こときちのつぶやき

2002年 7月〜9月

意識改革 2002年9月30日

会社にベコベコに凹んだ車に乗ってくる人が居ます。

一体何処をどう走ればあんな風になるのか不思議な位凹んでますが、

聞くところによると、その人は昔からそうなんだって(結構いい年の方です)。

その話をウチの奥さんとしていたら、

奥さん「何でそんなに凹むのかな?」

私「多分『ぶつける』って事がいけない事だって思ってないんじゃないの?」

車をぶつけて凹ませることがダメな事だという意識が欠落してるから、ぶつけない運転をする気も無く、

結局いつまで経っても運転技術が向上しないという悪循環になるんじゃないとか思った訳です。

駐車場に斜めに停まってる車や、ブレーキングでガクガクしてる車なんかも同じ理由じゃないでしょうか。

と、ここまで考えて「ハッ!」と気付いたことが・・・。

「ぶつける」と「転ぶ」を入替えたら、ピッタリ私に当てはまるんじゃ!?

バイクで転ぶことがダメなことだという意識が欠落しているから、転ばない運転をする気も無く・・・(以下略)

人の運転を分析している場合じゃありません。

転ぶ事は悪い事です。通常の運転でも当然ですが、限界ギリギリで走るレースの時でもダメなものはダメなんです。

最終ラップまでトップを走っていても、最後の最後でコケて1位を逃したら結果は残りません。

アマチュアのエンデューロレースでも、ライバルを必死の思いで抜いた途端にコケて抜き返され、

ともすればその為にラップ(周回遅れに)されたり。

そんな思いを散々繰り返し、虎視眈々と後からプレッシャーを掛けてライバルマシンの隙を突くような

極めて陰湿・・いや、クレバーな走りを身に付けたはずだったのに、ニューDRで既に2度も転倒を経験してます(2回/月)。

こんな事ではいけない。お笑い系サイトを目指している訳でもないんだから、自らネタを作ってる場合じゃありません。

もっと意識して転倒しないように・・・と、ここまで考えて、ふと気付く。

「転倒しても構わない」なんて、1度たりとも思ってないぞ。先の2度の転倒にしても、最後まで「転ぶまい」と思っていたはず。

はて? もう一度落ち着いて冷静に自分の走り方を分析して見ましょう。

転んでも良いとは思っていない。レースですら転ばない走りを心がけてきた。通勤や林道でも転倒した経験は少ない。

じゃあ先の2度の転倒は一体どんな状況だったのかと言うと、BBM(ビッグバードミーティング)と

SSM(シングルスマイルミーティング)と、どちらもミーティングでの事。

レースでもないのに、何故そんなにアグレッシブに走らなければいけない理由があるんだ?と考えた所、

どちらも共通して言えるのは「ギャラリー」が居るか否か。

なるほどね。要はお調子者って事なのね。

 

評価 2002年9月28日

ネットもすっかり定着し、個人でHPを開設している人も珍しくないのですが、

そういう個人のHPを覗いて見ると、中には腹を抱えて笑える物や、綺麗かつ見やすくデザインされた物、

非常にためになる情報やデータが蓄積された物など、「おぉ!」と思わせるものも多々あります。

そういう優れたサイトを見ると、「ありゃりゃ、自分のHPはショボイなぁ」と反省することしきり。

個人のサイトであるなら、仕事と私事の合間にやってるというのは同じでしょう。

元来面倒臭がりの、タグも知らないような私が会社に転がってたHP製作ソフトを使って、

しかもシングルとかビッグオフなんて他人が見向きもしないような内容を適当にアップしてるだけですから、

見た目や内容が充実するという方がおかしいんですが、仮に私が手間暇掛けて作業したとしても

やっぱり綺麗で見やすくて面白いHPは出来ないと思うんですよね。何てったってセンスないですから(笑)。

求めても努力しても出来ないんですから、「面白い」とか「綺麗」という要素はとうに諦めました。

当初設置して1人ドキドキしながら見ていたカウンターも、数字と内容が比例しないような気がして止めました。

(私的にはカウンターは300くらいで止まってて欲しいくらい。それなら300で1順するカウンターってのも面白いかも<無意味)

そんなほとんど自己満足状態の私のHPなんですが、年に1、2回くらい見ず知らずの方から

「参考になりました」とか「共感しました」と言われることがあります。そんな事を言ってくれるとは有難い人も居るものです。

実際にメールや掲示板にそれらを書いてくれる人はほんの1部で、実際にはその倍の人が居ると予想するなら、

私のHPは年間約4人の人に評価されたということになります(少なっ!(笑))。

そんな私のHPがどうやら3年も続いたような気がします。

今後いつまで私の忍耐が続くか分かりませんが、例え年間1人でも楽しんでもらえたら幸いです。

 

笑顔 2002年9月26日

楽しみにしていたSingleSmileMeetingが無事に終了しました。

沢山のレアマシンを見ることができ、沢山の愉快なライダーと会うことができ、とても充実した1日でした。

ただ私には「うははは!すっげー楽しかった!」と手放しで喜べない、引っかかるところがあります。

それは、今回どうしても参加することが出来なかった人が居る、ということ。

仕事の合間をぬって、せめて顔だけでもと車で駆けつけてくれたあの人も、きっとバイクでゆっくり楽しみたかったでしょうし、

直前にマシントラブルで参加できなくなってしまったあの人や、仕事でどうしても来れなかったあの人達、

子供のサッカーで参加することができなかったあの人・・・

私が知らないだけで、潜在的にはもっと沢山の人が断念していたかもしれません。

不特定多数の人を対象とすると、どうしても日曜祝日に開催せざるを得ないのは仕方ないことです。

人数が多くなればなる程、全ての人の都合にあわせるのは困難になります。

ですから今回のミーティングは大成功と言えるでしょう。

だからこそ、この楽しかったイベントに来て欲しかったとも思えます。

「楽しかったなぁ!」という言葉で、参加出来なかった人が疎外されてるような気分にならないことを願います。

こときちのツーリングに今回のミーティングレポートをアップしました。

参加出来なかった人も、レポートで少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

また、今回用意したオリジナルステッカーが余ってますので、せめてステッカーで気分だけでも味わってください。

欲しい方は差し上げますので、連絡ください。レポート、ステッカーについてはこちらを。

今回会えなかった方々も、今度はぜひお会いしましょう。

もう1つは、参加者のみんなが笑顔になれた半面、誰かが辛い思いをしているんじゃないかと思うこと。

所帯を持つ人も多いなか、休日にお父さんが居なくなってしまうのは家族にとってはどうなんだろう。

バイクを通じてみんなが笑顔になれたら良いなと思うこのイベントは、参加者だけでなく関わる人全てが笑顔であって欲しいです。

実際にはそれもなかなか難しいことでしょう。

1日お父さんが楽しんでリフレッシュすることで、家族に対しても優しく接することが出来るのなら

家族にとっても全くのムダではないかもしれません。

キッズバイクでも持ち込んで子供や奥さんも交えて楽しめるイベントに出来たら、とも今さらながら思いましたが、

せめてイベント後には家族サービスをしてあげて欲しいものです。

さて、じゃあ自分は笑顔になれたかというと・・・

帰宅後に「今日は体調が悪かったうえに、子供が言う事を聞かなくて大変だった」と奥さんのグチが(-_-;)。

私の笑顔が引きつってたのは言うまでもありません。

みんなを笑顔にするのはとても難しい。

 

ヘルメットと年齢 2002年9月19日

先日ヘルメットを新調しました。

ヘルメットといえばバイクに乗る上で最も重要でもあるし、こだわりを持つ用品でもあると思います。

でも良い物はかなり高価ですから、そうそう買い換える訳にもいかないのが現状。

散々悩んで買ったのは、アライのSZ−Mというジェットヘル。

以前は「ジェットなんてオッサン臭くて被ってられるか!」と思っていたのに、3万3千円もする新品を手にする自分が居る。

しかも「クリヤーのシールドなんて恥ずかしくて使えるか!」と思っていたのに、買った状態のまま

クリヤーシールドで使ってる自分が居る(予算不足でスモークシールドが買えなかった訳じゃないよ)。

フルフェイスに比べて安全性が劣るのはネックですが、あらゆるジャンルのバイクで、

いろんな用途で使っても不都合がないのは有利です。

スモークシールドは外から顔は見えないし、精悍な感じがするし、眩しくも無いのですが、

顔面真っ黒は傍から見るとちょっと妙で威圧感を与えるし、夕暮れ時には見難くて危ないし。

外見だけで判断せずに自分の求める価値を見極め、素顔をさらけ出しても動じなくなり、

年齢相応の落ち着きを持った様にも思える、と言えば聞こえは良いですが、

実は周りの目を気にしなくなり、視力も衰えてきたただのオッサンになったと言うのが実情かも?

でもジェットヘルにクリヤーの開放感ってどうだ!

新品のクリヤーシールドは一片の曇りも無く、まるで目の前に何も無いかと錯覚するほど。

何も被らずに走っているような感じさえします。適度な頬のホールド感で、ヘルメットを被っているのを自覚するくらい。

これはひょっとしたらノーヘルよりも爽快かもしれません(真夏以外は)。

30過ぎてジェットにクリヤーも悪くないと思えるようになりました。でも朝焼け夕焼けは眩しいけどね。

 

サイレンサーの意味は消音器 2002年9月18日

バイクのマフラーを交換するのは特別珍しいことでもなく、リプレイスマフラーを着けたバイクもよく見かけます。

バイクをチューンする時は手始めにマフラー交換という人も多いでしょう。

手軽に交換出来るというのもあるでしょうが、じゃあ何故マフラーを交換するの?という質問に対して

「パワーアップ」「軽量化」「見た目」そして「音」というのが主な理由じゃないでしょうか。

かくいう私もサイレンサーを交換しています。

最初はほとんど「音」が目的みたいな感じでした。シングル特有のはじける様な排気音はリプレイスマフラーの方が断然良い。

でも、どうも最近大きな音を出すことにためらいを感じています。はじける排気音が心地良いと思うのは、多分自分だけでしょう。

特に小さな子供を持つ身としては、自宅近辺以外なら大きな音を立てても良いのか?と思うのです。

もしかしたら私が通ったことで寝付いたばかりの赤ちゃんを起こしてしまっているかもしれません。

そうでなくても住宅街や林道に行く途中の山村を通り抜けるとき、登下校中の小学生の集団とすれ違う時、

犬の散歩の人とすれ違う時、あらゆるところで気を使います。

そこまでしてリプレイスマフラーを使い続ける意味があるのか?

よく「音が静か過ぎると周りに気付かれないので危ない」という意見も聞きますが、果たして本当にそうなんでしょうか?

市街地や林道などでは大きな音の方が周りの通行者に対して気付かれやすいというのも分かる気はします。

だけどそれって「オレが通るからお前は避けろ」って言ってるようなものじゃないのか?

林道は一般道じゃないからこちらが「走らせてもらう」立場でありながら、とてつもない勢いで爆音を轟かせながら

「おらおら!どけどけ!」と走るのは、爆音を立てながら信号を無視していく族と何ら変わらない気がします。

例え静かなマフラーでも、こちらが対向車や作業者に対して気をつけながら走るのが本来のあるべき姿じゃないんでしょうか。

市街地でも同じこと。大きな排気音で気付くような人なら最初から気付いてるんじゃないのかな。

それでも、私にとってどうしてもリプレイスマフラーでなければいけない理由が1つだけあります。

それは「レスポンス」。

純正品の糞詰まりのようなサイレンサーに対し、リプレイス品では抜けが良くなる分、

アクセルに対してエンジンが俊敏に反応します。

これは音以上に楽しいことで、右手に対してダイレクトに反応するフィーリングは痛快です。

でも当然抜けが良くなる分、音は大きくなります。音を小さくするとレスポンスも落ちてしまいます。

そんな訳で、様々な要因のバランスを追求した結果が純正マフラーじゃないのか?と最近思うようになりました。

メーカーは規制値内に収めつつ(ついでにコスト制限内に収めつつ)、フィーリングを損なわないようにし、

しかも心地良いサウンドにするために試行錯誤して作り上げた物が純正マフラーなんじゃないでしょうか。

「純正マフラーは鉄製で錆びるから壊れると困る」という理由も、予備品が手に入ったお陰で心配なくなりました。

純正マフラーに戻し、適度な音量に戻し、子供と一緒にタンデムでもしようかなと思う今日この頃です。

 

季節と気分 2002年9月17日

稲穂を揺らす風もずいぶんと爽やかになりました。

食欲の秋とか、スポーツの秋とか、読書の秋とか、何をやるにも秋は良い季節なんでしょうが、

何故か秋になると切ない気分になるのはどういうことでしょう。

秋に限らず、訳も無く春はうきうきしたり、夏はわくわくしたり、秋はしみじみしたり、冬はしんみりしたりする訳なんですが、

別に夏に楽しい事ばかりがあった訳じゃないし、冬に寂しい思いをしてた訳でもありません。

でも季節によって、こんな気分になるのは何故?

人間が持つ本能のようなものなんでしょうか。

なんて事を秋の夜長に考えたりするのも、やっぱり秋のせいでしょうか。

 

幸せって何ですか? 2002年7月29日

日曜の午後、私は東名高速で軽トラを走らせていた。

左車線をトコトコ走る脇を、ほとんどの車が追い越して行く。

ピタリと後に着いたり、目の前に割り込んだりする車も居るけど、どうぞどうぞ。

走り去る車は、静寂と快適さの極みのラグジュアリーサルーンだったり、

ミニと呼ぶのがためらわれるほどの大きさと豪華さを誇るミニバンだったり、

路面に張り付くように疾走するスポーツカーだったり。

でも今の私にとって、そんな物はどうでも良かった。軽トラでトコトコ走る私は幸せ一杯だった。

だって、もっとずっと素晴らしい物を手に入れたから。

そう、軽トラの荷台には、これから私の新しい愛車となるDRが載っているのだから。

 

3年間愛用したDRは、運命的とも思える出会いでした。

そして今度も人の縁に支えられて、私はDRに乗る事が出来ます。

DRに乗る事が出来る事はもちろん幸せですが、良い人に巡り会えた事が一番幸せだと思う。

私は多くの人に支えられて生きています。私に関わる全ての人に感謝したい。

それが例えディスプレイ上でしか言葉を交わしたことが無い人であっても。

 

スクーターの恐怖 2002年7月24日

暑い時期に限った話ではありませんが、スクーターってその手軽な操作性からか

どうも軽装で乗る人が多いような気がします。

原付なら免許制度が違うので、危険性を充分認識していないというのも分からなくはありませんが、

大型のスクーターに乗る人も同じような傾向がある気がします。

スクーターはタンクやフレームをニーグリップする必要もないし(と言うより出来ない)、ベンチに腰掛けるがごとく

楽チンな姿勢で運転出来ますから、別に短パンにサンダル履きでも違和感を感じないのかもしれません。

しかし安全性や安定性は普通のバイクと何ら変わらないし、重量配分の悪さや体を支える事が出来ない分

バイクよりも一層慎重さを求められる乗り物なのかもしれません。

なんて事を考えながら、ちょいと用事で自宅の車庫からジョルノを引っ張り出してみます。

ブルル〜ン・・・と走り出した私の格好は・・・

短パンにジョリッパじゃん!?(>_<)

手練のライダー(?)をも無防備にしてしまうとはっ!! スクーター恐るべし!

(ちなみに私は年中ジョリッパ履きで、車の運転もジョリッパです。ですからこの場合スクーターだからジョリッパというのではなく、普段履いている物をそのまま使ったと解釈して頂きたい。)

 

温泉といえば火山性 2002年7月18日

小学生の頃、数年間鹿児島で過ごしました。

住んでた所が丁度活火山桜島の付け根辺りだったので、温泉もごく身近なものでした。

銭湯も温泉。家族でひなびた公衆浴場に出かけたりして。

今でも硫黄のツンとした臭いがしないと温泉に入ったという気がしないんですよね。

そんな鹿児島の片田舎を、六一〇ハップのお風呂に入りながら思い出したりしています。

 

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