶやき

2002年 4月〜6月

子の名前を間違えるのは仕方ないことなのか 2002年6月27日

子供の頃、ウチの親はよく私の名前を間違えました。

私を呼ぶ時に、私の兄の名前を言うのです。

その度に「何で2人しか居ない兄弟の名前を間違えるんだ!?」と思ったものです。

そして今、私は2人しか居ない子供の名前を間違える。

僕はまた一歩父さんに近付けた気がするよ(泣)

 

楽しさ普及人 2002年6月20日

 奥さんが毎週見ているTVドラマをちらりと見てたら、たまたま登場人物の交通事故シーンでした。お約束でバイクにハネられるシーン。一般的に「バイクは危ない」という認識が強いことをうかがわせるものです。でもね、バイクは確かに危ない乗り物ですが、それは主にライダーが危険にさらされているのであって、周りに対する影響力は車に比べたら遥かに低いものです。自動車の数とバイクの数を考えただけでも自動車に轢かれる確率の方が絶対に高いはずです。しかも、事故シーンは登場人物がフラフラと車道に飛び出して轢かれてます。そりゃ、あんまりです。イメージだけが先行し、バイクを使うことでますます悪いイメージが刷り込まれていく・・・

 それじゃあ、私が一肌脱ごうじゃないか。キッズバイクを使って、まずは近所の子供たちに「バイクは楽しい乗り物なんだよ」ということを教えてあげよう。楽しさ普及人です。HPにも活動をアップして、全国に広めよう。だからメーカーさん、キッズバイクを1台提供してください(笑) 出来れば用品も(爆)

 

高価なマシンを所有すること 2002年6月19日

 今から13年前、1989年にスズキからGSX−R750Rというバイクが発売されました。GSX−Rもレーサーレプリカですから、一見単なるシングルシートのGSX−Rのようにも見えますが、レース用のホモロゲ・マシンであるR750RはFRP製のカウルやアルミタンク、街乗り度外視の6速クロスミッション、その他細部に至るまでレース志向で、レーサーベースというかロードゴーイングレーサーそのものでした。それゆえに価格も165万円と、かなり高価。発売から既に10年以上経っているし希少なバイクでもありますからそうそう目にする事はありませんが、たまに雑誌等で見かけると決まって思い出す人が居ます。9年前、SBS岐阜店の店長だった人。私がGSX−R1100を購入する際、世話になった人。

 大学を卒業し就職したことだし、ローンを組んでGSX−R1100を買うことに決めました。契約しようと思ったらウチの親が代金を立て替えると言い出しました。もちろん立て替えるだけですからちゃんと返しますが、既に学費で多額の費用を負担してもらっているし、そのために生活を倹約しているのを知っていますから気が引けました。さらに親はバイクに乗る事を快くは思っていませんでしたから「わざわざバイクを買う金を出す親が何処に居る」と泣き出しそうな顔をしたものです。それでも立て替えようとしたのはローンの利息が馬鹿にならないから。これも子を思う親心でしょうか。ちなみに借りた金は全額きちんと返しましたよ。

 そんな(親が)苦労して作った金ですから、現金一括払いすることで自分が裕福な生活をし、高額なバイク(と言っても中古車ですが)を買うのもたやすいとは思われたくなかったのです。だから支払いの時に思わず「簡単に作った金じゃないんですよ」と言ってしまいました。すると店長が「良く分かりますよ」と笑顔で答えたのです。自分も苦労したと。当時既に結婚していたその人は、例のGSX−R750Rがどうしても欲しかったそうです。しかし丁度子供が産まれる時期でもあり、そんな高額なバイクを買うことにためらいもあり、悩んだそうです。そんな悩んでいる時に奥さんが「そんなに欲しいなら買ったら?」と言ってくれたそうです。例え高価なマシンの所有者であっても、誰もが簡単に手に入れている訳ではありません(高価なバイクじゃなくても苦労が絶えない人も中には居ますがσ(-_-;))。うらやむのは高額なバイクに対してではなく、その人を取り巻く周りの人々や、どうしても乗りたいと思う信念でしょうか。

 その後私はGSX−R1100を降り、SBS岐阜店にも行く機会が無かったんですが、しばらくして行って見ると既に店長は別の人に変わっていました。あの店長さん、今でもR750Rに乗っているのかな。

 

親父像の理想と現実 2002年6月11日

 「あぁ女神様」というマンガ、知ってますか?おそらくこのHPを見ている方々なら知らない訳はないと思いますが・・・。初めの頃はマニアックなメカが続出し、ストーリー的にもGSXドラッグ仕様とか、3輪トラックのラリーマシンなどが出てきてどちらかというとメカマニア的な話で面白かったんですが、最近はどうも美少女系?になりつつあって今後も読み続けるべきか悩んでました。とっても偏見的ではあると思うんですが、個人的に「美少女&メカ」という形式はオタクっぽく感じてしまい、本当は興味があっても思わず敬遠してしまいます。だから同じ作者の作品でも「逮捕しちゃうぞ」は読んでません。まぁ、30過ぎて「あぁ女神様」ってのもどうかなとは思いますが、読み始めた頃は若かったし(笑)

 その悩みの種の女神様、他のマンガを買うついでに結局買いました。既に発売から随分経ってる23巻と新刊の24巻。すると思いもよらぬ展開で随分楽しめました。ストーリー的には親父と息子のバイク対決。久しぶりのバイク話というだけでも面白いんですが、親父がまた良いです。器用でメカに精通し、ライディングはメチャ上手い。おまけに格闘出来る(笑) それだけでは余りに出来過ぎなので女性が苦手という設定で三枚目を演じさせる辺りもお約束でしょうか。ライダーの描く理想像の1つとも思えますが、仮に実際にこの様な人が居たとしても、一般的に見てそれが素敵だと思う人はそうは居ない気がします。お父さんが言った「君達をみくびっていた」というセリフが妙に納得出来るわけですが、理解してもらえる機会はそうは多くないでしょう。つまり、あのお父さんを目指したところで周りからは「変なバイク馬鹿親父」と思われるのが関の山(笑) お母さんも良いんですが、あれは出来過ぎですね。まぁ元々が現実離れしたマンガですから、何でも有りという所がまた面白かったするんですが。

 息子とのバイク対決というのもライダーの1つの夢かもしれません。娘を相手に本気出して勝ってもあんまりうれしくないよなぁ。やはり1人くらい息子が居てもいいかもしれないと思う今日この頃。でもうっかり勘違いしてはいけません。あくまでもマンガは理想だという事を忘れちゃいけません。冷静に考えれば、ライディングがメチャ上手いという点だけでも既に現実離れしてますが、もう一つ重要な事、それは仮に息子が居ても「バイクに興味を持つ」と決まった訳じゃない事。いつも身近にバイクがあると「バイクに自然に乗るようになる」か「全く興味が無い」かのどちらかになるのでは?(笑) まぁ、つべこべ言ったところで私なら娘相手でも四苦八苦しそうですけどね(-_-;) 練習しよっと。あ、まだバイク無いや( ̄◇ ̄;)

 

OHと聞くと妙にドキドキするのは変態か? 2002年6月6日

 愛用の時計の内部に水が入ってしまいました。どうやらジャブジャブと手を洗った時に入ったようです。おかしいなぁ、5気圧防水のはずなのに。慌てて近くの時計屋に持ち込んで見てもらうと、裏蓋のパッキンがちぎれてます。ムムム・・思い当たるフシがあるぞ。確か1年ほど前、ショッピングセンター内にある時計屋で電池を交換した事があります。恐らくその時にハメ損なったんだ。そうは言っても今さら仕方ありません。修理をお願いしようと思ったら、新たな問題が・・・。その時計、中身はセイコー製ですが、販売元はアニエス ヴェ。アニエスの特約店でなければ部品が入らないらしく、その時計屋さんでは直せないと言うのです。仕方なく他の時計屋さんに持っていきました。そこで時計を見るなり「メーカーでオーバーホールですね」。OHの費用はおよそ9000円。パッキンの他に交換が必要な部品があれば、別途加算されます。9000円といえば、手頃な時計なら新品が買えそうな金額。でもOHしてきちんと直るなら直しましょう。

 さて3軒の時計屋さんが出てきました。1軒目は「電池を交換した店」、2軒目は「時計を見てもらった店」、3軒目は「OHをお願いした店」。電池を交換する際、パッキンをブッちぎってしまった(と思われる)時計店は論外として、あとの2軒の対応はどうでしょう。最初の店では「出来る限り当店で修理しよう」という意向が感じられます。対して後のお店では即メーカー修理です。恐らく、仮にパッキンだけ交換しても耐圧試験は小売店では出来ないので、修理の確実性や保障の問題からメーカーで修理した方が良いと判断したのでしょう。既に内部に水が入っているので、機械部分にも問題が生じるかもしれませんし。それはそれで間違った対応ではないのですが、時計店で修理するかメーカーで修理するかを選択できたら、と思うのは身勝手な話でしょうか。

 時計のOHの金額9000円と聞いてどう思いますか?そんなの高過ぎると思うか、割と安いじゃんと思うか、そんなものかなと思うか。正直修理に9000円払うのは手痛いですが、OHで9000円なら私は安いと思います。人の手で精密機械を分解整備する訳ですから、その手間を考えると決して高くはないと思うのです。これからも愛用するなら、OHもいい機会だったかもしれません。

 とは言っても、ちゃんとした仕事をしていれば払わなくて済んだかもしれないお金。まぁ、きちんとした仕事をしても、パッキンはゴム製ですから長い間使っていれば当然劣化して機能は低下していきますが。大切な時計なら、たとえ電池交換といえど信頼できるお店に頼むのがよろしいようで。多少代金が高くてもね。

 

性格は遺伝するのか 2002年6月3日

 「自分の性格が好きだ」という人はどれくらい居るのでしょう。私はあまり好きではありません。少々内向的で積極性に欠けます。良くしゃべる時もありますが、それは得意分野か気心が知れた人に対してだけ。誰とでも仲良く遊んでる子供を見ると、ちょっとうらやましかったりします。もうちょっとだけ自分に自信が持てて、もうちょっとだけ社交的になれたなら、もっと人生楽しくなるかも。と思いつつ、なかなか性格は変えられないんだよね。

 先日、用事で保育園に出かけた奥さんが、保育園でのウチの娘の様子を見て私に言いました。「あの子、性格もそっっっくりよ」 顔だけじゃなくて、性格も私にそっくりだと言うのです。しかし何もそこまで力をこめて言わなくても。いつもはしゃぎ回って、誰とでも仲良く遊んでる所しか見たこと無かったので、そんな事思いもしませんでした。保育園には喜んで行きますが、仲の良い子とははしゃぐものの親の前ではテレたり、一人でマイペースに遊んだり、ご飯は慌ててガっついたり、他の子よりもテンポが遅かったり(笑)、人の顔(名前)を覚えなかったり(苦笑)、興味の無い事はすぐに忘れてしまったり。あぁ・・哀れ。それは間違いなく私に似たんだ。

 今まで性格は多少生まれつきによるところもあるにしろ、成長する過程で形成されるもの、つまり家庭環境や周りの影響で決まるものだと思っていました。しかし、もうすぐ4歳になろうかという時点で明らかに私に似ています。しかも頭の回転が鈍いとか、人の顔を覚えないなんてことは周りの影響で決定されるものではないんじゃ?

 何度か性格を変えようと試みた事もありましたが、なかなか自分の性格を変えることはできません。小さな頃から意識していれば変わるかもしれませんが、30過ぎて変えようったって、そりゃ無理です。今ハッキリわかりました。私のこの性格は遺伝なんだ。これは努力で変えられるものじゃないんだ。性格を変える努力をしなくて済むホッとした安心感と、絶対に変わらないという絶望感が交錯する。あぁ、せめて娘は幸多き人生を・・・

 ちなみに下の子は奥さんに顔がソックリです。末恐ろしいです(笑)

 

最近感動してますか 2002年5月31日

下の子(ちょうど1歳)が初めて歩きました。ヨチヨチと2歩ほど。

子供って良いよね。

普段の生活の中に埋もれた当たり前の事が、とても素晴らしく思えて感動できます。

泣く。食べる。笑う。ゲップする。おならする。ジタバタする。ハイハイする。しゃべる。歩く・・・

どれも当たり前のこと。

特別な事など何一つありませんが、小さな子供が懸命に生きている様は色々な事を考えさせられます。

こんなに小さくても、1人の人間として毎日がんばってます。

可愛いだけじゃない。子供を育てるのは大変です。

でも逆に子供に育てられてる部分もあります。

我慢したり、生活を正したり、自分がしっかりしなければ子供どころではありません。

そういう苦労の為か少子化に歯止めが効かない状態が続いています。

政府は少子化対策として育児休暇の充実を・・・なんて言ってますが、本当にそれで解決出来ると思ってるんでしょうか。

まずは明るい未来を示してください。

希望の持てない社会に、大切な我が子を投じなければならないのは辛いです。

 

消防士魂 2002年5月16日

 消防署に勤める友人がいます。頭も良いけど体を動かすのが何よりも好きだったから、やりがいのある仕事で彼にはうってつけだと思っていたし、実際彼も頑張って仕事をしていました。そんな彼が最近仕事を辞めました。勤務が大変だとか、訓練が辛いとか、そんな理由でへこたれる性格ではないことは分かってます。だから辞めたと聞いた時、おおよその理由は見当がつきました。既に所帯を持ち、幼子を抱える身での決断です。余程のことがあったのでしょう。

 聞くところによると、人間関係と言うよりは消防署の管理システムの問題のようです。昇格試験もあるにはありますが、実際に昇格していくのは「コネ」が有る人。彼が仕事を辞めると上司に打ち明けた時、上司は「お前は平成20年にはこんな地位に居るんぞ。勿体無い。」と言われたそうです。つまり、彼の頑張りとか努力が評価されるのではなく、ほとんど最初から決まってしまっているんです。平成20年という先まで。これじゃあ仕事を頑張るのもバカバカしいですよね。上司の顔色をうかがって上手くサボってりゃあ安泰なんですから。それに加えて上にあがっていくのは「コネ」があるヤツ。そんな上司ばかりだから、やりがいのある職場になるはずがありません。

 もう一つ、「公務員」という立場に甘えきった状況が我慢ならなかったようです。公務員は偉い、公務員は素晴らしいという考え方は消防署でも蔓延してるんですね。彼同様、やる気のある人も中には居るようですが、大半は「公務員の条件」に魅力があるようです。仕事が忙しい都市部の勤務より、暇な郡部に勤務してのほほ〜んと仕事?したいという職員が大半なんだそうです。消防署でもこんなものなのか。

 さらに極めつけは「市議会議員との癒着」。消防署幹部は議員様々状態で、頻繁に行われる接待。救急車両でサイレンを鳴らしながら走行していても、議員宅周辺を通過する時はサイレンを切るんだそうです。うるさいから(笑)。緊急時の走行でサイレンを切るのは明らかな違反行為。でも彼がサイレンを切らずに走行したら、上司にえらく怒られたそうです。議員から文句を言われるんだって。こんな状況ですから、上司は市から余程おいしい思いをさせてもらっているんでしょうね。上司も上司だけど、議員も議員だよ。

 彼が辞表を出し、最後の挨拶に行った時のこと。上司から所長にも挨拶しなさいと言われ渋々挨拶に行ったそうですが、5分程度で終わると思ってた彼の予想は見事に外れ、延々とネチネチ説教話をされたそうです。以下ほんの一部抜粋。

「お前はせっかく苦労して公務員になったのに、何考えてるんだ?公務員辞めてどうするんだ?」

「これから市民に恩返し(何だそりゃ?)しなきゃいけないのに、何を考えているんだ?」

「子供も居るのに仕事を辞めるなんて、お前の奥さんや親は、よっぽど金持ちなんだな。」<そりゃ関係ないって

最後に「お世話になりました」と彼が差し出した菓子箱を見て、「そんなものは要らん」と言う始末。

彼はそこにあったゴミ箱に菓子箱を叩き込むと、大勢が集まる所長室で「あぁ、やっぱり辞めて良かった!」と大声で言って出てきたそうです。消防署で一番上に立つ者の話がコレですから、相当に偏った考え方の集団みたいです。おそらく周りには彼の言動は「バカなヤツだ」と映ったことでしょう。

 彼は努力家で、やる気も才能もありました。そういう優秀で将来も有望な人材が消防署の管理体制によって潰されてしまうのは、本当に残念です。これは市民にとっても大きな損失です。消防署は「め組の大伍」(消防士のマンガ。熱くて結構面白いんだよね。)のようなヤツらの集まりだと思っていましたが、所詮は「お役所仕事」だったのか。全国全ての消防署、消防職員の現状がこうだとは言いませんが、似たような所は多いんじゃないかな。

 彼はまっすぐな性格です。正しい事を主張し、まっすぐ生きようとするとバカを見る。そんな事は間違ってると言っても、昔から脈々受け継がれる悪習慣と議員との強力な繋がりは、彼一人ではどうする事も出来ませんでした。とりあえず彼にとって本当に全力をそそげる仕事と環境が早く見つかることを願っています。

 

憂いのモーチチ(偽) 2002年5月9日

 所帯を持つとなかなか自分の自由になる時間が無いのはどこも同じでしょう。休日といえど家族サービスや子供の相手で自分の時間どころじゃありません。まぁ所帯を持とうが子供が居ようが自分のやりたい事やってる人も中には居ますが、私には家族を放って自分だけ楽しむ事は出来ません。だからせめて家族が寝ている深夜や早朝だけでもゴソゴソやってる訳です。モーチチの所以ですね。

 そんな私もここ一年程早朝にゴソゴソ出来ない状態が続いています。理由は簡単。赤ちゃん(次女11ヶ月)が居るから。奥さんは神経質で寝つきが悪いから、子供に夜中起こされるとすぐに寝不足で調子を崩してしまいます。調子が悪いと超不機嫌で仕事から帰るのも気が重くなってしまうので、せめて週末の夜くらいは私が子供の面倒を見ています。私は何時でも何処でも寝れるから、赤ちゃんが居ようが構いません。自分の横で手をあげてスピスピ寝ている子供は可愛いです。なんて幸せに浸ってる場合じゃなかった。

 赤ちゃんの面倒を見てるから、早朝に自分だけ抜け出してガレージに行ったり、バイクに乗ったりしてはマズイのです。自分が居ない間に子供が起きだして泣いているかもしれません。さらに最近はハイハイが出来るようになったので、余計に目が離せません。完璧にマスターしたハイハイは驚くべき速さです。最高速1m/秒くらいの速さで移動します。赤ん坊といえど侮れません。仕方なく子供と一緒に大人しく寝ていますZZZ・・。

 早く大きくなって楽にならないかなぁ・・と思いつつも、子供って可愛いんだよね。2人目が出来た頃は長女が可愛くて仕方なかったから「2人目も同じように可愛がれるんだろうか?」なんて思ったりもしましたが、全く余計な心配でした。1人目だろうが2人目だろうが、自分の子供はやっぱり可愛いです。こうなると3人居ても良いかな?なんて思ったりもしますが、奥さんには怖くて言えません。貧乏人の子沢山状態ってのも困るしなぁ。

 こんな状態ですから、こときちのライダー完全復活はまだまだ先のようです。って言うか、この先完全復活なんて出来るのか!? とりあえず言える事は「奥さんは丈夫で寝つきが良い方がいい」ってこと(笑)

 

始動で感動 2002年5月7日

燃料コックをONにする。

右側ステップを畳み込む。

メインキーをONにして、チョークを引く。

キックアームを出し、左側ステップの上に立つ。

キックアームをゆっくり踏み下ろし、上死点を探る。

キックが重くなった所で一旦戻し、一気に最後まで踏み下ろす!

4、5回ほど繰り返すと、ショートマフラーから弾けるような単気筒の低い排気音が響きだした。

 

キック連動式のオートデコンプ機能があるにしろ、キック始動は手間が掛かります。

何てことはない、ただエンジンを掛けただけですが、その行為だけでも感動出来るバイクが一体どれだけ有るんだ?

利便性を追求しただけの物では決して味わえない楽しさと充実感がそこにあります。

こときち一押しのバイクSRX。万人受けする物ではありませんが、これは強くお勧めします。

ただしマスツーリングでは気を付けた方が良いです。休憩で止まる度に置いて行かれるからね。

 

ヒューズ 2002年5月1日

 多少電気に詳しい人ならヒューズという物をご存知でしょう。ガラス管の物や赤、青、黄色などの色分けされた爪状の物など用途によって形状は様々ですが、電気機器に使われるもの。何らかの異常で機器に過大な電気が流れた際、回路を保護する為に電源を遮断する物です。ヒューズを溶断させることで電源を切り、内部回路が壊れてしまうのを防ぎます。

 バイクを倒してしまった時にブレーキレバーやクラッチレバーを折ってしまった経験がある人も居るはず。でもその時「あぁレバーだけで済んで良かった」と思う人は果たして居るのかな? 以前雑誌に「レバーもヒューズである」というような内容の記事がありました。つまり転倒した際、レバーが折れることでレバーホルダーやハンドルバーなどが破損するのを防ぐということらしいです。まぁそういう意味ならヒューズというよりはブレーカーと言った方がしっくりくるような気もしますけど、一般的にはヒューズと言った方がイメージしやすいのでしょう。レバーだけならすぐに交換出来るし修理も安く済みますが、ホルダーやハンドルバーまで破損すると結構大変。だから「折れるから」といって無闇に強度を上げるのはあまり良い事ではないようです。もちろん転倒の衝撃をたかがレバーで全て受けることなんて出来ませんから、ひどい時は他の部分も壊れます。

 DRでの事故の際、思ったほどフロントフォークは曲がりませんでした。普通は簡単に「くの字」に曲がってしまうのに、微妙に曲がってるかな?程度。それで大した壊れ方をしていないと安心していたら、フレーム部分が破損しているのが分かりました。ぶつかった時の衝撃がフロントフォークを通じて三又の下側部分を押す方向に力がかかり通常はフォークが負けて曲がるんですが、三又の下側を支点にして三又上側に伝わった衝撃に耐えきれずアッパーベアリング部分が壊れてしまいました。DR750のフロントフォークはφ41mmで特別太くもなく、今時の250クラスよりも細そうです。それでもフレームの方が先に根を上げてしまったのは、恐らくフォークの肉厚が厚いのではないか?という話でしたが、フレームも案外簡単に壊れるものです。フォークは部品で新品に交換出来ますが、フレームは新品に交換することが出来ません。そう考えればフォークもヒューズの役割をしているとも言えます。これはモディファイする際も考慮しなければいけない点でもありますね。バランスというのは大切というお話。

 ところで僕のバイクはどうなる?

 

バイクはどれだけ人の役に立つのか 2002年4月26日

 先日、私の両親と奥さんが娘の通う保育園の畑の草むしりに出かけました。と言うのも、園児らが育てる畑の手入れに人出が足りないので時間に余裕のあるおじいさんおばあさんに手伝ってもらえないか?という話があったんです。「保育園も見れるし、お父さんどうだろう?」という奥さんの勧めでウチの親にも話したら快く引き受けてくれました。

 それはいいんですが、草むしりに集まった人数は20人弱。そのうち保育園の役員に当たっている園児のお母さんが7人ほどなので、実際に善意で集まったおじいさんおばあさんは10人ほどです。毎年参加されているおばあさんの話では「運動会等では何処からこんなに来るのか?というほど人が集まるのに、畑の手入れはこんなものです」って。園児は250人ほど居るのに。単純に考えれば園児1人に対しておじいさんおばあさんは4人居るのに。集まった人は10人。=1パーセント?

 畑のお手伝いの件には「耕すのが大変なので耕運機をお持ちの方はぜひお願いします」とも書いてありました。残念です。農家ではない私も私の親も、耕運機など持っているはずがありません。バイクは4台もあるのに畑仕事には何の役にも立ちません。こんなことならバイクを1台くらい耕運機にしておけば良かった(そんなバカな)。こうなったら仕方ありません。ここは1つCRMに新品のエンデューロタイヤかパドルタイヤでも履いてパォ〜ン・・・って、それじゃ単なる嫌がらせだろう!

 

パパのしみじみ 2002年4月25日

 私の娘もいよいよ保育園に通うようになりました。黄色い帽子を被って、体に不釣合いな大きな通園バッグを抱えて元気に通っています。いや、別に何てことはありません。ただ保育園に行くような歳になり、近くの保育園に通っているだけの事です。入園手続きの時も大して何とも思わなかったんですが、それでもいざ通いだすとなんだか感慨深いものがあります。今までずっと家族から離れる事無く過ごしてきたのに、例えわずかな時間でも家族から離れて一人で生活しているのですから。我が子ながらたくましくなったなぁなんてしみじみしたりして。そんな保育園くらいでしみじみしてたら、娘が結婚する時なんて号泣ですな、こりゃ。そんな親の心配をよそに「ママより先生の方が好き〜!」って毎日ウキウキで保育園に行くとはどういう事やねん!そんなに先生が良いのか!?パパも通いたいっす!

 

バイクが無いと気が楽だ? 2002年4月24日

 先日あるお酒の席での事。ある人の趣味、ゴルフに関する話になりました。好きでやってるゴルフなのに、辛い思いをすると。要は好きだからもっと上手くなりたくて練習し、どんどん追い込まれていく訳です。私のバイクも一緒だなぁ。例え趣味の対象が変わっても考え方は変わらないのかも。

 「趣味でやってる事だから、楽しければいいじゃん」って思うでしょ。私も頭ではそう思います。でも好きだかこそ上手くなりたいというのもあります。上手くなりたい。自分のバイクなんだから乗りこなしたい。ライダーなら誰しも少しくらいはこんな思いがあるんじゃないでしょうか。練習もするし本を読んで知識も深めよう。でも実際はそんなに簡単ではありません。バイクに乗り始めてからもうすぐ13年になります。その間ブランクもなく乗り続けているので実際に13年間乗ってきたことになります。さすがにもう初心者とは呼べませんよね。その上マイガレージにマイバイクが4台。この状況だけ見ればかなりの上級者と思われても仕方ありません。自分でも初心者レベルではないと言わざるを得ないでしょう。テクニック以外ならね(笑)。家庭があって練習時間どころかまともに走る時間も無いし、完璧に整備するには時間もお金も無いという言い訳もあるでしょうが、もともと鈍臭い私にバイクを完璧に扱う事など所詮無理なのかもしれません。それは分かっていても、納得出来ない。中途半端に走れてしまうから、また厄介です。救いようのないほどヘタなら諦めるのも簡単なのに。逆に簡単過ぎてすぐに極められてしまうのも、それはそれでまた困りものだけど。

 事故でバイクが壊れた時、傷んだ車体を見ても大して動揺しませんでした。オフロードバイクだからなのか致命的な壊れ方はしていなかったし、今までの転倒などで既に傷ついていたし、壊しても直してきた自信からかとも思ったんですが・・・。あれから1月以上が経ちバイクに乗れない日々が続くものの、バイクの無い生活がそれほど苦にならない自分が居ます。どうしてかなぁ。前は1週間でも乗れないと我慢出来なかったのに。ひょっとしたら私はもうバイクを止めたいんじゃないだろうか?以前エンデューロレースを続けるのが楽しくもあり苦痛でもあったように、心の底からバイクを楽しめていないのかもしれません。例え今DRに見切りをつけ、もう一台の愛車SRXに集中したとしても、結局そのうち同じ状況になる気がします。ダートライディングに煮詰まるか、ワインディングでのコーナーリングに煮詰まるか。バイクの車種やカテゴリーが問題ではないんだよね。

 何でバイクに乗るんだろう?「趣味だから」と理由付けて、本当はどこかで何か我慢していないかな。事故で死ななかったのは運が良かったんだよ、丁度いい機会だからバイクは止めたら?今の世の中、楽しい事は他にも沢山あるのに。そんな思いも全く無い訳ではありません。でも先日スクーターに乗ったらすごく爽快な気分でした。どんなに便利な世の中になったって、この気分はバイクでなければ味わえないでしょう。バイク歴とか知識や固定観念、既成概念とかそんな物を一度捨てて、もう一度振り出しに戻る必要があるのかも。

 ただいつのも愛車が手元に無いからアレコレ考えているだけかもしれません。でも良く考え直して見るのもたまにはいいかも。バイクが直るのはまだまだ先のようです。もうしばらく考える時間がありそうです。

 

放任 2002年4月18日

子供の教育(しつけ)って難しいなぁ。

赤ん坊の時は大して考える事も無かったけど、3歳過ぎると放ってもおけないし。

この年頃って叱るべきなのか、子供だからと多目に見るべきなのか悩む事もしばしば。

ご近所さんの子供(小学2年)の友達(女の子)で、いつも携帯電話を持ってる子が居ます。

なんでも、あまり家に親が居ないからいつでも連絡を取れるようにとの事のようです。

それはまぁ各家庭の事情ですから良いのですが、どうも常識外れな点が見られます。

友達の家とはいえ家主の子供が居ないのに勝手に上がりこんだり、先日は台所をあさっていたそうです。

子供の友達だから邪険にも出来ないし、かといって放ってはおけないし困ってしまいます、とのこと。

放任といえば聞こえは良いですが、他人の子供の教育までしなきゃいけない立場を親は理解してるのでしょうか。

それとも自分の親の前ではお利口を演じてるのでしょうか。

もう一つ、保育園の入園手続きでの事。

園長先生が入園に関する説明の前に、父兄に対して説教してたそうです。その中の一つをちょっと紹介。

住宅地にある保育園なので周りは細い路地ですから通園やお迎えの車が押し寄せると身動きできません。

その為にも通園バスがあるのですが、バスを利用しない親が園児を迎えに車で保育園の門の前に乗りつけて

親同士で話し込んだらしいのです。

おかげで通園バスは通れず、園児を乗せることができません。

こうしたトラブルを避ける為に、お迎えに来る人は通園バスが出払った後の時間帯に来るようにとの連絡をしているのに

必ず居るそうです。

しかも先生が注意すると逆に怒鳴られたそうで。そういう人に限って家はとても近いとか。おいおい。

大人だからといって完璧な人など居ませんが、目に余る人が居るのも困ったものです。

親がこれではなぁ・・子供が非常識なのも無理はないよなぁ。

私が思う一般常識って本当に常識なのかなぁ。考えすぎなのかなぁ。

 

安全な車 2002年4月15日

市の図書館に雑誌も有るのを知った私は、子供の絵本のついでに何か面白い雑誌が無いか見てみました。

そこで見た1冊のカー雑誌の中に衝撃的な内容のコラムが載っていました。

それは「日本の交通事故死者数の内、7割が歩行者、自転車、二輪などの、車以外で死んでいる」ということ。

これだけ聞いても鈍い私はピンときませんでしたが、後に続く文章には衝撃的な事実を突きつけられた気がしました。

つまり「どれだけ車の安全性を高めても死者数は減らない

ABSやエアバッグ、安全ボディなどの技術が進んでも安全な車など絶対に有り得ない

危険な物だからこそ、免許制度というものがある」という内容。

法的に禁止されても相変わらず運転中に携帯電話を使用する人は良く見かけるし、

ナビやTVを見ながらというのも良くある話。

シートを思いっきり寝かせて「前見えるんかいな?」状態で運転しているかと思えば、

斜めと言うよりは横向き?で運転する者まで。

さらにメーカーは純正オプションでスモークガラスまで装備する始末。

車に関する技術はどんどん進化して、技術や力を必要とせず、無茶な運転でも滅多に破綻しないイージードライブを可能にしてきましたが、

それに甘えてドライバーのモラルや技術は逆に著しく退化しているんじゃないのか?

日産やトヨタは新たに携帯電話を使ったIT機器を搭載するとか、ハンドル部分で携帯電話操作できる装置を付けるとか言ってますが、

それはまるで殺人マシンを公然と開発しているのと同じ事じゃないのか!?

本当にやるべき事はもっと他にあるんじゃないのか!?

コラムには欧米の全事故死者数中で車に乗っていて死亡した人の占める割合がありましたが、

日本の27パーセントに対してアメリカで56パーセント、欧州では60パーセント程度(だったと思う)。

日本では「車で轢き殺されている人」が圧倒的に多いんです。

以前クロカン四駆のフロントに付けるブッシュガードが歩行者に対して危険という話も聞いた事がありますが、

本来車を運転するという事は包丁を振り回しながら走ってる(もっとひどい?)ようなもの。

この事実をメーカーも国ももっと深刻に受け止めるべきなのでは?

もちろんドライバーだけが悪い訳ではないし、免許更新時には講習も行っていますが成果はどうなんでしょう。

運転技術の未熟は車が補ってくれますが、最終的に操作するのはドライバーであり、

その考え方の間違いや精神面の未熟さは機械で補える物ではありません。

先日の事故でも思いましたが、免許を取ったら終りではなく継続的にもっと具体的な何らかの措置を取る必要がある気がします。

さらにこれから免許を取る世代や子供も含めてしっかりと交通のマナーを教えなければ、今後改善される見込みもないような気がします。

それに引き換えバイクはどんなに進歩してもライダーはさらけ出されたままですから

怠慢な運転は自らの首を締める事になり実に潔い乗り物な気がします。

さて、この興味深いカー雑誌、いざ借りようと思ったら「最新刊は貸し出しできません」( ̄◇ ̄;)

しょうがない、来月まで待つか<そんなに読みたければ自分で買えって!

 

心は大きく 2002年4月11日

先日、岐阜市方面へ行く用事があり家族で車に乗って出かけました。

しかしそこでとんでもない、目を疑うような行動をするドライバーに2回出会いました。

1台はセンチュリー。もう一台はBMW。

まぁ「いかにも」という感じではありますが、近年まれに見る常軌を逸したドライビング?。

ううぅむ、都会はこんなのが日常茶飯事なんでしょうか?田舎者は怖くて運転できません。

分かりました。貴方の車が素晴らしいのも、運転が上手いのも分かりましたから、こっちに来るなぁ〜!!

いわゆるVIPカーと呼ばれる高級セダンはお約束として、以前はクロカン4駆(今でも居ますが)、

最近ではミニバン系で無茶な運転をするドライバーを良く見かけます。

大きな車に乗ると態度も大きくなるのは困ったもんです。

大きな車に乗ったら心も大きく。

「どうぞお入りください」と道を譲るくらいのこと出来ませんかね。出来んわなぁ・・(-_-;)

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