こときちのつぶやき

2003年 10月

美子ちゃん 2003年10月30日(木)

長女が最近やたらと手紙を書く。文字は読めるけど書くのは中々で、でも最近少しは書ける様になって、保育園の友達や近所の友達に手紙を書いている。内容は取るに足らないというか、そんな事改めて書かなくてもというような内容ではあるけれど、手紙を書くことが楽しいんだろう。それで奥さんに「そうじゃないでしょ!よく見なさいよ!こう!」って怒られながら、ヨレヨレの文字を書いている。

子供が書き上げた文字はとてもヨレヨレで・・・

僕の書いた字と大差無かった。

今度、美子ちゃんの日ペン講座を受講しようと思う。

 

微妙な気持ち 2003年10月29日(水)

パンツ一枚で風呂から出ると、子供が駆け寄って来て僕に抱きつき、「パパの匂いがするぅ」と嬉しそうに言うけれど、子供は背が低いから子供の顔は丁度僕の股間辺りに位置して、「臭いからそんな事やめなさい!」と子供は奥さんに怒られてたりして、ホッとしたような悲しいような微妙な気持ちになる。

月曜日に車に乗ると、僕の匂いがすると奥さんが言う。新車の香りを汚されて不満だとでも言いたげな口調。僕が乗る時は新車の香りしかしないよ。とんだ言いがかりだ。だけど自分の体臭は自分では気付かない。

昨日届いたジャケット。すぐ着たい。もう今すぐ着たい。すぐにバイク乗りたい。でも古着だから、他人の匂いがする。よし、ファブリーズしよう♪と思ったら、丁度切らしていた。仕方なく、朝、出勤前に天日干ししてきた。まぁ良いさ。悪臭名高いこの僕にかかれば、自分の匂いに染めるのも容易いというもの。

嬉しいような悲しいような、微妙な気持ち。

 

ジャケット 2003年10月28日(火)

この時期、冬用のジャケットが気になる。以前もそんな事を悩んでいたけど、相変わらず資金難で、本当に気に入った物を手に入れるのが難しい。ライダーならやっぱり憧れの皮ジャンが欲しい。だけど実用面から考えると化繊や綿ジャケットも捨てがたい。色々考えて、奥さんには不評だったものの、僕はやっぱりカドヤのスイスアーミージャック(スイス陸軍オートバイ部隊のレプリカ)が気になって仕方が無かったけど、58000円の金は到底出てきそうに無い。

そんな折、オークションでジャケットを落札した。スウェーデン軍のジャケット。皮ジャンではないけれど、カドヤのスイスアーミージャックの原型となったモデルだ。原型ならスイスじゃないのか?とも思うけど、まぁこの際スイスだろうがスウェーデンだろうがどっちでも良いや。しかもレプリカじゃない。1960年代のデッドストックという話。僕は別に本物が欲しかった訳ではないけれど、まさか今更本物がこんな値段で手に入るとは思いもよらなかった。そんな訳で、プライベートな事を詮索するのも申し訳ないと思いつつ、出品者の方に何故手放したのか聞いてみた。

出品者の方もライダーで、昔からカドヤのスイスアーミージャックが気になっていたそうだ。だけど当時はなかなか手が出なかったそうで、いざ買おうと思った時にはスイスアーミージャック2にモデルチェンジしていて、使用される皮がゴートスキンからワイルドカウに変更されていた。ワイルドカウは堅牢である代わりに硬くて、ゴートスキンに比べると着心地が悪く、どうしてもゴートスキンの物が欲しくてオークションでずっと探していたらしい。でもそうそう都合良くは出てこなくて、たまたま雑誌の通販で見たこのスウェーデン軍ジャケットを買ったけれど、その後もオークションでカドヤを探し続けて、先日やっと手に入れることが出来、代わりに今まで持っていたこのジャケットを手放す事にしたらしい。

実はその人が落札したカドヤのジャケットは僕もチェックしていて、ゴートスキンの旧モデルながら、これはぜひとも欲しいと思ったんだけど、落札価格は僕の予算をはるかにオーバーしていた。沢山の入札が有るところを見ると、案外人気が有るんだ。僕が特別マニアックな訳じゃないことに少し安心した。だけど僕個人としてはゴートスキンよりも耐久性がある現行の牛皮モデルの方が良かったから、100点を付けられない中古品にしては少々高過ぎて、早々に諦めていた。でもそのゴートスキンも、その人にとってはベストだったんだね。

さて、落札したジャケットが今日届き、早速見てみるとなかなか良い出来だった。袖口のニットは流石に古くてほつれているけれど、軍隊にありがちなダークグリーンのキャバス地はかなりしっかりしていて、まるで新品みたいだ。取り外し可能な起毛の裏地が付いていて、かなり温かそう。これはひょっとするとカドヤのジャケットよりも良いかもしれない。確かに皮ジャケットはライダーにとっては憧れではあるけれど、雨降りは使えない、洗濯は出来ない、汚れたら困るなど、実際に愛用しようとすると何かと不便な面が多い。それが僕にとっては1つのネックではあったんだけど、キャバスジャケットならそんなネガな面も無い。とても1960年物とは思えない状態だから、耐久性も抜群だろう。あの人にはゴートスキンがベストで、僕にはキャンバスがベストだったんだ。

憧れの皮ジャンではないけれど、なかなかの逸品を手に入れる事が出来た。これから冬本番。その真価を発揮する季節になるけれど、着用するのに10個のボタンを留めなければいけないのはかなり面倒だということに気が付いた。

『着用の手間をバイクに乗る前の儀式として楽しめる懐の深さがあれば、もう充分に貴方の一部になるはずです。』カドヤのうたい文句は嘘じゃなかった。

 

小高い丘の上で 2003年10月27日(月)

ウチの近所に小高い丘がある。歴史的にも何か意味のある場所みたいだけど、僕は歴史は大の苦手だから良く分からない。よく晴れた日曜日、子供を連れて、その丘に登ってみた。

子供は喜び勇んで丘に続く砂利道を駆け上り、ドングリを探したり、ススキの穂を集めてみたり、草むらに分け入って草の実を集めたりして、楽しそうに遊んでいた。丘に続く道は見晴らしが良くて、秋の風が吹き抜けてとても気持ちが良かった。

とてもいい天気で、バイクに乗ったらさぞ気持ち良かっただろう。だけどバイクに乗らなくても気持ち良い事は沢山有る。僕はこれからアルピニストになろうと思う。

 

メンテナンスフリー 2003年10月25日(日)

この前買った日産キューブ。そろそろ1月経とうとしていて、ディーラーに一ヶ月点検に持って行くことにした。最近は1ヶ月、もしくは1000km時に、必ずしもオイル交換する必要は無いらしい。「やりたければ勝手にどうぞ」ということで、オイル代等は実費になった。最近は機械加工精度も非常に優れているからオイル交換も必須ではないのかもしれないけれど、それにしても最近のエンジンはコンパクト化、軽量化、省エネ化、低公害化等を満たさねばならず、かなり過酷な状況にさらされていて、キューブのエンジンにしてもエンジンオイルは3リットル程。潤滑フェチじゃなくてもオイルは早めに換えるべきだと思う。

オイルはさておき、キューブの取扱説明書を読んでも、エアークリーナーエレメントとスパークプラグの点検の仕方とか、交換部品の型式とかが書いてない。エアーフィルターの交換時期は5万kmだっただろうか。今ではインジェクションが当たり前になり、多少フィルターが汚れて吸気効率が落ちたところでインジェクションの方で補正するから悪影響は出にくいのかもしれない。それにしても交換の仕方も交換品の型式も書かれていない。メンテナスはディーラーに任せてユーザーは触るなということだろうか。以前新型マーチの説明文に「白金プラグを使用する事でメンテナンスフリー化した」と書いてあった。白金プラグを使う事で10万kmはメンテナンスが不要となるそうだ。今の時代、車を買い換えるスパンは10万km、もしくは10年程度だから、要は車を捨てるまでプラグ交換は必要無いということらしい。だけど本当にそれで良いのか? とある雑誌には「今の時代、プラグの点検はプラグの固着を防止する事に意味がある」という様なことが書いてあった。エンジンの高温にさらされるプラグは固着しやすい。以前僕の軽トラが不調になり、プラグを点検しようとしたら固着していて、たった3本外すのに全身汗だくになった事がある。当時6万kmくらいで、プラグの電極部分は見事なまでに丸くなっていたけれど、恐らく新車当時から一度も外された事が無かったんじゃないだろうか。例え異常が無いにしても、この先長く愛用していく為に僕はプラグを一度外し、焼付き防止剤を塗布して組み直したいのだけれど、プラグが外せない。点検のついでにディーラーでエアークリーナエレメントの外し方と、スパークプラグの外し方を聞いてみた。エアークリーナーエレメントは比較的簡単に取り出せるのだけれど、スパークプラグはかなり厄介だ。シリンダーヘッドの上に吸気系のボックスの様なカバーが付いており、それにセンサー等の電装品がいくつか付いていて、それらが邪魔でプラグにアクセス出来ない。しかも最近はダイレクトイグニッションになっており、プラグの頭に直接イグニッションコイルが付いている。メカニックの人も「僕らでもまだこれを開けた事が無い。触らない方がいい。」と言われた。

技術は進歩してどんどんメンテナスフリー化されていく。それはユーザーにとって有り難いことなんだろう。だけど基本的で重要な部分のメンテナンスまでフリーにしてしまって良いんだろうか。僕は自分の愛車のプラグが焼付いて固着するなんて許せない。そのうち絶対にバラしてやろうと思う。それでもしイジり壊してしまったら、こっそり黙ってクレームで修理してもらおう。

 

せめぎ合い 2003年10月24日(金)

友達がオークションで子供服を買っていると聞いて、ウチの奥さんも最近やたらとオークションに興味を示し、PCが使えない奥さんの代わりに僕は連日連夜PCのモニターとにらめっこしている。まぁそうは言っても所詮子供服だから品物はそれこそゴマンと有って、1つ2つ落札し損なったって僕はどうでも良かったりするし、その合間に自分の欲しい物を物色してたりする。子供服なんかどうでも良いんだよ。この、このバイクジャケットが欲すぃんだよ!と、夜更けのPCの前で終了間際のせめぎ合い。昨日は僕のジャケットを落とし、今日は子供の七五三の着物を落とした。

オークションはいけない。普通なら買えない物がついつい欲しくなるから。あぁ次は新しいデジカメ欲しいなぁ。そうやってDRの修理費用はどんどん先延ばしになっていく。

 

ハニカミ 2003年10月24日(金)

恋するハニカミとかいう番組知ってる? 僕は知らなかった。23時位から始まる番組なんだけど、そんな時間はいつも寝てるからね。その番組、「結構面白い」と言って奥さんが見ている。奥さん風邪気味だから、僕は奥さんの代わりに下の娘を寝かしつけようと夜更かししていたら、「ヤンキー母校に帰る」が終わり、恋するハニカミの時間になってしまった。風邪気味なら早く寝れば良いのに、奥さんはちゃっかり見ている。

その番組、女性は自分の女友達を、男性は自分の男友達を紹介してデートするという番組なんだけど、今週は若い人で、デートは何だか学生みたいで微笑ましかった。

結婚して子供が出来ると、もう生活に追われて毎日が手一杯で、男は男である前に父親であり稼ぎ手であり、女は女である前に母親であり、生活を切り盛りせねばならず、そんな微笑ましいデートなんてもういつの話なんだろう。今ではそんなドキドキはカケラも有りはしない。奥さんはTVを見て、淡い恋心に憧れてるんだろうか。

今更恋なんてね。僕は代わりに、毎日の温かなご飯と、小さな寝息を立てるぬくもりを手に入れたから。だけどTV番組に自分をダブらせて思いを馳せるくらいは許されるんだろうか。

 

抱きしめて 2003年10月23日(木)

AC(公共広告機構だったっけ?)の広告って、いつも結構考えさせられる。先日の新聞に載っていたACの広告は「子供を抱き締めてあげて」と書かれていた。お母さんに抱き締められた優しい思い出で、辛い時を乗り越えられるんだと。まぁこの際お父さんでも良いよね。

児童虐待で子供が亡くなった。子供は保育園で先生に「お母さんに抱き締めて欲しいの。先生お母さんに頼んで。」と言っていたらしい。僕は無性に切なくなった。亡くなった子供は、そのとても短い人生の中でどんな思いをしてきたんだろう。親に拒絶されながら。邪険にされながら。お前なんか居なければ良いのに。暗にそう言われながら。

物もお金も言葉も要らない。抱き締めてください。

 

爆発 2003年10月22日(水)

「良い人だったのに、信じられません。」

「成績優秀で良い子だったのに、こんな事になるなんて。」

「容疑者を知る人」に尋ねると、決まってこんな答えが返ってくる。

違うよ。良い人なんかじゃない。良い人を演じていただけ。いつの間にか良い人でなければいけない状況になってしまい、現実と真実の間に矛盾が生じて、積もりに積もった鬱積に耐え切れなくなって爆発する。そんなに真面目にならなくても良いじゃないか。そう思うかもしれないけれど、一度確立された人格は簡単には崩せなくて、今更どうやって不真面目になれるだろう。爆発するのは人が生きる為の術なのかもしれない。だけど、身勝手な理由で人を傷付けるのは良くない。

僕もひょっとしたら爆発してしまうかもしれない。いざ!という時に困らないように、爆発した時に何をしたらいいか今のうちに考えておこう。う〜ん・・爆発ねぇ。爆発して・・・放浪の旅に出るとか。なんだかありきたりだよな。子供置いて出て行くのは忍びないし。う〜ん、爆発して・・北海道に定住するとか。でも寒いの嫌いだしな。う〜ん・・爆発してDRを1000ccにするとか。爆発してケータハム・スーパー7を60回払いで買ってしまうとか。

僕の爆発って小規模だと思う。

 

右ネジアダプター 2003年10月21日(火)

逆ネジ。

普通のネジは右ネジで、右(時計回り)に回すと締まるんだよね。逆ネジというからには逆な訳で、右に回すと緩んで、左に回すと締まる。

ヤマハのバイクの右側のバックミラーには逆ネジが使われている。バイクが右側に転倒した際、ミラーには右方向に力が掛かる為、取り付けが逆ネジならミラーが緩んで破損を防止出来るからだそうだ。だけど右のミラーに逆ネジを使っているのはヤマハだけで、他のメーカーは普通の右ネジを使っているから市販のミラーを使おうとするとそのままでは使えず、逆ネジアダプターなどという代物で逆ネジをわざわざ右ネジに変換しなければいけない。

だけど、実際に転んでみたらその効果は素晴らしかった。当然傷はつくけどミラーは壊れない。鏡が割れる事もなかった。結局僕は今もその傷付いたミラーをそのまま使っている。ミラーだけで済むならまだマシだけど、大抵の場合はブレーキのマスターシリンダーにミラーの取り付け穴が設けてあるから、派手に転ぶとマスターシリンダーの交換が必要になるかもしれない。

ヤマハが頑として譲らない右ミラーの逆ネジ。これは素晴らしいよ。

右ネジを逆ネジにするアダプターを作るべきだね。

 

長女 2003年10月20日(月)

「ほんとアホやなぁ。」

奥さんがウチの長女に向かって言う。

先日の朝刊の小さな記事に、育児のことが書いてあった。

「長女に対してもう少し優しくできないか」と旦那に言われたという内容。

聞き分けがない長女に対して、ついつい口調が荒くなるらしい。

別にウチの奥さんだけがキツイという訳でもないのかな。

だけどあまりにも怒るから、僕も見かねて口を挟む。

要領が悪くても仕方がないよ。

大人の僕だってまともに出来やしないんだから。

だけど奥さんには奥さんの言い分があって、それで納得するはずもなくて、

「あの子は私の血じゃない。あんたにソックリなんだから。」と、怒ったように、呆れたように言い、

長女は居心地悪そうに部屋の隅で小さくなってうなだれる。

新聞の記事は奥さんの立場で書かれていて、旦那に指摘された事で

今までの自分の子育てが否定されたような気がしたと書かれていたけれど、

ウチでも似たような状況で、子供も責められないし、奥さんも責められない。

僕だって長女に対してイラついたり、怒鳴ったりする時はあるけれど、

奥さんが怒った時にはなるべく怒らないようにしている。

そして長女を抱きしめる。

怒られていなくても抱きしめる。子供を拒絶しないように。

次女も長女も僕の可愛い娘だからね。

パパはいつも傍に居るよ。

お前が「オヤジ臭いからあっち行ってよ!」って言うまで。

 

一番大事なこと 2003年10月18日(土)

それ見たことか症候群。

東本昌平の「キリン」の中で、そんな言葉が出ていた。

バイクを知らない人は、ライダーが何らかのトラブルに見舞われると、口を揃えて言う。

「それ見たことか。」

バイクを知らない人から見れば、バイクに乗る事自体が馬鹿げた行為に映るだろう。

転ぶはずもないバイクで、転ぶべきではない場所で、僕は転倒した。

バイクに右足を挟まれてもがいている横を、朝の通勤車両が走り抜けていく。

それ見たことか。バカが。

バイクに乗る事自体が馬鹿げた行為なら、交差点で転がっている僕は

もう愚の骨頂としか言いようが無いだろう。

コーナーを駆け抜ける速度が重要なんじゃない。

一番大切なのは、遅くても、格好悪くても、公道で絶対に転倒しないということ。

当たり前のことを忘れないこと。

 

選択 2003年10月17日(金)

「バイクに乗ろうと思ったキッカケは何ですか?」

よくある質問。だけど、

「バイクを止めようと思ったキッカケは何ですか?」

そんな質問は聞いたことが無い。

僕は「こちら側」とか「向こう側」とか、そういう言い回しは好きじゃないけれど、

それは現役ライダーである「こちら側」から見れば、彼らは既に「向こう側」の人だからかもしれない。

だけど多くの人がバイクに乗り始める一方でまた、現に多くの人が人知れずバイクを降りているはずで、

彼らが経験してきた事、考えてきた事は今現在バイクに乗ってる人にとっても何らかの参考になるのではないかと思う。

それは経済的な理由かもしれないし、身のためを思っての事かもしれないし、バイクに対する興味が薄れたのかもしれないし、

理由は人それぞれであるにしろ、そういう事から乗り続けるためにはどうしたら良いのか考える事が出来ると思うけれど、

残念ながらそういう事を取り上げているのを見たことが無い。

「乗り続ける理由は何ですか?」

「バイクは貴方にとって何ですか?」

バイクは危険な乗り物という認識は大抵の人が持っているとは思うけど、バイクに乗る時に常に自分が大怪我をすること、

自分が死ぬということをヒシヒシと感じながら乗ってる人は居ないんじゃないだろうか。

そんな事を実感しながらではバイクを楽しめるものじゃないし、それでもなお乗り続けなければいけない理由があるだろうか。

「乗り続ける理由」と「自分の死」を天秤に掛けて、それでもバイクを取れるだろうか。

結局、バイクは危険という事を頭では理解していても、それを現実のものとして実感できていないだけかもしれない。

アスファルトと金属が擦れ合う音。

アスファルトにヘルメットが削られてゆく音。

それで僕は実感する。

今まで僕が考えていた事は理屈でしかないという事を。

僕は今までに幾度と無く転倒を経験し、事故も経験した。

それは不可抗力なんかじゃない。僕自身に問題があるからだ。

幸いにも今まで大きな怪我をすることは無かったけれど、それは単に偶然にすぎず、幸運だっただけ。

僕がこのまま再びバイクに乗るならば、またいつかきっと転倒するだろう。

そして、その時もまた軽傷で済むという保証はどこにもない。

思い悩むことが許される僕は多分幸せなんだろう。

悩みたくとも、既に命が無い人だって居るのだから。

 

休み 2003年10月10日(金)

しばらくお休みします。

 

あの日 2003年10月9日(木)

あぁ、憂鬱。

アレになっちゃったのよ。そう、アレの日。

もうダルくて憂鬱で仕方ないのよねー。

なんにもやる気が起こんないしぃ。

え?違いますよ課長。別にサボってる訳じゃありませんよ。

ほら、丁度一月周期でしょ?生理ですよ、生理。

やっぱね、男も生理になるんですよ。

こう、何と言うか精神的に不安定になるというか、低調というか、そんな時が。

え?カマ?違いますよ。僕はれっきとした女好きですよ。僕はそんな趣味は無いですよ。

あぁもうタルいなぁ。

と、思っていたら、極め付きにバイクでコケた。しかもマジゴケ。あいたた・・・

もう踏んだり蹴ったりというか、泣きっ面に蜂というか、猫に小判というか、もう身も心もバイクもボロボロよ。

それなのに、

「なに?なに?どうしたの足?」

「どうした?びっこ引いて。」

「なに?バイクでコケた?」

もうそっとしておいて下さい(T_T)

昨日「危なげ無い走りが〜」などと豪語しておきながらこの様です。

もう、穴があったら突っ込みたいです。

はあぁ・・・当分立ち直れそうもないです。

 

格好良いとは 2003年10月8日(水)

仕事帰りに峠に寄ることが出来ず、仕方なくとぼとぼとSRXを暖機走行しながら自宅に帰ろうとしてるところへ

後からバイクが追い上げてきた。

追い上げてきたそのネイキッドのリッターバイクは僕を追い抜いて前の車の後にピタリと着いて、

対向車を見計らって追い抜いていった。

その一連の動作、僕が追い抜かれたから言うわけじゃないが、あまりカッコイイとは思えなかった。

「カッコイイ」というのは何とも抽象的で、しかも人によってカッコイイの尺度も違うから一概には言えないけど、

少なくとも僕から見れば、そのライダーは格好良くなかった。

ここで言うカッコイイというのはバイクや、ライダーの服装や容姿などの外見ではなくて、

そのライディングというか仕草なんだけど、無闇に車にせっ突いたり、追い越しする時にオーバーな逆操舵したり、

そのオーバー過ぎるアクションと言うか、いかにもガッツいてる様な感じがして頂けない。

まぁそんな事を僕に言われる筋合いではないだろうけど、先日も高速道路で見かけたリッターネイキッドも同様に

オーバーなアクションとオラオラ状態のライディングで、天気が良くて浮かれる気分も分からなくは無いけど、

それは同じライダーの視点から見てもちょっと恥ずかしいくらいだった。

じゃあ、格好良いライディングって一体なんだろう。

その高速の帰り道、休日の行楽の車で詰まって追い越し車線でも100kmくらいでしか流れていないところを、

不意に後からバイクに抜かれた。

その抜いていったBMWは、車の隙間をスイスイと抜けていって、あっという間に見えなくなった。

決して褒められた行為じゃないし、100kmで走る車の間を縫うのは危険でもあるだろうけど、

とても自然な感じで全然嫌味な感じがしなかった。

オーバーなアクションをすることなく無駄が無く、スムーズに且つ安定感がある走り。

抽象的だけど、一言で言うなら傍から見ていても危なげが無い走り。

それは地味な乗り方で、そんな乗り方をしていても楽しくないかもしれない。

他人がどう見ようが、格好良く見えようが格好悪く見えようが、そんなのは自分の勝手かもしれないけれど、

他人の目を気にしないと言うのであれば、これ見よがしな派手なアクションをする必要も無いじゃないか。

小さなSRXに乗る地味なオッサンライダーは、多分周りに特別意識される事も無いだろう。

でも僕はそれで良いと思う。

周りから特別意識されないということは、周りに溶け込んでいるということで、

周りから浮いてたり危険視されていないということは、危なげがないともいえるんじゃないかな。

ダンディな渋い大人のライダーはTPOをわきまえて、決してひけらかさないのです。

 

慣らし運転 2003年10月7日(火)

我が家に新車がやって来た!やっほーい!

なんて大はしゃぎしなくても既に1週間も前に来てるんだけど、僕は努めて冷静に振舞って、

奥さんは届いて早々「ねぇ、どっか食事に行こうよ。え?行かない?じゃ買い物行って来る!」とウキウキなんだけど、

僕は、え?新車が来た?ふ〜ん。てな感じで、僕はどうでもいいよ。なんせ60点の車だからね。

などと、我ながらなんて天邪鬼なんでしょう。

一段落したところで、そろそろ浮かれても良いかなと、週末に家族で車に乗って買い物に出掛けたり、

車にワックス掛けたりしてみた。

僕は今まで一度も新車を買った事がなくて、バイクも車も中古車ばかりだったんだけど、今回初めて新車を買った。

新車っていうのは、本当に欲しい。心底欲しい。喉から手が出るほど欲しい。だけどいくら欲しくても僕は喉から手は出ないよ。

と、いう位欲しい時に買うもので、キューブごときを新車で買うのは全く不本意だったんだけど、

新型車だから仕方ないというか、新車でもちょっとした中古車並の価格でお買得感溢るる車、キューブを新車で買っちゃった。

しかしいくら60点とはいえ買ったからには大切に愛用したいというか、メカフェチな僕は新車というと「慣らし運転」が気になる。

慣らし運転には賛否両論あるようで、「当然必要」と言う人もいれば「今の車は不要」と言う人も居て、

メーカーの意見でも「特に必要は無いが、あえて言うなら〜」というような意見が大半で、

そうするとやっぱりやらないよりはやった方が良いのかな、と思えるんだけど、

トヨタに至っては「我が社の車は慣らし運転など不要。そんな車は売らん。」と明言してたりして、一体どうすりゃ良いんだ?

大事に長く愛用したいならやはり慣らし運転はやらないよりはやった方が良いだろうと思い、

僕は丁寧な運転を心がけてるんだけど、とあるサイトで見た評論家の意見

「今の日本で普通に運転することが既に慣らし運転だ」

というのが一番的を得てる気がした。

 

ハンディカムとランドマーク 2003年10月6日(月)

秋です。秋と言えば運動会です。

週末は子供の通う保育園の運動会だった。

日頃色々と頑張って練習していたみたいだから、お父さんとしても頑張って応援しなければいけない。

とは言うものの、僕はこの保育園の運動会があんまり好きじゃなくて、

と言うのは園児の競技や演技を見るのが嫌なんじゃなくて

住宅地の中にあるこの小さな保育園、園児の数は250人程居て、その両親が来るとすると+500人。

爺ちゃん婆ちゃんが来るとコレに+αとなって、もうすんごい人ごみになってしまって、

前日から壮絶な陣地合戦が繰り広げられ、当日の朝は車がごった返し、

お前ら歩け。少し位歩け。何が何でも車に乗らなければいけない理由など何一つねーだろ。

と、大人のエゴをまざまざと見せ付けられるのが嫌でたまらないからだ。

だけどそうも言ってられなくて、運動会といえば写真とビデオ撮影というのはもう必須であって、

カメラもビデオも持たずに行こうものならもう父親失格、非国民扱いになってしまう訳で、

僕も普段は面倒でなかなか使わないソニーのハンディカムを握り締めて、

人ごみを掻き分けてビデオ撮影に励む。

20倍ズームは機能的なんだけどこれだけの倍率になるとブレるんだよね。

お父さんは人ごみを避けて腕を目一杯上に挙げて、腕をプルプルさせながら我が愛娘の頑張りをビデオに収める。

父さんも頑張ったよ。お前の頑張りをしっかりとこのビデオテープに収めたよ。

と、思ったら、全然違う子を写していた。

お父さんボーゼン。

奥さんには「なーんーでー自分の子供間違えるかなぁー!?」と散々言われ、

近所の奥さんに「ウチの旦那ねー、全然違う子撮ってるのよー。マヌケでしょー。」と言いふらし、

折角上げた近所の奥さんに対する僕の株は一気に下がって、元の冴えない偏屈親父の地位に戻ってしまい、

自宅のTVに映し出される見知らぬ子供を無言で見る家族。

逆光状態でハンディカムの小さな液晶画面では判断し難いとはいうものの、何で自分の子供すら間違えるんだろう。

僕はもともと人を識別するのが苦手で、例えば髪型が変わっただけでも「あら、どちらさん?」となってしまうくらいで、

以前あるTV番組で「どうして道に迷うのか」という実験をやっていたんだけど、普通は看板とか建物とか

そういう不動の物をランドマークとして覚えるんだけど、道に迷う人は道順を覚える時に何の脈絡も無い物を見ていたりして、

それが人物が対象でも同じことが言えるんじゃないだろうか。

僕は人の全体的な雰囲気でしか識別していないから、少々外見が変わって雰囲気が変わってしまうと識別できなくなってしまう。

例えば保育園の先生などは、一目見ただけで「あ、○○ちゃんのお母さん、こんにちは。」などと覚えてしまうけど、

そういう人達は、人のどの部分を見て個人の識別をしてるんだろう。

とは言うものの、いくらなんでも自分の子供は間違えないよね。

僕は頑張ってビデオ撮影しても父親失格だった。

 

中古車 2003年10月5日(日)

最近ボチボチと僕宛に届くメールが増えてきたと思ったら、ほとんどがいかがわしいメールで、

全くもって迷惑なだけで全然以前と変わってないというか、余計に悪化してるだけなんだけど、

そんな時、ある人からメールが届いた。

それは僕が去年譲り受けたDR−BIGの、以前のオーナーからだった。

僕が手に入れたDRの経歴と、そのオーナーが所有していた期間の整備内容の詳細が記されており、

以前エンジンをOHしたのも、オーリンズのサスを入れたのも、ステンメッシュのブレーキホースに替えたのもその人で、

6万km以上走らせてきたのもその人だった。

僕はこのDRの6人目のオーナーで、その人は3人目のオーナーだったそうだ。

僕はとても嬉しかった。

その人の整備内容はとても丁寧で几帳面さがうかがわれ、そしてバイクに対する愛情が感じられた。

細かな所に気を配り、そしてお金も掛けて、このDRのコンディションを維持しきてきたのだ。

そして手放してからもう随分経つというのに、いまだにかつての愛車の事を気に掛けてくれている。

自分の手放したバイクの行く末を知ってる人が一体どれだけ居るだろう。

手放してしまったバイクのかつての整備データを大切に保存している人がどれだけ居るだろう。

手放す時に考える事といったら「どうやって高く引き取ってもらうか」くらいで、

ほとんどの人は手放すと決めた時点で愛情も薄れてしまって丁寧に扱う事も無いんじゃないだろうか。

僕も何台かのバイクを乗り継ぎ、その時その時は大切にしてきたけれど、手放したその後の事までは知らない。

今何処でどうしているのかも分からない。

中古車というと以前使っていた人の使用感が感じられるなど嫌な面が多いんだけど、

こうして大切に、丁寧に、でももったいぶらずにしっかり走らせてきたバイクを得る事が出来たのはとても幸せだと思うし、

そしてそれはこのDRにとっても幸せなことだったと思う。

僕は初めて思った。

中古車って良いな、と。

 

更新 2003年10月4日(土)

今年の5月頃からほぼ毎日書き始めたこのつぶやき。

毎日毎日書くからには、調子よく筆が進む日もあれば全然書く気にならない日もあって、

ただ「毎日書く」と決めたからには書かなくてはいけないという自らに課した課題のために書き続けていて、

でもその書かざるを得ない状況が、自分にとって何らかのプラスになるんじゃないかと思っていたんだけど、

時々ちょっと考えさせられる事もある。

書きたい時だけに書いてる訳じゃないから、当然書きたい事ばかり書いてる訳じゃないというか、

書きたい事が思い浮かばない時もある訳で、でも何かは書かなければいけなくて、

そんな時に書いた文章というのは自分が後から見ても重みが無い軽薄な言葉でしかない。

読む人が読みたいと思う事だけを書くつもりはないというのは以前も書いたけど、

読者にウケる文章というのはプロのライターがする仕事であって、

僕が片手間に更新し続けるこのつぶやきは完全な自己満足だけのものであるから、

まずは自分自身が納得出来る文章を書くことが目標。

だけど最近のつぶやきって何だか只のネタ帳みたいになってしまって、

それが果たしてどれだけ意味のある事なんだろうと思えてしまい、

毎日更新という割に只只意味の無い軽薄な日本語を書き流す事に、どれだけの意味があるんだろう。

僕が本当に書きたい事、僕が納得出来る文章は、この毎日毎日書きなぐられた膨大な文章の中の何割なんだろう。

そうすると「毎日更新」することに一体どれだけ意味があるのか?ということになり、

それなら毎日ではなく、以前のように書きたい時に書くというスタンスに戻した方が良いのかもしれないとも思える。

何の制約も無くダラダラと書き流す事は無意味なことかもしれない。

でも制約を受けてダラダラと書き流す事も、無意味なことかもしれない。

だけど、そういう無意味な制約を受けて書き続ける事から何か自分にプラスになる要素が発見できるんじゃないか?

そう思って僕は今日も更新し続ける。

 

勝敗 2003年10月3日(金)

朝晩は随分と涼しくなって、それにつれて日暮れも早くなって、仕事帰りに峠に向かう頃には既に日が沈んでたりするんだけど、

そんな中SRXを走らせてきた。

デコボコシマシマの続くワインディングロードを明るいうちに走るにはもう時間的に厳しくなってきて、

僕は近めの最初の頃走っていた走りやすい道でSRXを走らせる。

軽トラックや地元の車、あとはゴルフ帰りの高級車くらいしか通らないその道で、

僕のSRXを追い上げてくるバイクのヘッドライトに気付いた。

流してるとはいえ、僕も完全に手を抜いてる訳でもなく、自分の能力の7〜8割くらいは出してるはずで、

この7〜8割位が一番楽しく走れるペースでもあり、また、そこからフルに走っても案外それ程ペースは上がらないもの。

右手を上げて左に寄り、追い上げてきたバイクをやり過ごしてみると、僕の右を駆け抜けていったバイクはCBR250だった。

速い。結構速い。スロットルを放して落ち込んでしまったSRXのエンジンを再び立ち上がらせた頃にはかなり離されてしまっていた。

コーナーも速い。SRXをフルスロットルにしたのは8月にあにーさんのドカと走って以来だけど、それでも差が縮まらない。

思えば250とはいえ40馬力そこそこのパワーと高剛性なフレームにしっかりとした足回り、強力なブレーキを備えていて、

SRX−6に引けを取らないというか、フルに走ればいい勝負になるのかもしれない。

そんなCBR、やっと追いついたと思ったら、右折の為に減速しただけだった。

うぅむ、CBRに負けたよ。速いよCBRの彼。

なんて事を思いながら帰途に着いたんだけど、僕はCBRに負けたことよりも、

相変わらず「勝った負けた」と言っている自分にガッカリした。

そういう事に悟りを開いたからシングルに乗っているんじゃなかったのか?

「バイクの速さ」って一体自分にとってどれほどの意味があるというんだ?

カテゴリーもレギュレーションも無い公道を走るバイク同士に、勝敗など有り得ないのに。

ワインディングを走ることが楽しいのであって、誰かに勝つことが楽しいわけじゃないはずなのに。

僕はいまだに青臭かった。

日暮れが早くて、そろそろ仕事帰りにワインディングを走るのは限界みたいだ。

しばらく頭を冷やすには丁度良いのかもしれない。

 

ぐるぐる 2003年10月2日(木)

僕は普段酒は飲まない。

別に飲めない訳じゃないけど、好き好んで飲みたいと思う程酒好きでもなく、機会があれば飲む程度。

昨夜は近所の神社の祭りの後片付けがあり、この祭りの準備のお陰で僕は日曜日のミーティングに

遅刻する羽目になり、準備があるからには当然片付けもある訳で、それが昨夜なんだけど、

仕事してる身としてはそうそう都合良くは行けなくて、奥さんに行ってもらうことにしていた。

仕事から帰ると奥さんが居なくて、あれ?車は有るし、何処行ったんだろう。家出?

なんて思ってたら、その片付けに行ってるだけで、あぁ良かった。じゃ風呂でも入って飯食うか。もう腹ペコだし。

と、パンツ脱いで掛け湯したところでふと「あ、オレ班長じゃん。遅れてでも顔出さなきゃいけないじゃん。」と、

いそいそと風呂から出てパンツ履こうと思ったら既に洗濯機の中で水浸しになっていて、

僕はやむを得ず汚れた体で新しいパンツを履くという冒涜行為を犯し、慌てて神社に駆け込んだ。

既に片付けは終わっていて、ご苦労様でしたのお神酒が振舞われていて、

「おぉ、ご苦労様。まぁ一杯。」と、全く片付けもしてなくて全然ご苦労じゃない僕は湯呑み茶碗で日本酒を頂いた。

僕は日本酒好きじゃないんだよね。というか、酒自体がそう好きじゃないんだよね。出来れば軽いビール程度にしといて欲しい。

なんて事言えるはずもなくて、そもそもお神酒の振舞い酒なんだから無下に断ってはバチが当たるってもんで、

仕方なく仕事帰りでまだ夕食前の空きっ腹に日本酒。

あははははー、なんかぐるぐるしてるよー。気ぃー持ち良いー。

僕はたった湯呑み一杯の日本酒でホワホワして、子供に抱きついたりチューしたりして、

典型的なウザい酔っ払いオヤジになりきって、でも理性は一応残されてて奥さんにそんな事すると

ブッ飛ばされるのが分かってるから奥さんには絶対にそんな事はしなくて、居間でグダグダしていた。

たまには酒も良いかもしれない。

だけど、ぐるぐるしながらも「明日のつぶやき何書こう」と思ってる僕は、まだ酔いが足りないみたいだった。

 

野望 2003年10月1日(水)

昨日、奥さんは近所の奥さん連中とお食事会に行った。

奥さんが集まればいろいろと話も弾むようで、そんな話を僕は奥さんからかいつまんで聞いていたんだけど、

近所の方々は皆個性的で、話を聞いてるだけでも抱腹絶倒だった。

そんな話の最後に奥さんが「近所の奥さんには(僕の)評価が高かったよ。子煩悩で家庭的だってさ。」

と言っていた。

そりゃそーだろ。今まで我慢して「良い旦那さん」「良い父親」を演じ続けてきたんだからね。

そう、僕は後からじわじわと効いてくるボディブローの様な、スルメの様な、

そう言えば僕は昔から100m走は苦手で、だけどマラソンは得意で、

スプリントレースよりもエンデューロの方が性に合ってたりして、なんかこれだけ書いてるとすごく地味というか、

存在感が薄くて「あれ?居たの?」ってな感じだけど、「今まで気付かなかったけどよくよく見たら結構イケてるじゃん?」ってな感じの

言ってみればいぶし銀のような渋い大人のダンディなおっさんなんですよ。はっはっは。

先日楽しみにしていたミーティングも終わってしまい、僕は目下の目標を失ってしまって生きる気力が失せてしまっていたんだけど、

ここに来て俄然やる気が出てきた。

そうそう、僕には「つぶやき人妻ミーティング」を開催するという大いなる野望が有ったのをすっかり忘れてた。

近所の奥さん連中を虜にしたこの渋い大人のダンディズムで、世の人妻を魅了するのだ!

そして人妻ミーティングを開催してウハウハするのだ!

と、思ったけど、バイクミーティングですらロクに人集め出来ない僕は、どう考えても人妻を集めるのは無理だと思った。

 

戻る

inserted by FC2 system