こときちのつぶやき

2003年 7月

 

80km 2003年7月31日

80km。

僕の通勤距離はトータルで80km。

行きが10km。

帰りが70km!?

晴れた日はバイクに乗って会社に行く。

仕事が終わると僕は自宅と逆方向に向かって走り出し、

堤防道路を暖機走行し、信号の右折で気持ち良く右カーブを決めて、トンネルを抜け、

信号が少ない田舎の国道を流して、お目当てのお気に入りのワインディングを目指す。

田舎道だから信号も少なく、それなりに快適なペースで流れるし、

前走車に詰まってもパッシングが容易でストレスが少なく、

仕事帰りのほんのひと時ではあるんだけど、とても充実した時間が過ごせる。

だから実際に距離を測るまでこんなに走ってるとは思わなかったんだけど、

自分でもちょっとびっくりした。

今日も良い天気だった。

今日も気持ち良く80kmコースだな。

と、思ったら奥さんがダウンして会社を休むことになった。

 

戒める 2003年7月30日

新聞の片隅に「バイクとトラックが衝突」という記事が小さく載っていた。

40代の男性が運転するバイクと、対向するトラックが衝突し、ライダーは死亡。

最近こんな交通死亡事故の記事を時々見かける。

以前はバイクの事故といえば二十歳前後の若者の無謀運転というのが多かった気がするけど、

最近のバイクの事故は中年層が多い気がする。

新聞の隅の目立たない小さな記事だけど、その記事の数だけ確実に誰かが死んでいる。

事故の状況は詳しく書かれていなかったから事故原因がライダーの落度によるものか、それとも対向車によるものか、

死亡したライダーがベテランだったのか、ビギナーだったのか、

絶えず現役だったのか、返り咲きだったのかは分からないけど、

大型自動二輪免許が自動車教習所で取れるようになった事に対して今更是非を問う気も無いし、

それ自体が問題であるとは思えないけど、今回に限らず事故の傾向を見ると

それは1つのきっかけではあったんじゃないかと思う。

大型だろうが小型だろうが、バイクである以上はその操縦方法に何ら変わりは無く、体格や体力さえ満たせば

小型が運転出来て大型は出来ないという事は無いと思う。

ただ、運転出来ると言う事が全てじゃないというのは、ある程度の経験を積んだライダーなら今更言わなくても分かるだろう。

大型バイクが速いというのは当然だけど、その車重とパワーによって操縦が難しいという事も忘れてはいけない事であって、

運動エネルギーは質量に比例し、速度の二乗に比例する。

速度が2倍速くなれば、運動エネルギーは4倍に増加し、大型バイクであればそれに車体の重さも加わり、

速度が増せば増すほど極度にコントロールが困難になっていく。

300km/h近い速度で巡航可能なバイクには相応の強力なブレーキが装備されるのは当然の事で、

例えばBMWではテレレバーシステムと前後連動式ABSを備え、どんな状況でも安定した走行が出来る様に

工夫されているんだけど、当たり前だけどそれらは万能ではなく、

どんなに高性能であろうと250kg相当の物体が移動している事実に何ら変わりは無いのだから

自然の摂理からは絶対に逃れられなくて、ブレーキの能力以上の減速は不可能だし、

タイヤの能力以上のグリップは望めないし、能力以上の事をやれば当然破綻する。

どんなにハードが高性能化したところで、それがオートバイである以上は必ず破綻する物だし、

例えそれがメーカー自主規制によって100馬力以下に抑えられてるとしても、

そのポテンシャルを一般道で一般人がフルに発揮するのは不可能に近い。

また、フルに発揮出来れば良いという問題でもない。

操縦が困難なのは一因であって、根本的な問題じゃない。

一番の問題は自分の能力の限界を冷静に見極める事が出来ない判断能力の甘さと、

能力の限界を超えてしまう精神的弱さ。

操る側の問題。いかに自制するか。

「バイクは自由だ」とよく言われるけど、今の交通事情の中で休日に普通にバイクに乗った時、

そこには自由なんて何処にも無くて、ひたすら我慢を強いられることになり、

自由を求めて追い越し、すり抜けを繰り返せば極度に消耗し、危険度を増していく。

ライダーも自分はどれだけのモノかしっかり認識する必要があって、大型ライダーだから偉いとか、

昔はこれでもブイブイ言わせたとか、そんな事は何の意味も成さない。

乗りこなせないなら乗るな。と言っているわけじゃない。そんな事を言ったら僕はバイクに乗れない。

大型バイクに乗る事がステイタスであると考えるなら、セコセコした走り方などせずに堂々とゆっくり走れば良いし、

愛車を乗りこなす事が目的なら、それ相応の装備をし、状況と自分の技量を考えなくてはいけないということだ。

若者に対して中高年の悪い所は他人の意見を聞かない事で、中途半端な経験や自尊心があるから

否定的な意見に対しては何かと反発する傾向にあって、

なにおぅ!ワシのは大型バイクだぞ。大型。ナメるなよ。と意気込むけれど、凄いのはマシンであって、

ライダーが凄い訳じゃなくて、中年ライダーの衰えた身体能力はマシンの性能に置いていかれて、

最後の砦である精神的コントロールが効かなくなった状態は、すなわち自爆を意味する。

そもそも、世の中「自分は大丈夫」と思ってる人が一番大丈夫じゃないケースがほとんどで、

僕は大丈夫。ずっと現役だし、返り咲きじゃないし、大型といってもシングルだし、40馬力しかないし、

だから僕は大丈夫。

と、何の根拠も無く安心するのは単に客観的に自分を見る事が出来ていないだけであって危険だと

自分を戒める為に書いてみた。

 

ツーレポ 2003年7月29日

バイクとツーリングは切っても切れない関係って一体誰が決めたかは知らないけど、そんな様な認識で、

確かにツーリングは楽しいんだけど旅の手段としてのバイクの利用価値って高いようで高くなくて、

積載能力も劣れば天候の影響もモロに受けるし、楽しいのか苦痛なのか良く分からなくて、

傍から見ると一体何やってるんだか分からない面もあるんだけど、

バイク関係のHPには決まってツーリングのコンテンツ、ツーレポが有る。

僕のHPにもツーレポは有るけど、そうそう時間に余裕が無いというか、そうそうお金に余裕が無いというか、

そうそう走れないというか、そうそう修理ばかりしてるというか、そうそう奥さんが怖いというか、

僕のツーレポは見ての通り、そうそう行ってらんねー。そうそうツーリングなんて行ってらんねーって。

僕はツーリング大好き人間じゃなくて、面倒臭がりな性格もあって、あぁ荷物まとめるの面倒。テント張るの面倒。

ご飯作るの面倒。と言うか、ご飯作れません。誰かご飯作って下さい。しょうがないからレトルトにしよ。

こんな事ならウチで怒られながら奥さんの手料理食ってた方がマシだった。

食った後は片付けなくちゃいけないし、あぁ片付け面倒。テント片付けるのも面倒。

こんな事ならユースホステルに泊ればよかった。あ、でもユースの会員証とっくに切れてるよ。

面倒臭がりな僕は食に対しても執着が無くて、遠くに美味い物食いに行きたいなんて思った事が無く、

ツーリング記事に良くある美味しい料理とか、穴場的お店!なんて言われてもさして良いなぁなんて思わなくて、

誰かが先導してボケッとしてても勝手に段取りして連れてってくれるなら有り難いんだけど、

かといってツーリングクラブに合わせる程時間の融通も利かないし、

かといって自分で率先して行くほどの情熱は無くて、ツーリングに出掛ける1つのキッカケとしては

意味のあることかもしれないけれど、僕にとってはどうしても行かなければいけない理由でもないから

僕は面倒だからコンビニで良いです。

なんて事になる訳で、雑誌のツーリング記事や特集を見てもどうせ行けないんだから心躍らないし、

上手くまとめられ、綺麗な写真を添えられた雑誌ですらこんな有り様だから、

素人が書いた他人のツーレポなど僕にとってはどうでも良い。

○○に行って来ました。天気が良くてサイコー! ××で食事しました。××の※※がとっても美味しかったです。

なんてね。良かったね。そりゃ良かった。天気も良くて、食事も美味しくて、そりゃ良かった良かった。

僕はそんな所に行く予定も無いから、そんな事はどうでも良いです。貴方が幸せだろうがどうでも良いです。

ところがこれが、

出掛けようと思ったらパンクしてました(泣)

財布落としました(泣)

山奥でガス欠しました(泣)

バイクを谷に落としました(泣)

なんて事になると、俄然面白い。

あはははは! 他人のトホホ最高!

ツーレポにトホホは必須だ。

もうすぐ世間はお盆休みになる。

これからツーリングに出掛けてツーレポを書くつもりなら、無理してでもトホホるべきだ。

ほら、よく言うでしょ。トホホは買ってでもしろってね。

 

決めかねる 2003年7月28日

悩む。

乗るべきか。乗らざるべきか。

日曜日はまたも仕事というか、講習を受けに名古屋に行かねばならなかったんだけど、今回は晴れた。

前回は雨だったから電車で行くしかなかったけれど、今度は晴れた。

どうしよう。電車で行こうか。バイクで行こうか。

そりゃ当然バイクでしょ!

って思うかい?僕は思わない。だって行き先が名古屋だから。

昔は僕だってバイクに乗る、ただバイクに乗って走るだけで楽しかったし、幸せだった。

訳も無く走り、当ても無く走り、月に1000km以上は走り、特別用事も無いのに雨降りにカッパ着て走り、

どう考えてもこんな日は誰も乗らんだろうという雪の日に走ったり、ほんとバカみたいに走ってた。

あれから随分と月日が流れ、時々「雨の日も乗るのが真のライダーだ」なんて言う人も居るけど、

確かに僕も昔は雨降りでも走ったりしてたけど、今はそうは思わない。

バイクは無理して乗るものじゃない。

気が乗らないときは、バイクは乗らない。

単なる娯楽ではない危険を伴う乗り物なんだから、無理して乗る必要は無い。

もし雨降りでも、何が何でもバイクに乗るのが真のライダーだと言うのなら、

僕は真のライダーじゃなくて良いです。軟弱ライダー(仮)と呼んで頂いて結構です。

僕は称号の為に死にたくはないし、人に褒めてもらう為に乗ってる訳でもない。

そこで名古屋。

世の中の全ての道がクネクネ道、もしくはデコボコ道であったならどんなに楽しいだろう、

なんて思う僕にとって都市部は一番走りたくない場所。

交通量が増せば、事故に遭う可能性だって高くなる。

しかも止まってしまう心配があるバイクで、仕事に行くと。

バイク乗ると疲れるんだよねぇ。血糖値低いし。前傾姿勢は腰にクるし。翌日は仕事だし。

どうしてもバイクで行かなければいけない理由は何一つ無い。

でも、天気良いし。そんなに暑くないし。なかなか遠出する機会も無いし。

でもバイクで走って楽しい所なんて1つも無いし。

遠回りしてでも楽しい道が有るならバイクで行く価値もあるだろうけど、

どこをどう走っても混雑した市街地しかない。

どうしよう。

出発時刻間際になっても僕はまだ悩んでいた。

あぁ、もう誰か決めてください。

そうだ、奥さんに決めてもらおう。そうしよう。

と、思ったら、奥さんはまだ寝てた。

 

不発 2003年7月27日

もう随分前から店先には風鈴がチリンチリンと涼しげな音色を奏で、浮き輪やビーチボールが売られてるけど

涼しげな音色など無くても充分涼しくて、長雨と冷夏のお陰で全然夏らしくなくて、

今年はエアコンとビールの売れ行きが悪いそうだ。

仕事は現場作業、バイクはキック始動の僕は、個人的には冷夏の方が過ごしやすくて有り難いんだけど、

やはり夏は暑くないといけないらしく、長雨による日照不足と冷夏のお陰で

お米や野菜の生育にも影響が出始めてるらしい。

ようやくこの長かった梅雨も明けそうな感じだけど、何だか既に秋みたいな気分だ。

これから暑くなるんだろうか。

誰でも夏を感じる瞬間というか、出来事というか、そんなものが有ると思うんだけど、

僕にとってのそんな夏トリガーは、蚊取り線香の臭いとセミの鳴き声、そして花火大会の打ち上げ花火。

子供の頃、親は僕らを花火大会に連れて行ってくれた。

そんな花火大会が、今年も行われた。

子供が産まれてからは全然行ってなかった。

小さな子供を連れて見物客の渋滞や人ごみに紛れるのはイヤだった。

それでも子供も少しは大きくなって、物心つけばやはり花火は間近で見たいだろうと思い、

子供を連れて花火大会に出掛けた。

久しぶりに間近で見る打ち上げ花火は迫力があって、やっぱり花火は近くで見るのが良いよね。

世の中不景気だというのに、今年は2尺玉が2発上がった。

2尺玉と言われてもピンと来ないかもしれないけど、それはちょっと感動してしまうくらい大きい。

子供の夏の思い出作りになっただろうか。

そんな花火を見上げながら、7月も終わりとは思えないほど冷える夜風に僕は震えていた。

セミと花火と蚊取り線香。

いくら夏トリガーと言えど、こうも寒くては夏気分にはなれない。

長雨で僕の夏トリガーも湿気ってしまったみたいだ。

 

血糖値 2003年7月25日

先日会社で行われた健康診断の結果が来た。

見ると、1つの項目に「要再検査」判定が出てる。

う・・僕は病魔に蝕まれているのかもしれない。

僕に残された時間はあとわずかなんだ。

もうだめ。僕は死ぬんだ。草薙みたいにみんなに泣かれながら。ドラマ見てないけど。

良く見ると、「血糖値」の項目が異常とある。

血糖値。糖尿病になりかけているとか。

一生インシュリンを飲み続けなければいけないとか。

一生人工透析をしなければいけないとか。

いや、待てよ。そういえば血液検査は「空腹時」に行うよう指示があったんだけど、

ご飯抜きなんて腹ペコじゃん。お腹と背中がくっつくじゃん。

僕はお腹と背中がくっつくと困るので、しっかり朝食を食べたんだった。

だから空腹時の血糖値をオーバーしたって何ら心配する事じゃないんだ。

が、よくよく見ると、「血糖値が低過ぎます」という異常。

おぉ?朝ご飯しっかり食べて行ってるにも関わらず、「血糖値が低過ぎます」と。

普通ならオーバーするはずの血糖値が「低過ぎます」と。

そう言われれば、眩暈がするかも。

そう言われれば、体がダルくて疲れやすいかも。

そう言われれば、ちょっと仕事をしただけで休憩したくなるかも。

きっと血糖値が少ないからだ。

これはいけない。10時と15時には必ずコーヒータイムを取らなきゃ。

血糖値を正常範囲にするべくご馳走が食べられるように、給料を上げてもらわなきゃ。

 

ノーマル 2003年7月24日

僕のSRXには(多分)WM製のサイレンサーが付いており、歯切れの良い心地良いエキゾーストを奏でていたけど、

それも今ではノーマルに戻されて、プスプスプス・・という何とも迫力の無い排気音しか聞こえない。

純正のサイレンサーは重たくて静か過ぎて、良い所が無いような気がするけど、それもそんなに悪くない。

WMのサイレンサーは恐らく車検も通るであろう常識的な音量でとても気持ちいい音がするんだけど、

それでも朝の住宅地で始動するには気が引ける音量でもあり、

アクセルを開けるとパパパパパ・・・・っと歯切れのいいサウンドを奏でるんだけど、

それも心地良いと思ってるのは多分本人だけで、走行中にヘルメットを被っていてもハッキリ聞こえる音量だからして、

周りから見ればきっと只のうるさい、うざいバイクでしかない。

とりあえず全て標準状態に戻して調子を見るという目的で戻されたノーマルサイレンサー、

迫力は全く無いものの、これがなかなか良い。

音量は、何もそこまでしなくても・・と思える程抑えられ、朝の住宅地でも始動をためらわなくて済むし、

走行中に至っては排気音はエンジンノイズにかき消されて聞こえやしない。

カチカチ、カシャカシャというエンジンのメカニカルノイズと、シャラシャラというドライブチェーンのノイズ、

それにミュー・・・というタイヤからのロードノイズに隠れて、

やっと聞こえる程度のかすかに聞こえるパスパスパス・・という排気音。

だけど静かだから、ノイズがはっきり聞こえて、排気音にかき消されてしまう異常音を聞き取る事が出来る。

かといってパワーダウンするとか、上が回らないとか、そんな事も無く、低回転から高回転までしっかりと力強く走る。

静か過ぎて走っていてもテンション上がらないんだけど、良い歳して大人気ない程テンション上げる必要もないし、

静かな田舎道をトコトコ走る時も周りを威圧するような音が出ないから気兼ねする必要もなくて、

シングルは飛ばすだけじゃなくてトコトコとのんびり走るのもまた楽しかったりするんだけど、

そんな時にはノーマルの静かさが役に立つ。

かと言って、いつもいつもスローペースである必要も無くて、いくらノーマルでも一度スロットルを捻れば

600ccのシングルエンジンは猛烈とは言わないまでも猛劣と言うほどでもなく、それなりの結構な勢いで加速し、

周りの車をリードする事くらい容易くて、静かなノーマルで音も無く抜き去る。

あら、気が付いたら抜かされちゃってたわ、と。粋な大人のダンディズム。

美しいSRXと、寡黙でダンディな僕には、静かなノーマルサイレンサーが良く似合う。

デザイン的にも、ショットガンサイレンサーと形容されたあの妙に短い特徴的なサイレンサー形状が僕は結構好きで、

ヨシムラやOVERのサイレンサーが良いと言われても、デザインだけは純正サイレンサーを超える物じゃ無い。

そもそも、トラブルで全然走れなかった身としては、もう只単に「走れる」というだけでも充分幸せなわけで、

もう音なんてどうでも良いです。走れれば。もう純正で良いです。充分です。

だけど16年前の年期が入った鉄製サイレンサーだから、いつ壊れるかも分からないし、

という心配から買ってしまった。

新たに純正サイレンサーを。

オークションで500円。

DRの純正サイレサーが2つと、エキパイが1つ、SRXの純正サイレンサーにWMのサイレンサーが、

僕のガレージの天井に吊るされる事になった。

僕のガレージの屋根はサイレンサーだらけになって、きっと他人が見たら妙なガラクタがいっぱいぶら下がってる

怪しい小屋に見えるであろうけど、そんな僕の大切なパーツ類はバイクの出し入れ時に良く頭をぶつけて

僕は頭を押えてうずくまりながら幸せな涙を流す。

 

hp 2003年7月23日

僕が自宅で使っているPCは知人からの頂き物で、かなりロースペックなんだけど

ネットやメール、HPの製作、年賀状や案内状の製作等、僕の主要な用途には何ら支障なく使えて大変重宝しており、

いくらロースペックとはいえ購入当時はかなりの金額が掛かってると思うけど、

それを気前良くくれた知人にはとても感謝している。

もし僕がPCを貰っていなければ、今こうしてHPを更新する事も無かったかもしれない。

PCに興味が無い訳じゃないけど、多額の費用を投資する程ヘビーユーザーでもなく、

世の中はどんどん高性能化していく中で233MHzのCPUはさすがに時代遅れ甚だしい感じはするものの、

それでも普段使用するに支障が無いから新しいPCが欲しいとは思わなかった。

そんな物欲には乏しい僕が、1つだけ欲しいと思えるPCがある。

それが、hpのe−VectoraというPC。

以前日経パソコンの広告で見て以来一目惚れしてたんだけど、そもそもhpなんてメーカーはTVCMでも流れてるけど

全然メジャーな感じじゃなく、キムタクと変なオッサンがコントしてる富士通のCMの方が余程インパクトが有ると思うんだけど、

僕はキムタクな富士通よりも、hpのそのコンパクトに凝縮された筐体のデザインにビビビと来た。

省スペース型というのは各メーカーから出てるけど、あれほど魅力有るデザインの製品には

今までお目に掛かったことが無かったし、正確に言うとマッキントッシュのG4Cubeはかなりビビビと来たけど、

僕はアップルユーザーじゃないし、中古品でもとても手が届く金額じゃないし、色々考えるとG4Cubeは現実的ではなく、

対してhpのそれはどちらかというと企業向けみたいな感じだったけど、

一般ユーザー向けの製品はごちゃごちゃと余計な物や機能やアプリケーションが追加されてウザイし、

そんな中でhpのe−Vectoraはシンプル極まりないもので僕には一際魅力的だった。

それにしても本体のみで10万円以上する物だから実際に購入する気はサラサラ無かったし、オークション等を見ても

マイナー極まりないhpの省スペースPCなどほとんど出てこなくて、僕はすっかり忘れていたんだけど、

それが近所の電化製品のアウトレットショップで売りに出ていた。

実物を見ると想像に違わず魅力的で、中古品だから価格も現実的な2万5千円で、

そのシンプルかつ美しくデザインされた凝縮感のある小さなボディに僕は眩暈した。

散々トラブルに泣かされてきた僕にとって「OSは別」なんて事は何の問題にもならないし、

今のレベルから見ると少々頼りない8.3GBのHDD容量も換装してしまえばいい。

だけど考えてもみれば一般的な省スペース型PCと比べても更に一回り小さい筐体だからして

拡張性などあるはずもなく、レガシーフリーとか言われ始めた時期の製品の中でもかなり割り切っていて

端子も必要最低限の物しか持たず、FDドライブも持たないまったくもって不便なモデルで、

きっと買った後に不便さに泣かされるだろうことは明らかだ。

そもそも少し前のモデルだからしてCPUもペンティアム3の600MHzにHDDは8.3Gと、

今使用している233MHzのおよそ3倍とはいえ、GHzが当たり前の最新のスペックからするとかなり見劣りするもので、

しかも拡張性が乏しいとなれば中途半端なお金を出すくらいなら購入するのは見送るべきだ。

多分人に相談したら「やめとけ」と言われるだろうし、僕も相談を受けたなら「やめとけ」と言うだろう。

だいたい筐体のデザインでPCを選ぶなんて、どうかしてる。

PCに少々詳しい人ならまず選ばないであろうhpの省スペースモデル。

だけど僕は昔からそんな所があって、性能よりも見た目を重視してしまう傾向がある。

大体今時233MHzのPC使ってるんだから、今何を買おうが今現在よりはハイスペックになるに決まってるんだから

ハイスペックの度合いが多少変わろうが、やっぱり愛着を持てるデザインの方を買いたいと思ってしまう。

けど2万5千円というのもとても微妙な価格で、もう少し足せば現代レベルのスペックのPCに手が届くし、

そんなお金を出さなくても今特にPCに困ってる訳でもない。

なんて悶々と悩んでる所に、そのお店のチラシが入った。

見ると僕が悩んでいたhpのe−Vectoraが特価で9800円也!

あぁ、神様って本当に居たんだ! 哀れな貧乏オヤジを見かねて、神様が手を差し伸べてくれたんだ!

こりゃ買いでしょ!いくらスペックがどうのこうの言っても9800円なら即買いでしょ!

と、喜び勇んでお店に駆け込んだら「売り切れました。」と。

そうか。売り切れなら仕方ない。

と、思ったら、お店の棚には今までと変わらずhpの在庫が2台、相変わらずな2万5千円で並んでいた。

お店の棚には在庫があるのに、特価品は「売り切れました。」と。

大人は嘘つきだと思った。

こうなったら意地でも233MHzで頑張ろうと思った。

 

睡魔 2003年7月22日

名古屋まで出掛けて行ったんだけど、仕事で1人でとなると手段は電車に決まってて、

僕は嫌いな電車に揺られて1人名古屋に出掛けた。

電車の何が嫌いかっていうと、電車が来るのをホームで待つあの手持ち無沙汰な時間が嫌いで、

僕は1人ボケーっと電車が到着するのを待つ。

僕は時間には律儀な性格だから、電車の時間ギリギリにホームに駆け込むような事はしなくて、

5〜10分くらいは余裕を見て駅に行くんだけど、電車が早く来過ぎる事なんてあるはずないから、

そうすると5〜10分は必ずホームでボケッとする事になる。

同行者が居ればそんな時間も苦にならないというか、僕は饒舌じゃないから気の知れた人じゃないと

余計に苦痛になったりするんだけど、僕は電車が好きじゃない。

学生の頃は毎日電車に揺られて、大勢の通勤通学の人の波に押し流されて、

一体何処からこんなに大勢の人が湧いて出てくるんだろうとウンザリして、僕は絶対電車通勤しない会社に行こうと思った。

大体、どうして日曜の朝っぱらからこんなに乗客が居るんだ。

僕は仕事で仕方なく電車に乗って、さぁ座ってのんびり行こうかと思ったら席が空いてなくて、

やむを得ずドア付近の隅っこにもたれかかって居るというのに、お前ら何なんだ?

大垣で下りれば少しは席も空くかと思ったら全然下りないし、岐阜で下りれば少しは席も空くかと思ったら全然下りないし、

結局乗客は増えるばかりで、僕は私服だけど仕事なんだから、席に座らせろ。

お前はどう見てもこれから遊びに行く、ウキウキ気分の意気揚々の血気盛んな若者なんだから、

休日に仕事で名古屋くんだりまで出掛ける哀れなオッサンの僕に席を譲りたまえ。

なんてね。別に名古屋まで立ったって知れてるもんね。僕は若いから全然辛くないもんね。

なんて事を電車の窓からぼーっと外を眺めながら思っていた。

そんな電車も悪いことばかりじゃなく、良い事もある。

それは寝ても大丈夫ということ。

あのガタンゴトンという振動が心地良い眠りに誘う。

僕は車や電車に乗ると、なぜかとても良く寝れて、ガタンゴトンと揺られてzzz・・・

大して眠たくなくて今日は寝ないだろうと思う時も、さぁ次ぎの駅で降りるぞという時も、zzz・・・

次ぎの駅まで5分も無いというのに、zzz・・・

僕が寝ていようが起きていようがお構い無しに電車は目的駅まで走り続けてくれる。

お陰で僕は運賃以上に電車を堪能する事が出来た。

それが車ではそんな訳にもいかず、睡魔と格闘することになる。

奥さんは高速道路は怖いから運転したくないと言い、そんな奥さんの高速道路の運転は僕も怖いから

高速道路は専ら僕の役目なんだけど、あの単調な道路をひたすら走るのはとても退屈で眠い。

眠たい時に寝れないというのは、人間の根本的欲求を無理やり抑え付けている訳で、

そんな自然の摂理に反した行動は苦痛以外の何物でもない。

高速道路じゃなくても、例えばスキーの帰り道や、海水浴の帰り道なんかは、もう拷問に近い。

あぁ・・今瞼を閉じたら3秒で寝れる。

車の運転はイヤじゃないけど、そんな状態でまともに運転出来るはずもなくて、ただただ辛いだけ。

どうして乗り物に乗ると眠くなるんだろう。

そんな事を思いながら講習を聞いていたら、ふと時計を見ると僕の時計がいつの間にか2時間ほど進んでいた。

多分乗り物のせいではないんじゃないかと思った。

 

マナー 2003年7月21日

仕事で名古屋に行った。

講習会に参加する為に、名古屋まで出掛けていった。

ハンズや大須に繰り出したいところを我慢して、頭痛がするような講義を聞いてきた。

講習会に行くと、講義中に携帯を鳴らすヤツが1人や2人は必ず居る。

静まり返った講義室に響き渡る着メロ。ピロリロリーン♪ピロリロリーン♪・・・

バカが。非常識なバカが。マナーモードにしとけっちゅーの。バカが。

僕はそんなヘマは絶対にしない。

だって掛かってこないから。

 

足元 2003年7月19日

僕はドライビングシューズなど持ち合わせてはおらず、専ら運転する時はジョリッパで、

教習所では「サンダルやゲタを履いて運転してはいけません。」と教えられた気がするけど、

まさかゲタ履いて運転するヤツなんて居ねーだろ!と当時は思ったけど、

運転するのが困難なのは誰が見ても明らかな厚底ブーツで運転する人も世の中には居るんだから

何履いて運転してるかなんて分かったもんじゃないけど、

ムレる不快な靴を履いて運転するのも危険行為な気がするし、僕の場合はドライヴィング・ジョリッパ。

こだわりの僕のジョリッパは只のジョリッパではない。POLO SPORTSのジョリッパである。

只のPOLOではない。POLOに更にSPORTSが付くスポーティ・ジョリッパである。

これは踵部分をホールドするベルトがあって安定感かつ高級感漂うお出掛け用であって、

決して偽物臭いなどという暴言を吐いてはいけない。

普段は極普通のサンダル形状の物だけど実は何気にNIKEという、さりげないこだわりのジョリッパ。

極普通のサンダル形状ではあるけど扱い難さは無く、これでAT1BOXから軽トラでヒール&トゥまでこなす。

車を運転する事を考慮すると、安物サンダルに良くある硬質スポンジの様な材質で底が出来ている物は

ひび割れなどが起き易く破損しやすくて不向きで、ゴム質の底の物の方が柔軟性も耐久性もあってより好ましい。

つまり、たかがサンダルといえど僕なりにトライ&エラーを繰り返し、深く考慮した上で選定している訳で、

「だらしない」の一言で片付けられては困るのだ。

そんな僕のドライヴィング・ジョリッパは、近所の買い物から高速道路まで大活躍だ。

さて、オシャレは足元からという事がお分かり頂けたところで、高速を使って出掛けることもあって

我が家の車のチビたタイヤをようやく交換した。

ミニバンにはミニバン専用タイヤってゴクミとアレジもブラブラしながら言ってるし、

TOYOじゃないけど某メーカーのミニバン向けタイヤに先日交換した。

高速に乗る前に、タイヤの空気圧を確認しておくのは常識よね。

って事で、ガソリンスタンドの空気入れで入れようとするも、れれれ?カッチンカッチン言わない。

あのガソリンスタンドにある空気入れがカッチンカッチン言わない。既に適正空気圧以上入ってるのか。

自宅の圧力計で計ると、2.6k。ウチの車の適正空気圧は前2.0k、後2.3k。

これはドアの所に書いてある。

先日タイヤを替えたばかりだからタイヤショップの店員も空気圧は確認してるだろうし、

まさか入れ過ぎなんて事は無いだろう。

ミニバン専用タイヤはきっと適正空気圧が違うんだ。

ミシュランのバイク用ラジアルは異様に指定圧が高かったし。

ミニバンは重いから、きっとミニバン専用タイヤも圧力が高いんだ。

と、思ったものの、念の為に某メーカーの相談窓口に電話してみたら、

「通常の指定圧力でご使用ください。」

と言われた。

つまり、前2.0k 後2.3kでご使用下さい。と。

高速道路を散々ブッ飛ばした後で、僕はそれを知った。

2.6kは入れ過ぎだろ。タイヤショップは信用しない事にした。

 

ドライヴィング 2003年7月18日

先日、新聞広告を眺めている時に1つの広告に目が止まった。

とある靴屋の折込広告。

その広告の女性用の靴の一角に、

「ドライビングシューズ」

と書かれている。

ドライビングシューズ!?

何故普通の靴屋にドライビングシューズが?

僕がイメージするドライビングシューズとは少々趣が異なる様だけど、

その写真を見ると、靴底が薄めで踵部分が無く、

いわゆるスニーカーやヒール等じゃない普通の靴っぽかった。

しかし広告では『ドライビングシューズ』と明言。

僕の知らないうちに、巷では女性のドライブが流行っているんだろうか。

彼氏に連れられて仕方なく見に行ったミニミニ大作戦で車の運転に目覚めてしまったとか。

私もミニでドリドリしてみたいわ!とか。

そういえばもうすぐ夏休みだし、運転免許を取りに行く人も増える時期だし、

「教習はドライビングシューズでなければ受けれません。」とか。

これから免許を取りに行く人は仕方なく街の靴屋にドライビングシューズを買い求めに行くとか。

ちょっと奥さんに聞いてみよう。

「ドライビングシューズって流行りなの?」

「流行りだよ。」

「だって、ドライヴィング(下唇を噛んで)だよ?」

「別に運転する為に履く靴じゃねーっつーの。ファッションだっつーの!」

なるほど。車の運転はともかく、確かに楽そうではある。

以前流行った意味不明な厚底ブーツよりは、ずっと楽だろうし、車の運転も楽に違いない。

厚底でブレーキが踏めずに歩行者を轢き殺す事も無いだろうし、

厚底で「ゲタ箱に入んない。」なんて言うこともないだろうし、

そもそもあの一世を風靡した厚底ブーツは今何処?

邪魔になるから捨てようかしら。でもコレ結構高かったのよね。でも今更こんなの履けないし。

捨てちゃお。思い切って捨てちゃお。でもコレって燃えるゴミかしら。それとも燃えないゴミかしら。

「これは燃えるゴミじゃない。」と、ゴミ置場にポツンと取り残される私の厚底ブーツ。

超恥ずかしい。ブーツって通気性悪いからちょっと臭うし。

ちょっと臭い私の厚底ブーツが近所のゴミ置場にポツンと。

信じらんない。もう生きていけない。もうここには住んでらんない。もう引っ越す!

なんてショウゾウの頭像の処分(6/15参照)のごとく、

厚底ブーツの処分に悩むかつての厚底ブーツユーザー女性が多数。

なるほど。ドライビングシューズが流行るのは必然的だったんだ。

そんな訳で、街行く女性はドライビン。

街行く車はヒール&トゥ。

ウォン!ウォン!言わせて交差点。

横撮り携帯のCMみたいに。

ちょっとおもろいかも。

もっと流行らないかな。ドライビングシューズ。

 

サル化 2003年7月17日

ウキッ!

天気が良いとサルになる。

サルのごとく山を目指す。

ウッキー!と叫びながら、サルのごとく山を走る。

あぁ・・最高。バイクで山走るの最高。

人間は気持ちが良いとサルになることが立証された。

これからの時期、天気が良い日はサルに注意。

 

晴明荘 2003年7月16日

信州へ家族旅行に出掛けた。

GWはまともに休みが無く、盆もまともに休みが無い僕は、会社休んで家族旅行。

10年落ちのバネットセレナに鞭打って、高速道路の右車線をブイブイ走り、

高原の澄んだ空気にディーゼルターボ。

泊まった旅館は白樺湖のほとりの森に佇む晴明荘。

http://www.lcv.ne.jp/~seimeiso/

選んだ理由は宿泊料金。

1泊2食付、温泉付で大人1人3900円〜の晴明荘。

1泊2食付き、しかも食事は朝晩共にバイキングで食べ放題で、天然温泉付き(露天風呂無し)で、

大人3900円〜。マジっすか!?の3900円。市価の半額以下じゃないっすか。

しかし3900円は山側の部屋で「うっそうとして嫌」という奥さんの意見で、

今回は白樺湖を望む部屋で4900円。

泊まった部屋は12畳ほどの広い和室で、白樺湖とその向こうに霧ケ峰を望む絶好のロケーション。

それに2食付、温泉付で4900円。古いけど。

そう、少々年季が入った宿で、古びた旅館。

もともと僕は、きらびやかで華やかな綺麗で豪華なホテルよりも、

古びた質素な宿の方が落ち着く貧乏性なんだけど、

だけど僕がわざわざ紹介する程の宿ではないのかもしれない。

それでも僕が紹介する気になったのは、頑張ってる感。

恐らく1泊2食で3900円というのは限界の料金設定じゃないかと思う。

それなのに宿泊客のオバサンは食事を終えるとお茶のペットボトルにレストランの冷水を持ち帰ったり、

マーガリンやジャムをバックに詰め込んだり、あまりの仕打ち。

ひょっとすると「タオルは持ち帰って良いのよね?」なんて白々しいこと言いながら、

備品のタオルまで持ち帰ってるかもしれない。

あまりに不憫なので、僕は滅多に買わない高い宿の自販機でチューハイとおつまみのナッツを購入し

宿の売上に貢献させて頂きました。

別に僕がそこまで心配しなくても、旅行雑誌にも載っていたし、これから旅行シーズンだし、

盛況なのかもしれない。

でも不景気極まりない今、旅行客も減ってるだろうし、もしかすると次に行った時は無くなってるかもしれない。

頑張ってる感漂うあの旅館、これからも頑張って存続して頂きたいと思う。

5才になる娘にとって、この家族旅行は心に残るものになるだろう。

旅の思い出をありがとう。

 

捜さないで下さい 2003年7月15日

旅に出ます。

捜さないで下さい。

 

ネットワーク障害 2003年7月14日

毎日つぶやきを読まないと寝付けません。

なんていう、つぶやきジャンキーな人が居るとは思えないけど、

もしかしたらそんな人なら気が付いたかもしれないけど、昨夜は更新出来なかった。

何も僕が面倒臭くて更新しなかった訳ではなく、ネタに窮した訳でもなく、

僕はいつも通りに子供が寝た後に独りPCのモニターに向かいながらつぶやきを書き上げて、

さぁ、アップしよ。

・・・アップ?

アップッ!?

・・・アップ出来ません。ネットに繋がりません。メールも送受信出来ません。

20時頃に一度繋いだ時は異常無かったし、サブ機で繋いでも同様だし、

ADSLモデムを見ても異常無いし、きっと僕のPCの問題ではなく、ネットワーク障害だろう。

モデムの取説を見ても、最終的には「ネットワーク障害の可能性があるので3、4時間後にもう一度試して下さい。」と

書いてある。

つぶやきを書き始めたのが21時過ぎで、すったもんだして23時頃。それから3、4時間後に繋ぎ直せと。

バカが。そんな夜中にやり直すバカが何処に居ると言うんだ。バカが。

ここに居ます。夜中にムクッと起きて、独りPCを立ち上げるバカが。

しかし繋がらない。今頃ネットワーク復旧作業員が「こんな夜中に仕事やってらんねー!」とか思いながら復旧作業してるのだろう。

ご苦労。頑張りたまえ。僕は寝る。もう寝る。いい加減寝る。

だいたい、もう日曜日のつぶやきを日曜日中にアップ出来なかったし。

僕の(土曜日以外)毎日更新というささやかなプライドをフイにしやがって。

仕方ないので月曜の朝にアップしようと思ったら、いまだに繋がらない。

どうやらネットワーク復旧作業員の頑張りが足りないみたいだ。君達、気合を入れたまえ。

だいたい、ネットもメールもIP電話も使用不可ってどないやねん。そんな状況が10時間も続くなんてどないやねん。

それを「ネットワーク障害です。」の一言で済ませてしまうんかい? いくら温厚な僕でも金返せって言うよ、ほんと。

今の時代、ネットやメールが使用不可という事は、致命的。

仕事や緊急を要する用件のやり取り中に使用不可になったら、ほんと致命的。

以前、翌日会う用件の打ち合わせ中にメールサーバーにアクセス出来なくなった事がある。あれは慌てる。

それは個人の信用問題に関わる。ゆゆしき事態だ。

夜中にエロサイトが閲覧出来ないのと同じくらい深刻だ。

PCでもそうだけど、携帯でも良くある。

良くあるのが、ド○モの端末とやり取りするメール。メールが届かないし、送られて来ない。

リアルタイムじゃないメールは、はっきり言ってゴミだ。ただの迷惑メールだ。何だよ今頃。シカトされたかと思うだろ。

「お母さん迎えに来て。」と塾帰りの娘が打ったメールが、翌日の昼頃届いた、と。バカが。ド○モのバカが。

これは僕も散々イライラさせられた経験がある。

そんな事があってもいちいち「ネットワーク障害です。」とは言わないけれど、これはネットワーク障害以外の何物でもない。

「だって仕方ないんだもーん。」とでも言いたいのか?

それなのに相変わらずド○モの料金形態は高くて、端末購入価格も高くて、メールは届かない。

何故みんなそこまでドコ○に執着するんだ?

熱心なユーザーの上にあぐらをかいてる様なド○モはT○KAに足元すくわれれば良いんだ。

なんてね。どう考えてもTU○Aが○コモのシェアを奪えるとは思えないけどね。

だけど僕は熱心なT○KAユーザーだから、というか格安プランで全然儲けにならないTUKAユーザーの僕は

ツブれない程度にTUKAも頑張って頂きたいと思う。

と言うか、Yahooのネットワーク作業員、いい加減に頑張りたまへ。

と言うか、やっぱり僕のPCの異常でしょうか?と、少々心配になってきた。

そんな訳で、全国15万÷1万人のつぶやきファンの皆さん、更新が滞って申し訳ありませんでした。

 

週末の雨の夜 2003年7月13日

5/7のつぶやきでも書いたように、子供は親を選ぶ事なんて出来ない。

それは当たり前の事で、それは人の子である僕や奥さんにとってもまた同じ事で、

全ての子供は自分の親を選択する余地はない。

非の打ち所が無いほど素晴らしい親であろうが、どうしようもないロクデナシな親であろうが、

子供が親を選択する事なんて出来ない。

親は子供が幾つになろうが永遠に親であって、

いくら老いぼれても、落ちぶれても、子供の意見には耳を貸さない。

そして世の中には僕の常識と理屈が通用しない人が居る。

常識って何だろう。

僕の常識。

父親としての常識。

僕は今まで、不甲斐ないなりにも堅実で真面目に生きてきたつもり。

稼ぎは少ないけど、家族にひもじい思いをさせた事は無いつもり。

そんな、論ずるまでもない程当たり前だと思っていた僕の常識が、覆されそうになる。

常識って一体何だ?

僕の生き方は本当に正しいのか?

生き方に正しいとか、間違いとか、あるんだろうか?

たった一度の人生なら、周りの人を傷つけても、苦しめても

自分の好きな様に生きればいいんだろうか?

周りの人を傷つけ、いがみ合いながらでしか生きることが出来ないというのなら、

僕は出世を捨て、道化を演じ、機械を相手にひっそりと生きていきたい。

誰にも認められなくても構わない。

周りの人を怒鳴るくらいなら、僕は自嘲の笑顔の方が余程マシ。

そんな事を考えさせられる週末の雨の夜。

 

キヨタカ 2003年7月11日

毎日毎日天気が悪くて、いくら梅雨とはいえこうも雨が続くとさすがにウンザリするけれど、

それももうしばらくの辛抱でしょうか。

梅雨が明ければ、夏本番。

そこで、夏の定番アーティストと言えば?

TUBE? サザン? いや、杉山清貴。

清貴といえば、杉山清貴。

クリスマスソングといえば、杉山清貴。

リバーサイドホテルといえば、杉山清貴。

てな訳で、今、杉山清貴。

別に熱烈なファンじゃないけど。

 

あなたが支払う105円 2003年7月10日

仕事で故障した油圧ポンプを取り替える事になったんだけど、その作業がなかなか困難だった。

なぜかというと、通常はポンプを駆動するモーター、駆動されるポンプは、おのおの独立したベースがあって、

そのベースの上に置かれる様な形で設置されるんだけど、今回作業したポンプはモーターに直結されている為、

取り付け、取外し作業が大幅に手間取る事になる。

どうしてこんな付け方をしてあるのかと言うと、コストダウンする為に他ならない。

モーターに直結してしまえばモーターを取り付けるベース1つを製作するだけで済む為、

その分製作費用も施工費用も抑えられるからだ。

コストダウンするからには、コストを下げる為に何かを削っているのは当たり前の事で、

それが従来のムダな部分なら構わないんだけど、重要な部分の機能や性能を削られてしまうのはゆゆしき問題。

世の中は相変わらず不景気で、その影響もあって100円ショップが急成長してたりする。

確かに様々な日用品、雑貨が100円で購入出来るのは一見便利で有り難い気がするけど、

通常200円で売られている物を100円で売るからには、その差額の100円分は何か犠牲になってる部分が必ずある訳で、

それが例えば製造する際の人件費とか、商品の流通コスト等なら商品そのものの価値は変わらないんだけど、

商品を製造するコストそのものを削っているとすると、それは別物と考えた方が良い。

それが用紙や洗剤、食料品などの消耗品ならまだしも、包丁やハサミ、食器なども売られているんだけど、

それらを購入する人がそれを末永く愛用するとは思えない。

適当に使って「どうせ100円だから」と捨てられるのが関の山。

結局のところ、100円ショップは大量生産・大量消費を助長させているだけであって、

コストを極限まで抑える事ばかり考えるから、その後のリサイクルについてまで考慮する余裕などあるはずも無くて、

行き着く所は、行き場を見失った高度成長期の終端の現状を先延ばしにしているに過ぎないんだよね。

例えば、先日触れたスローフード。

質の高い素材を作る小生産者を守るという主旨があるんだけど、

生産者の利益を追求する姿勢、消費者の利益を追求する姿勢が現状を生み出してる訳で、

それによってもたらされる物は旬の時期など度外視の収穫時期と、農薬漬けの産物。

それは本来あるべき姿から遠く離れた「似たような物」でしかなくて、それを本来の姿と思い違える僕らが居る。

キュウリやナスは真っ直ぐなのが当たり前。キャベツに虫食いの穴があるのはけしからん。

クリスマスケーキに苺が乗ってなければいけない。と思う僕らが居る。

そろそろ本当にこれから僕らがどうするべきか考えなければいけない時期に来ていると思う。

つまり、結局のところ僕が何を言いたいかというと、数年前に設備を導入する際にコストダウンした代償を、

今現在僕が被ってるってことですよ、社長。

面倒臭いので、ネギるのも程ほどにして下さい。

 

むすんでひらいて 2003年7月9日

子供向けのTV番組やビデオなどを見ていると、良く「結んで開いて」の歌を聴く。

「むすんで ひらいて 手を打って むすんで〜♪」と。

あれは良くない。

教育上良くない。

「股開いて 手を打って〜♪」

けしから〜ん!! そげな破廉恥な歌ば子供が唄ってはイカ〜ン!!

そう思うのは、僕だけですか?

 

七夕 2003年7月8日

昨日は七夕でした。

子供が保育園で、紙製の星の冠を作ってきた。

みんな星が一つなのに、ウチの娘だけオマケの様な小さな星が付いていた。

どうして娘の冠だけ星が二つあるのか尋ねてみると、「小さい星はくーちゃん(下の娘)の!」と言った。

お父さんの理不尽な躾にもめげず、思わず笑ってしまうくらい優しい娘に育っている。

そんな七夕の夜は、残念ながら都市部の我が家から天の川を見ることは出来なかった。

すみません。見栄を張りました。雲って見えなかっただけです。

しかし、年に一回しか会えないなんて寂しいよね。

きっと雲に隠れて2人でイチャイチャしてることだろう。

とは言うものの、本来の七夕の物語では、働き者だったひこぼしとおりひめは、2人が出会うと色ボケしてしまって

仕事そっちのけでイチャイチャしてたもんだから、神様も見るに見かねて2人を引き離した。

という話だったような気がする。

言ってみれば自業自得な訳なんだけど、恋は盲目って言うだろ? 

男と女の関係はね、短絡的なんだよ。

だからお前も気をつけるんだよ。

と、若者を諭す機会を与える為に七夕があるのです。

ウチの娘にも言い聞かせておこう。

 

ピアノ 2003年7月7日

娘にピアノを買った。

色々考慮した結果、ヤマハの電子ピアノ10万円也を購入する事にした。

電子ピアノ10万円。

高い?安い?

恐らく電子ピアノという部類においては、相応の金額なんだろうけど、10万円。高いよ10万円。

僕なら娘に空手を習わせて、10万円でヤマハのPW50(子供用バイク)を購入するのに。

今から練習して、田中ユキも真っ青なエンデューロレーサーに鍛え上げるのに。

姉妹揃ってエンデューロレーサー。

「美人姉妹レーサー、ペアを組んで出場!!」なんて世界からも注目されて、

メーカーのイメージギャルに抜擢されて、タレント活動なんかしたりして、グッズなんかも販売したりして、

将来お父さんにKTMを買ってください。

まぁそんな事は望んでないけど、親子でエンデューロなんか出れたら面白いだろうになと。

でも10万円はキッズバイクでもなく、東京ディズニーランドの旅費でもなく、電子ピアノになった。

まぁ、それもまた良し。

そもそも、本当に娘にやる気があるなら、ちゃちなキーボードでも、紙ピアノでも上達すると思っていたんだけど、

ピアノの鍵盤ってある程度力を入れて押さないときちんと音が出なくて、

ただでさえ非力で小さな子供の手では、ちゃちなキーボードや紙ピアノではその力加減が分からなくて、

要は単に鍵盤を押えるだけではなくて、ピアノの演奏にはその力加減もとても大切ではあるんだけど、

たかが週に一度の30分のレッスンではピアノに慣れるだけで時間が終わってしまう。

だから最初に考えた「とりあえず安い電子ピアノで」という案は消えた。

一応見るだけ、という事で、中古ピアノを扱うお店に本物のピアノを見に行ってみた。

「やはり電子とは音の出方が違いますし、最初から本物で練習した方が良いですよ。一生物ですし。」と勧められる。

それは分かるけど、一番安くても20万円也。中古ピアノ。相場は35万円前後。

僕は今までピアノなんて全く興味が無かったんだけど、ピアノも見てみるとなかなか興味深い。

店頭に並んでいる物はみんな中古品で、しかも製造されてから20年とかザラに経っている物なんだけど、

素人の僕には新品との見分けがつかない。

外観が綺麗とかいう問題ではなく、形状や機能の違いが分からない。

多分、ピアノという楽器はもうずっと昔に既に完成された物で、新しいから高性能であるとか、

古いから機能が劣るとか、そういう物では無いんだろう。

丁度分解修理中のピアノがあって、内部構造を見ることが出来たんだけど、シンプルで機能的で、

それはピアノという楽器の機能を構成する1つ1つに一切の無駄が無く、正に機能美の集約。

本物志向のダンディな大人の僕としては、本物のピアノにクラッときた。

が、良い物は良い。一生物で決して高くない。とは言うものの、それと買える買えないはまた別問題であって、

ウチの家計で20〜30万の金額を出せるのか?と考えると、出せません。

娘がこの先もずっとピアノを続けるのなら、無理してでも買うかもしれないけど、

まだ習い始めて1月あまりだし、10万の電子ピアノですらちょっと親馬鹿かもしれないと思うような状況で

ン十万の本物のピアノに投資するだけの余裕はウチには無い。

住宅ローンのボーナス払い分と、電子ピアノで、僕の夏のボーナスは無くなった。

それでも、もし僕がピアノを多少でも弾く事が出来たなら、本物のピアノを買っていたかもしれない。

あれを自分で演奏できたら、さぞ気持ちが良いだろうと思った。

娘の教本で僕も練習してみよう。

ド・レ・ド・ド・レ・ド・レー♪

気が遠くなったから止めた。

 

スローフード 2003年7月6日

週末に、家族で昼食を食べに出かけた。

奥さんが以前から行きたがっていた、ちょっと洒落たお店。

ランチで1500円/1人前は少々値が張るけれど、結婚記念日も誕生日も大した事していなかったし、

少ないけどボーナスも出たし、たまには奮発しても良いかと。

そこで昼間っからコース料理を突つきながら、ふとスローフードという言葉を思い出した。

最近良く聞く「スローフード」。

意味はファーストフードの対義語ではなく、

(1)消えつつある郷土料理や質の高い食品を守ること。

(2)質の高い素材を提供してくれる小生産者を守っていくこと。

(3)子供たちを含めた消費者全体に、味の教育を進めていくこと。(ニッポンスローフード協会から抜粋)

という意味合いらしいけど、発端は手軽に済ませてしまうファーストフードに対する危機感から来てるみたいだ。

美味しい料理をゆっくり語り合いながら味わって食べる。

それは、とても良い事。

だけど現実の僕はコース料理を食べながら、早くメインディッシュが来ないかなぁ・・なんて考えていた。

子連れでコース料理はキツイ。

5才の娘は言い聞かせる事も出来るけど、2才児に言い聞かせる事は不可能だ。

優雅にのんびりと舌鼓を打ってる場合じゃない。

一応子供用の椅子が用意してある所を見ると、幼児はご遠慮下さいという雰囲気ではないけれど、

ファミリーレストランじゃないんだから、子供をギャーギャー泣き喚かせたまま放置する事は出来ない。

そうすると必然的に子供のペースになってしまい、

僕はいつもと変わらず出された食事を慌てて口に押し込むしかなかった。

小さな子供を連れて食事した事がある人なら分かると思うけど、

そういう事に神経使いながら食事をしても、味なんてさっぱり分からない。

どんなに美味い料理を出されても、料理に集中できないから味なんて分からない。

子持ちじゃなくても、現実的には仕事に追われ、残業に追われ、

ゆとりある食事をするくらいなら、早く風呂入って寝たいと思う人も、

世の中にはゴマンと居るはず。

スローフードの主旨は良く分かるし、それはとても大切な事ではあると思うし、実践すべきだと思う。

そういう世の中だからこそ、スローフードという言葉で食事を今一度見直そうとしているんだろう。

だけどそれを実践出来る状況にある人は、結局のところ、

それを許されるだけのゆとりがある人だけだって事が良く分かった。

マクドナルドのハンバーガーさえ待ちきれずに泣き喚く子供を放置出来ない僕は、

今はファーストフードの方がずっと有り難いと思った。

 

DHY 2003年7月4日

床屋に行くのは面倒で、いっそ丸坊主にすれば楽かと言えばそうでもなくて、

丸坊主でも髪の毛は伸びるから切らなきゃいけなくて、中途半端な丸坊主も様にならないから放置する事もできなくて、

マメにバリカン当てなくちゃいけなかったら結局余計に面倒じゃん。

じゃあいっそのことハゲてしまえば良いじゃん?なんて事を、以前某所で書いた事がある。

ハゲでカツラというと、すっごく惨めで情けないネガな印象を持ってしまうんだけど、

丸坊主というと以前は悪さした小僧を見せしめにする為というような悪いイメージか、

もしくは仕方なく丸坊主にしてる高校球児というような感じだったのに、

若くてカッコイイ俳優がやると様になってしまうわけで、ハゲでカツラもイメージ一新すれば結構イケる。かもしれない。

だいたい、コソコソと隠すから暗いイメージが定着してしまう訳で、

「どう?どう?オレのカツラ!イケてるだろ?」なんて言うと、あぁ良いかもしんない。オレもカツラにしようかな。

なんて思うに違いない。ほんとかよ。

カツラという言葉も印象悪い。例えばデタッチャブル・ヘアー・ユニット(DHY)なんて言えば同じ物でも

メカトロニクスな香りがして近未来的で素敵。世界初!形状記憶毛髪装備!なんてね。

DHYだから、当然美容院なんて行かなくてもOK。

しかもバイクから降りたらヘルメットで髪の毛ペッタンコなんてことも、DHYならノー・プロブレム。

しかもしかも、茶髪も黒髪も金髪も自由自在。

仕事の時は真面目に黒髪、仕事終わったらイケイケな金髪なんてお茶の子さいさいなのだ。

金髪にしてて、急な冠婚葬祭で1人浮いてしまうような事もないのだ。

アフロでもストレートでも思いのままなのだ。

デタッチャブルであるからして、頭を洗う時にシャンプーが目に染みたりする事もないのだ。

デタッチャブルであるからして、パンツと一緒に洗濯機で洗えてしまうのだ。

永久脱毛して、DHYなら超楽チンなのだ。

これからの時代はDHYで決まり!

これで実用新案取って大儲けして、料金が高くて若いお姉さんがカットしてくれる美容院に行こうと思う。

 

失言 2003年7月3日

森元首相が問題発言。あの人よく失言するなぁ。

どうやら、「子供を産まない女性を将来税金で面倒みるのはよろしくない」という様なことを言ったらしい。

当然抗議の対象になるんだけど、森元首相が言いたい事も分からなくはなかった。

僕の周りでも結婚しなかったり、子供を作らなかったりする人が結構居る。

子供を育てることは、いろんな意味でとても大きな負担となる。

市から育児手当金が出るとはいっても、そんなのたかが知れている。

子供を産まなければ経済的にも時間的にも余裕が出来るのは当然で、

その分自分のやりたい事に専念できる。

僕は自ら望んで子供を作ってるんだから、そういう人達に対して非難するつもりはないけれど、

このままこの社会形態が維持されていくなら、将来社会を支えていくのは今の子供達。

僕は社会に貢献する為に子供を育ててる訳じゃないけど、子供を産めない人も居るし、産まない人も居るけど、

だけど結果的に否応なしに将来そういう人達を養っていくのは、今の子供達なんだよね。

先日、ニュースで国民年金の損失について特集していた。

役所の人達は僕らから集めた税金を使ってとんでもない額の損失を出してる、と。

無駄なリゾート開発をして失敗したり、株式投資に流用して失敗したりして、その損失額数兆円単位。

そのお金はお年寄りの生活を守る為に使われなければいけないはずなのに。

損失出ちゃったから税金上げましょうか。って、子供じゃないんだから。

そんな世の中に我が子を送り出さなければいけないなんて、やりきれない気持ちで一杯だ。

同じくニュースで女子中学生の自殺が報じられた。

自殺の原因は「何のために生きているのか分からない。」と。

あなた達は、将来お役所の資金遊びの為に税金を払い、莫大に増加するお年寄りの生活を支える為に生きているのです。

今生まれてくる子供達に、「生まれてきて良かったね。」と、心の底から言えるかい?

「生まれてきて良かったのかな?」と、言わなければいけない世の中は、間違ってると思う。

僕は社会の為に子供を育ててる訳じゃない。我が子に幸せになって欲しいと願うだけ。

お金があれば幸せなのか?というと、必ずしもそうとは言えないけど、

理不尽な経済的負担を強いられるのは幸せとはいい難い。

そうすると、森元首相の失言も全くの失言ではない気がしたけど、

少なくとも「子供を沢山産んだ女性はご苦労様」というセリフは、

今の日本社会においてはすごく真っ当な意見だと思うけど、

政治家の立場では許されないんだろうね。

 

八郎 2003年7月2日

暑くなると何故か髪の毛が伸びるのも早くて、僕の頭はウザい。

ウザいけど、床屋行くのも面倒。だけどウザい。

最近暑くて、仕事でもヘルメットを被るもんだから余計に暑くて、

汗もしたたる良い男ならいいんだけど、僕は汗が汚らしい暑苦しいウザいオッサン。

あーもう辛抱たまらん。床屋行こ。

前回髪を切ったのが2ヶ月前だから、そりゃウザくなるのも当然。

でも、僕は床屋に行くのが嫌い。

面倒とかお金が掛かるというのもあるんだけど、なかなか希望通りにならないというのもある。

だいたい「どれ位切りますか?」と聞かれて、

「う〜ん・・2cmくらい?(何故か疑問系)」と答えたは良いけど切り足りなくて

「もう少し切ってください。」と頼むんだけど、言い出すタイミングも難しくて、

「じゃああと1cmくらいですかね?」

「はい。そうですね。」と言うと短くなり過ぎて、どうすんだよ。こんな場合。

「それじゃ2.5cm±0.2cmでお願いします。」なんてね。

僕は毎回同じ様に注文をつけるのに、担当する人によって仕上がりが違って、

多分僕の注文を聞いて思い描くイメージが人によって全然違うんだろうけど、

若い女の人が担当すると結構良い感じになったりするんだけど、

いかにもなオジサンが担当すると、いかにもなオジサンに仕上がるようで、

今回面倒だから近所の安い床屋に行ったら、いかにもなオジサンに当たって、僕の嫌な予感は的中。

僕の頭は見事なまでに、いかにもなオジサン風に仕上がった。

帰ると家の前で遊んでいた子供が「パパ、丸坊主だね!ウチのパパ丸坊主だよ!丸坊主!」と、

近所の皆様方に報告してくれる。

口を慎め!

今は丸坊主が流行りで、若手俳優だって丸坊でモテモテだからと言って、自慢げに言いふらさなくてもいいだろ。

なのに今の中学生は長髪でも可。

僕が中学生の時は強制丸坊。

思春期で色気づく時期に、強制丸坊。

僕は富士額だから、丸坊主にすると友人に「うはは!お前『タコ八郎』みたいだな!」と言われて、

思春期のガラスの様に純粋で繊細な僕のハートにメガトンパンチなタコ八郎。丸坊主のバカ。

なんて思いながら、タコ八郎風丸坊でも好きな女の子に告白出来たなんて、若さってスバラシイ。

なんて事を、33才のオジサンがオジサン風な頭で思った。

やっぱり床屋は嫌いだ。

 

A評価 2003年7月1日

今日から7月です。

つぶやきをほぼ毎日更新するようになって2ヶ月あまり。

よく続きました。もう三日坊主ではありません。いつやめても誰もとがめないでしょう。

しかし毎日書いてると、書かなければいけないような微妙な強迫観念を受けるのですが、

その微妙なプレッシャーがなんとなく良かったりする辺り、やはり僕はアブノーマルなのかもしれません。

そんなことより、ボーナスの時期です。

不景気でボーナスもカットされまくり状態ですが、やはり庶民の憧れ。ボーナス。

ボーナス貰えたからといって、お小遣いが貰える訳ではないけど、憧れボーナス。

先日の朝、僕が出社すると職場の課長が言いました。

「君はいつも頑張ってくれてるから、評価はAにしてるんだ。」

はい。毎日頑張ってます。HPの更新。

これからも頑張ります。HPの更新。

給料泥棒でごめんなさい。

いや、ちゃんと仕事してます。本当は。本当です。本当だってば。

つぶやきもA評価目指して頑張ろうと思う。

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