こときちのつぶやき

2003年 11月

職人と1,300円 2003年11月30日(日)

いい加減に限界に達した髪を切りに床屋へ行った。最近近所にまた新しい安い理髪店が出来て、安い上に少々若向けな感じの店構えだったので、これならどの店員さんに当ってもオッサン頭にされる事は無いだろうと、その新しいお店に行く事にした。

そのお店の料金は、男性のカットで1,300円。洗髪や髭剃りは無いけど、市価の1/3くらいじゃないだろうか。とっても安い。女性店員が3人くらい、男性店員が1人という構成の中で僕は見事に男性店員に当って心なしかガッカリしながら椅子に座り、メガネを外してぼんやりとしか見えない鏡を眺めてウツラウツラしながら思った。理容料金のほとんどは技術料なんだろうな。要は人件費だ。抑えようと思えばいくらでも抑えられる部分でもある。でも、理容組合によって過度に保護される料金もどうかと思うけれど、逆に技術料を極限まで圧縮する事もどうなんだろう、と。

不景気で、企業はどこでもコストダウン、経費削減には躍起になって、特に製造コストに占める人件費の割合は高く、機械で出来るものは機械に任せた方が合理的ということで、機械化、自動化が激しい。だけど本当に良いのかな、それで。製造コストを抑えるために企業は生産拠点を海外に移し、製造ラインも自動化。それで日本に居る人は何も出来ない人って事にはならないんだろうか。機械化、自動化は確かに誰が操作しても同じように均一な品質の物が製造されるんだけど、そこには何の経験も技術も要らない。極端に不良な物は出来ない代わりに、とても優れた物も生み出されない。そして経験や技術が必要なことが、後々に受け継がれていく事も無くなってしまうんじゃないかな。そもそもが大量生産、大量消費を目指してきたがゆえに生じてきた事で、それは経済を成り立たせていく上では仕方ない事なのかもしれないけど、でも3Kを忌み嫌う風潮もあって、かつて職人と呼ばれた人たちは急激に減りつつあるような気がする。利益を優先させるあまり、つまりは金が全てだという風潮が蔓延ってしまって、そういう事に対しての評価がとても軽んじられてる気がする。

手際よく切られていく僕の髪。それは1つの職人技でもある。その対価が1,300円。良いのか悪いのか。少ない僕の小遣いから見れば良いことなんだろうけど。

 

30 2003年11月29日(土)

子供の頃、30代の自分が想像できただろうか?子供の頃は、20で大人、30過ぎればオッサンという意識しか無く、30過ぎの自分など想像できなかったし、想像すらしたくなかったのかもしれない。容姿だけじゃなく、家庭や仕事など自分を取り巻く環境や、物事の考え方まで想像する事なんて出来るはずも無い。やがて20を過ぎて一応世間的には大人の仲間入りをして、さてもうすぐ30になろうかという時、自分が三十路になる事に対してすごく抵抗があった。ついに自分もオッサンの仲間入りか、と。だけど29から30になった途端に一気に老け込むとか、見る見る体力が衰える訳じゃなく、ただ普通の日常の延長に30代があるだけで、しかも子供が小さくてバタバタしていて慌しい毎日だったから、ふと気が付いた時にはもうすっかりオッサンの仲間入りしていた。

少し落ち着いて、改めて自分の30代を考えた時、案外30代も悪くないなと思えた。いや、悪くないと言うよりは、30代こそ良い年代なんじゃないかと。10代20代は当然若くて活きが良くて行動力もみなぎっていて、確かに勢いがある。だけど甘い。勢いだけでは上手くいかないという事を知っている30代。例えば今33の自分が23の頃の自分に対して羨ましいかと言えば、僕は羨ましくない。若いだけで世間知らずで、今でも世間知らずだけど更にもっと世間知らずで、今思えば目を覆いたくなるほど青臭かったあの頃の自分は羨ましいとは思わない。歳と共に勢いは衰えているものの、勢いと落ち着きを程よく兼ね備えている、考え様によっては一番良い時期と言えなくもない。

さて、落ち着きと、ある程度の勢いを兼ね備えた今の僕に、1つ足りないものがある。

お金無いです。

奥さん、そろそろボーナスの時期なんですけど・・

 

あいえす! 2003年11月28日(金)

なんかねー、ついつい新しい物が欲しくなるんだよねー。携帯って。あいえす!ごーまるごーあいえす♪・・って思わず歌いたくなっちゃうね。僕はTU−KAユーザーだけど。話せりゃ良いじゃん。電話なんだし。っていう、とても天邪鬼で冷めてるTU−KA。その通りです。会話とメールが出来れば僕は不自由無いのです。というか、掛かって来ないし、メールも来ない。掛けることもない。ほとんど緊急用でしかない僕の携帯。緊急用と言いながら、事故で転がってる時でさえ頑なに使わなかった僕の携帯。相手が悪い事故なのに、何でオレが通話料払わなきゃいけないんだよ!って。非常にセコいです。だけど、あいえす!ごーまるごーあいえす♪・・って歌いたくなっちゃうね。

そんなとっても無意味っぽい僕の携帯、一応カメラ付きなのです。10万画素程度だから非常にショボい画像しか撮れないけど、それでもちょっとしたスナップ程度には使えるし、後で画像サイズや圧縮作業等の手直しをしなくても済むから、例えば日々のつぶやきに画像を添える等、考え様によっては結構使えるんじゃないかな。無意味な携帯を活用するチャンスだ。それに子供の画像がだんだん溜まってきてるし。子供の画像を消すのは忍びないんだよねー。でも携帯からPCにデータを移す手段が無い。いちいちメールに添付してたら、それこそパケット代がいくら掛かるかも分からないし、膨大な時間が掛かる。そこで、PCで携帯を管理出来るソフトを物色してみたけど、使える物が無い。携帯管理ソフトも有れば便利で、アドレス帳の編集や保存、メールの保存、それにカメラで撮った画像の保存が出来るから、もし万一携帯が壊れてしまってもデータがパーになる事は免れるんだけど、何故かTU−KAのTT21には対応していない。TT21で使える機能はアドレス帳の編集くらいで、カメラ画像には対応していないというか、対応表を見ると「カメラ機能が無い機種です」となってる。そんなバカな。僕の携帯に付いてるカメラはカメラに非ずとでも言うのか。しかし、どこのソフトメーカーも対応していない。とてもTU−KAユーザーを軽視した姿勢がうかがえる。非常に不愉快だ。あいえす!ごーまるごーあいえす♪ あはははは・・この画像データ、どうすんだよぅ!

 

回るお皿に思うこと 2003年11月27日(木)

家族で食事に出かけた。

週末は仕事頑張ったし、給料も出たし、ちょっと外食でもしてみましょうか。

そこで、お寿司屋さんに行った。くるくる回るお寿司屋さん。

ところで、僕は生魚は嫌いだからお寿司も生魚系は食べられない。

みんなが泣いて喜ぶトロとかウニとかイクラとか、全然食べたくない。

奥さんとお義母さんが喜んで食べる横で、僕はサラダ巻きを食べる。

僕の脇には安いお皿が重ねられていく。

きっとみんな「あぁ、お父さん頑張ってるのね(涙)」と、思ってるに違いない。

いや、違うんだよ。このツナ巻きんまいよ。ほんと。サラダ巻きもんまいよ。

お父さん、なんて経済的なんでしょう。

 

連休の正しい過ごし方 2003年11月25日(火)

今更だけど、世間では3連休だったらしい。この連休、みんなお出掛けしたのかな。紅葉を見に行こうよう、なーんつって。僕は何をしていたかというと、22日(土)は仕事。でも結婚記念日だから定時ですぐに帰るもんね。帰りに予約しておいたケーキとお花を持って帰るんだもんね。給料日前でマジにキツくて財布の中にお札が無くて、僕はお花の代金を払う時に小銭をかき集めて支払った。もうヒヤヒヤしたよ。前日にうっかりあぁ女神様27巻を買ったのが間違いだった。

そんな微妙に素敵な結婚記念日をささやかな幸福感に満たされながら過ごしている時に、僕宛に電話。あら、こんな夜に誰からかしら?なーんつってね。僕宛の電話は会社からと決まってる。チクショー。帰宅したのは午前3時過ぎだった。

寝不足でパワーダウンな23日(日)。奥さんも体調が良くないみたいで不機嫌だった。でも子供は元気。土曜日もお利口におうちで遊んでたんだから、今日くらいは遊んであげたい。でも奥さん不調。やむなく僕は娘2人を連れて近所の公園に散歩。木々が紅葉して綺麗だねー。なんて言いながら寒い。そそくさと帰宅。折角のお休みなのに、あんまり遊んであげられなかった。でも明日があるさ。

沢山寝て、連休の最終日24日(月)。さぁ、今日はパパ頑張っちゃうからね!と思ったら、起床直後に僕宛の電話。あら、こんな朝から誰かしら?なーんつってね。僕宛の電話は会社からと決まってる。チクショー! たまにはギャルから掛かって来いっつーの。いや、それはそれで問題だからやっぱり良いです。僕宛の電話は要りません。仕方なく僕は予定外の会社で頑張る。子供が待ってるからね。パパは頑張るよ。走る!走る!普段はのんびり歩いてるのに、今日は走る。でも帰宅できたのは昼過ぎだった。なんとかかろうじて子供の相手をすることが出来た。

あぁ、散々な週末だったよ。もう寝よう。と、子供と一緒に早く床に着いたら、僕宛の電話。あら、こんな夜更けに誰からかしら?なーんつってね。もう、まいっちゃうね。出来る男は辛いね。と言ったら、奥さんに「普段出来てないから壊れるんでしょ?」と言われた。はい。ごもっともです。だけどね。週末の日中に仕事に出掛けるのは辛いんだ。子供に期待させておきながら、寂しい思いをさせるのは辛いんだ。深夜なら僕が我慢すれば済むけどね。だから週末の日中は電話が来ない事を祈るんだよ。世間は連休だと言うのに。

 

運命のひと 2003年11月22日(土)

運命の人検索サイトによると、僕の運命の人は富山県在住の30歳の爬虫類研究家の女性H・Uさんらしい。H・Uさん。上野ひろこさんだろうか。それとも宇野ひろみさんだろうか。もしかして、うっかり八兵衛とか(違)。それにしても爬虫類研究家って何だよ。ヘビとかトカゲとかの話を切々と語られたりするんだろうか。それとも僕は爬虫類並って事だろうか。まぁ冗談なんだろうけど、そもそも運命の人って一体何なんだ? 思考や嗜好が自分と同じ人だろうか。でも全く正反対でも、相性の良い人だって居る。でも単なる相性の良い人って訳でもないような。じゃあ、望むもの全てを受け入れる人?そんなバカな。召使いじゃないんだから。運命の人=都合の良い人ではないはず。互いに歩み寄る事も、譲歩する事もせずに「運命の人じゃない」なんて言うのは、どうも違う気がする。

「運命」と言うからには、そこには個人の力の及ばない、何か人の力を超越した所に存在するものだろうか。それが恋人とか夫婦とかそんな間柄に限定しないなら、肉親は運命の人と言えるかもしれない。両親も兄弟も自分で選り好みした訳じゃなく、それは生まれ持ってのもので、自分の力ではどうする事も出来ない存在だから。でもそれが恋人とか夫婦となると、必ずしもその人でなければいけないという絶対的なものは何も無い。どんなに素晴らしい相手でも、どんなに相性が良い人でも、その人が絶対であるという保障にはならないし、ひょっとすると今後もっと素晴らしい相手が現れるかもしれないし、また、どんなに選り好みしたところで完全な、全く非の打ち所が無い人など居ないかもしれない。例えどんな相手を選ぼうとも、必ずある程度の歩み寄りと譲歩が必要であるとするなら、この世の中の全ての異性が運命の人に成り得るのかもしれない。

運命の人とは思わなかったけれど、確かに僕は7年前「この人とずっと一緒に暮らそう」と思った。正直、相性は良くない。合わない所だらけだ。それでもいさかいながら、時々歩み寄りながら、頻繁に譲歩しながら、僕らは暮らしている。それが正しいのか間違ってるのかなんて現時点では分からないけれど、それほど間違ってるとも思えない。そしてそこから新たに運命の人である2人の娘が存在する。僕の奥さんは「運命の人」と言い切ることは出来ないけれど、間違ってはいないとも言えるんじゃないかな。

7回目の結婚記念日、おめでとう。

 

僕の指先に込められる思い 2003年11月21日(金)

次女の風邪が治ってホッとする間もなく、今度は奥さんが「腰が痛い」と言い出した。「それは太り過ぎが原因じゃないの?」と言いたかったけど、洒落にならないからやめた。しかし腰が痛いと言われても僕は外科医でもなければ整体師でもないからどうしようもないんだけど、男は「仕方ない」とか「どうしようもない」と言ってはいけないという決まりがある。子供が熱を出すと大騒動して丁重に介抱するのに、奥さんだと「放っときゃそのうち治るよ」ではいけない。危険だ。そんな事を口走ったら自宅の居間に戒厳令が敷かれてしまう。だから僕は「腰、揉んでやろうか?」と言わざるを得なかった。

もみもみする。肉付きの良い奥さんの腰の辺りをもみもみする。はぁふぅ言いながらもみもみする。1日の仕事を終えて帰宅した僕が、1日子供とゴロゴロしていた専業主婦の奥さんの腰をもみもみする。大きなお尻を眺めながらもみもみする。よいしょ。よいしょ。この。この!このっ!この尻か!僕が敷かれてるのは!

「あいたたた!ちょっと強過ぎる!」

あぁ、ごめんごめん、無意識に力が入っちゃったよ。

 

100円とパフォーマンス 2003年11月20日(木)

先日買った100円ショップのPCゲームに気をよくした僕は、他のゲームも物色してみた。結構種類があるんだよね。その中で面白そうなアクションとRPGを買って、会社のPCに入れてみた。いや、別に仕事中サボッて遊ぼうなんて思ってないぞ。昼休みにでもやろうかなと思ってるだけだぞ。なんせ100円だし。

ところが動かない。何だよこれ。なになに?DirectXのバージョンがなんたらなんたら?ようやく動いたアクションゲームは、動きが凄くまったりしていてイライラして、とても遊べる代物じゃなかった。

じゃあRPGにしよう。これならそんなにCPUのパワーは食わないだろう。と、思ったら、サウンドの設定でコケて動かない。起動すらしない。ムカッ!

100円返せ。いや、200円返せ。と、言う前に、たかが100円のゲームの推奨環境すら満足させられないPCに泣けた。と言うか、100円ゲームのくせに要求するパフォーマンスが高過ぎじゃありませんか?

 

案ずるより寝て待て 2003年11月19日(水)

次女が熱を出した。子供は風邪ひきやすいからね。季節の変わり目ならなおさら。熱はあるけど昼間は熱も下がって比較的元気だから、2、3日すれば治るだろうと思ってたのに、なかなか治らない。夜になって奥さんが「どうしよう?」と言い出した。熱がある。息が浅い。目がうつろ。って言い出すんだ。そんな事言われると、楽観していた僕も心配になってきた。どれどれ、うわっ!熱が40度近くもある!はぁはぁと苦しそうだ!ぐったりしてる!どうしよう!どうしよう!救急行こう!今すぐ行こう!でも急患が入ってすぐには診てもらえないらしい。どうしよう!どうしよう!そうこうしてる間に子供の容態も落ち着いてきて、僕はまるくうずくまる子供の周りをウロウロした挙句、子供が寝たから奥さんに押し付けて僕も寝た。

翌日熱も下がって元気になった。ほら、やっぱり放っておけば治るじゃないか。果報は寝て待てって言うだろ。いや、案ずるより生むが易しか。そんな事を言ってられるのも、何事も無かったからなんだけどね。これからも幾度となくヒヤヒヤさせられるんだろうね。

 

逆上がりと挫折 2003年11月18日(火)

公園へ行くと、娘がうれしそうに鉄棒に駆け寄る。回りきれない前回りをして喜んでる。ちっとも回れない逆上がりをして喜んでる。ほら、パパを見ててごらん。こうやって思い切りやるんだよ。

頑張って、それが出来るようになると嬉しいんだよね。世の中には頑張れば出来る事が沢山ある。でも、頑張っても出来ない事も沢山ある。思い切りが足りなかったり、頑張りが足りなかったり、どんなに努力しても不可能だったり。これからお前はそういう挫折を何度味わうんだろう。だけどね、挫折する事はダメな事じゃないんだよ。そこからまた進めば良いんだから。

そう思いながら、僕は逆上がりで回りきれずにブラブラしてたんだ。

 

安全確認 2003年11月17日(月)

先週、フォークリフトの技能講習に行ってきた。フォークリフトの運転免許というか、運転資格。リフトを公道で乗るには小型特殊、もしくは大型特殊免許が必要だけど、例え工場の敷地内でもリフトに乗るには資格が要る。僕は今の会社に入って既に7年くらい経っているんだけど、絶えずリフト作業に従事してる訳でもないので免許が無くても困るほどでもなく、でも最近フォークリフトの死亡災害が多発してるものだから「ぜひとも資格を取らせて下さい。」と上司にお願いしてみたものの、考えても見ればそれは会社側が「ぜひとも取りに行ってくれたまへ。」と言うべき事なんだよね。無資格で業務をさせて事故が起これば、会社の管理不行届きになるんだから。

そのリフト講習、昔は学科1日、実技1日の2日間で取れたらしいけど、今では学科1日実技3日の4日間も掛かる。だけどほぼ100%の合格率らしいから、「はいはい。」と言われるままにやって、時々居眠りしてれば最終的には免許がもらえる。面倒なのは3日間の実技講習で、最終日には試験があり、決められたコース内を決められた手順に従って走ったり荷物を移動させたりして、制限時間も8分以内と決められている。でも正直なところ、どれだけ速く出来るかとか、荷物を上手く移動させられるかなどは大して重要じゃない。もちろん基本的な操作は的確に行える必要はあるけれど、扱う荷物はこんな整った物ばかりとは限らないし、環境も違えば乗るリフトも違う。講習の場でいくら上手くても意味が無い。一番重要なのは「安全確認ができるかどうか」であって、実際に起きた災害事例にしても、ほとんどが「やってはいけない事」をやって起こるべくして起きた災害であり、その時に「危ない事をしている」という危険意識が欠如していた事が問題なんだ。リフトの操作の上手い下手は問題じゃない。

だから僕はタイム的にはハンデになるにしろ、安全確認だけはしっかり指差しして行った。にも関わらず、教官は僕の練習中に不意にリフトの後にパイロンを置き、「ほら、しっかりやってる様で見てない。」とおっしゃる。他の連中はどうなんだよ!ロクに指差さないヤツも居れば、全然後向いてないヤツだって居るじゃないか!それをとがめる事もなく、なんで真面目にしっかりやってるオレの時に置くんだよっ! とムカついたけれど、しっかりやってるにも関わらず見落とした僕が悪いんですね。すみません。

その後僕は、不意に障害物を置かれても即座に対応出来るように今まで以上に安全確認を行ったけれど、大半の人はタイムを気にするあまり相変わらず適当な安全確認しかしていなかったし、最後までそれを注意される事も無かった。別に僕らはレースをしにここに来てる訳じゃない。荷を抱えた状態では身を乗り出さなければ前方の安全確認は出来ないし、しっかり後を向かなければリフトの死角まで確認する事は出来ない。結局、事故が多発するから講習日程を引き伸ばしましょう、試験内容を複雑にしましょう、という安易な考え方しかされていないんだろう。こういう講習内容で、こういう教え方を続ける限り、日程が1週間になったって災害を減らす事は出来ないと思った。「見ているようで見えていない」という事を実感出来た僕が、あの40人の受講者の中で一番有益な時間を過ごせたと思う。

 

イルミネーション 2003年11月15日(土)

我が家の玄関にクリスマスツリーを出した。去年のクリスマス直前になって「あぁクリスマスツリー買おう!」と奥さんが言い出して、でもそんな直前になってツリー売ってる店など何処にも無くて、既に店内のディスプレイはすっかりお正月ムードになっている中、かろうじて手に入れた処分特価クリスマスツリー。キラキラな飾り物が沢山ついてて、チカチカ点滅するカラフルな電球が40個もついたクリスマスツリー。子供は喜んで飾り付けして、もう1月もするとクリスマスだね。

クリスマスってどうしてこうも浮かれるのかよく分からないけど、なにかと否定的な意見を口にする人も中には居る。誰がどんな考えを持っていようが他人に迷惑を掛けなければ一向に構わないんだけど、僕も「ねぇねぇ!クリスマスってすっげー楽しいよな!お前もテンション高いだろっ!?」なんて押し付けがましい事を言うつもりも無いと言うか、そんなにハイテンションでもないんだけど、逆に「何で仏教徒の国でクリスマス祝うんだよ。」なんて冷めた意見を押し付けられたくも無い。

確かにね、どうしてクリスマスにケーキを食わなきゃいけないのか?とか、子供はともかくどうして恋人にプレゼント買わなきゃいけないのか?とか、どうしてバーゲンやるのか?とか、どうして何処もかしこもピカピカのイルミネーションだらけにしなければいけないのか?とか、意味不明な事も数多くあるけれど、だけどね、僕はそんな事はどうだって良いと思うんだ。だってこんなに子供が楽しそうにしてるじゃないか。それだけで充分じゃないか。

http://www.hirax.net/dekirukana2/xmas/index.html

ここにサンタクロースの科学的検証が記されている。我が家の子供たちも幼い頃のクリスマスの思い出を抱き、大きくなった時に次の世代に受け継いでいくんだろう。

 

身を寄せ合って 2003年11月14日(金)

会社から帰宅すると、長女が奥さんに怒られていた。奥さんの気持ちも分かるけど、「家を出て行け」はちょっと言い過ぎのような気が。

長女を寝かしつけて、さて僕も寝ようかと思ったら、今度は次女を放り出してしまった。泣きながらヒヨコのオモチャとハンカチを持って、長靴を履いて出て行こうとする次女を抱えて、長女の寝る寝室に連れて行く。あはは、笑い事じゃないけど、2才の子供が長靴履いてこんな夜更けに何処に行くんだい? きっと眠たかったんだね。ヒヨコのオモチャを握り締めながら、まるくなってすぐに寝てしまった。

きっとママは生理で荒れてるんだよ。そんな時は、家族3人身を寄せ合ってひっそりと過ごそう。きっと明日はみんなが大好きな優しいママに戻ってるだろうから。

 

マジンガー 2003年11月13日(木)

自宅の食卓でチャイルドチェアを使っている。正式名称は知らないけれど、とにかく食事の時に幼児を座らせる椅子。小さな子供では食卓の椅子に座るとテーブルが高過ぎてまともに食事が出来ないから、テーブルと丁度良い高さになるように少し高めで、子供が落ちないように囲まれている椅子。鉄パイプで出来た物や木製の物、テーブルの天板に取り付ける物など色々あるけれど、ウチでは木製の物を使っている。そのチャイルドチェアに子供を抱っこして乗せる時に、いつも叫ぶんだ。心の中で。

「パイルダーオン!」

きっと世のお父さんはみんな叫んでるに違いない。

 

ダイソー 2003年11月12日(水)

あのさ、ちょっと聞いてよ。

100円ショップ「ダイソー」でね、ゲーム買ってきたんだよね。PC用の。

それがさ、すげー面白いのよ。100円のくせして(正確には前編100円、後編100円)。

最初はさ、バカにしてたのよ。どうせ100円だからって。

まぁ100円ならすぐに終わるだろうしね。ゲーム買ってものんびりやってる時間無いしさ。

ところがさぁ、ダイソー侮り難し!な訳よ。

僕がPC8801mkUで遊んでた頃なら6800円はするね(何と比べとんのや)。

まぁ6800円は誉め過ぎだけど、100円のクオリティは凌駕してます。

ちょっとねぇ、ダイソーの底力を感じたね。僕は。

お陰で毎日寝不足が続いてます。

ちなみに、つぶやきの更新が滞ってるのは100円ゲームのせいではありませんのであしからず。

 

情熱 2003年11月6日(木)

本屋で雑誌をあさっていると、MOTO GUZZIの雑誌を発見。一冊丸々グッチ関係の雑誌。ドカやハーレーはありがちだけど、グッチまで出てくるとは世間ではそれなりにメジャーになりつつあるのだろうか。

そのGUZZI本、ペラペラとめくると、峠で赤いグッチをフルバンクさせる写真が現れた。うを!かっくいい!すげーかっくいい!グッチで膝擦ってるよ!あぁグッチ買おう。今の僕に足りないのは情熱だ。真っ赤なルマン買おう。真っ赤なグッチでラテンの血を呼び覚まそう。いくらなんだ、グッチ。150万円か。キューブより高い。やっぱりDR直そう。同じ赤だし。

僕にはラテンの血は流れてないみたいだ。

 

エンジンをかけよう 2003年11月5日(水)

毎日があっという間に流れていくよ。朝、目覚ましを止めてやっとの思いで布団を抜け出し、仕事に流されて、帰宅して飯食って寝る時間。人生に絶望する程でもないけど、未来は希望に満ち満ちてる訳でもない、中途半端な日々。マニフェストよりも、明日の元気を下さい。やる気が無くても否応ナシに毎日押し流されて、抱えるものが多くなった今は自分1人立ち止まる事も出来ない。

全然抜けなくて途方に暮れていた、エンジンのフライホイールが抜けた。何の変化も無いような僕の毎日。だけどゆっくりと少しづつ変化している。

エンジンを直して旅に出よう。僕のエンジンも掛かりだすかもしれない。

 

問題意識 2003年11月3日(月)

僕はナンパがしたい訳でもないし、メルマガくらいで改善されるとも思ってはいないけれど、自分の至らない点について考察する事は悪い事ではないと思う。問題意識が有るからその対処法も考える訳で、問題意識すら無かったとしたら、変わり様が無いから。

例えば、ある日バイクに乗ったとしよう。貴方は何を思うだろうか。「久しぶりに乗るバイクはやっぱり楽しいな。」とか? その時バイクについて少しだけ注意して乗ってみたとしよう。「何だかスロットルが重いな。」とか、「ブレーキのタッチが悪い気がする。」とか、「クラッチに違和感がある。」とか、感じるかもしれない。そこで感じた事に対して、スロットルワイヤーに注油したり、ブレーキキャリパーを掃除したり、クラッチを調整したりすることでフィーリングが改善されて、より一層楽しくなるかもしれない。だけど問題意識が無かったとしたら、末期的な症状になるまで気付かないかもしれないし、それは本当の楽しさを知らずに過ごしていることになる。

ここでまず、こういう例え話が「バイクの話」でしか出来ないという点が問題であるという事を認識すべきだね。

 

話術 2003年11月2日(日)

その保育参観、次女も連れて来ていて、園庭の砂場で遊んで汚れた手を洗っていると、丁度娘の担任の先生も後片付け中で、「あら、くるみちゃん(次女の名前)、なにしてるの?」と、話し掛けてきた。次女は2才。一応話せるけど、この場合はやはり半分僕に問い掛けてるということなんだろうけど、アドリブに弱い僕は「あ、はぁ、はい。」という何とも間の抜けた返事と愛想笑いしか出来なかった。

別に僕は先生に気に入られたいなどと思ってるわけじゃないけど、せめて世間話の1つや2つくらいは軽く交わせなきゃいけない。まともな受け答えが出来ない様では、話し掛けてきた人に対しても失礼だ。誰に、いつ、何処で話し掛けられても、子供や、ましてバイクにネタを頼らなくても、ウィットに富んだ会話を成り立たせなきゃいけない。そこで、まぐまぐの紹介で見かけたこのメルマガを購読しよう。http://www.mag2.com/m/0000118665.htm 僕は大人のたしなみとして、ある程度の話術は必要だと思っているだけだ。ナンパがしたい訳ではないし、ギャルとの会話を盛り上げたい訳でも無い。断じてそういうヨコシマな感情からではない。決して。多分。ちょっと。

しかし何だかそれ以前の問題のような気がする。メルマガ読んだくらいで会話を盛り上げられたら苦労しないよ。

 

ツボ 2003年11月1日(土)

娘が通う保育園の参観日だったから、僕は本当は今日は仕事だったのに、わざわざ仕事を休んで娘と保育園に出かけた。今度の担任の先生は若くてちょっと可愛いからわざわざ仕事を休んだ訳ではなく、クラスメートの素敵なママさんに見とれる為でもなく、娘が「パパが良い。」というから僕が行くのであって、断じてそういうヨコシマな感情からでは無い。決して。多分。ちょっと。

で、先生が工作物を使って園児にお話をしている時に、ちょっと効かせたフェイントで僕は思わず笑った。

「あははは・・・は?」

子供は笑ってはしゃいでるのに、父兄の方々は皆静まり返ってる。みんな笑わないの?ねぇねぇ、今のおかしいよね。ポケットの中から三角だってさ。あはははは・・・はぁ。どうもおかしくないようです。

僕の笑いのツボは、保育園児レベルだったのか。道理でつぶやきもウケない訳だ。

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