こときちのつぶやき

2004年 1月

ISOFIX 2004年1月31日(土)

「ISOFIX」って知ってるだろうか。ISOFIXというのは、車積用チャイルドシートの固定方法で、世界統一規格のもの。誰でも簡単に確実にチャルドシートを固定する事が出来るという画期的な規格。

僕は随分前に、シートベルトを利用して固定する一般的なチャイルドシートを購入して使っているんだけど、このチャイルドシート、しっかり固定するにはコツと力が必要で、夏場なんか汗だくになってしまうし、車によって、取り付ける座席位置によって取り付け難易度が変化する。とても気軽に取付け取外しする気にはならない。規制化直後は、チャイルドシートをユーザーの多くはしっかり固定出来ないとニュースなどでも取りざたされていて、だからISOFIXが出来たんだろうけど、その画期的なISOFIX対応の製品、何故か店頭では見かけない。今更買うことも無いからさして気にもしていなかったけれど、そこには意外な盲点が有ることを、とある雑誌で知った。

それは、ISOFIX対応チャイルドシートを売る為には、装着する車に適合するかどうかを試験しなければいけないという事だ。チャイルドシートのメーカーはISOFIX製品として売り出すために、実際に車に装着して試験を行い、「この車種に取り付けた場合は性能を保証できる」ということを確認しなければいけないらしい。様々なメーカーの様々な車種全てにおいて試験する事は不可能だし、仮に出来たとしてもとても高価な物になってしまうだろう。統一規格なんだから、同じ様に造れば同じ様に機能するように思えるけれど、そうはいかないらしい。だから既存の大手チャイルドシートメーカーは、大々的にISOFIX対応製品を売り出すことが出来ない。

ISOFIXチャイルドシートを着けたければ、カーディーラーに行ってオプションの適合品を買うしかない。そして車が変われば、そのチャイルドシートの性能も保証されない。それなら、安全性は保証しないISOFIX(仮)対応品という物が有っても良さそうな気がするし、保証されないISOFIXと、しっかり固定した時だけ保証される取り付けが困難な汎用チャイルドシートと比較した時にどれだけの差があるか考えるとどっちもどっちな気がするけれど、命に関わる物だからPCパーツの様に「取り付けは自己責任において」などというISOFIXチャイルドシートなど、メーカーは販売しないだろう。

PL法などの絡みがあるからかもしれないし、子供の命を預ける物だから試験に適合した物でなければならないというのも理解出来るけれど、その結果誰でも簡単に確実に装着出来る物は、誰でも簡単に気軽に買える物ではなくなってしまった。誰もわざわざカーディーラーで高価なチャイルドシートなど購入しないだろう。同じ値段でもっと可愛らしくて機能的なチャイルドシートがいくらでも売ってるんだから。結局、相変わらず衝突したらチャイルドシートごと吹っ飛んでしまいそうな汎用品しか普及しない。分かるようで分からないようなISOFIX。

小さな子を持たない人には全くもってどうでもいい話だけど、これからお父さんになる人は、汗だくになっても頑張ってチャイルドシートを着けて欲しいと思う。

 

白熱 2004年1月30日(金)

「ねぇ、運転見せてよ!」

君は、無邪気な笑顔で僕に言う。

「見てなよ。」

僕はそう言うと、故意にテクニカルな道を選び、アクセルを全開にする。

繊細なハンドル操作で、緻密に計算されたラインに車を乗せる。

S字を駆け抜け、ギャップを越えて、スキール音を立てながらコーナーを抜ける。

立ち上がりでアクセル全開。

短いストレートを疾走し、迫り来る次のコーナーに飛び込んでゆく。

「すごいね!」

君は瞳を輝かせて、僕に賞賛の言葉を投げかけた。

「一緒に走るか?」

「うん!」

そして今宵もまた白熱したマリオカートが始まる。

「イィィィヤッホーイッ!」

 

ダメな人 2004年1月29日(木)

「ダメな人だから死んでも良いと思った。」 ホームレスの男性を真冬の川に追い込んで溺死させた少年の犯行理由。ホームレスはダメな人か。それでは、親のスネをかじりながら、学校に行く訳でもなく仕事をするでもない無職の少年はダメな人ではないんだろうか。彼らの「立派な人」「ダメな人」の判断基準ってなんなんだろう。

仕事をしていれば良い人だろうか。仕事も「立派な仕事」「ダメな仕事」と分けたがる人が世の中には沢山居る。公務員は良い仕事。銀行員は良い仕事。大企業は良い仕事。零細企業はダメな仕事。肉体労働はダメな仕事。不安定な仕事はダメな仕事。一体何を基準に良い悪いを決めているかといえば、金だ。賃金がいかに多く、安定しているか。その職を得る為に勉強したり、採用試験を頑張ったりした努力は立派かもしれない。だけど仕事に「立派な仕事」「ダメな仕事」などありはしない。様々な仕事があるから社会が成り立っている訳で、中には無くても良いというか無い方が良い仕事もあるだろうけど、僕らが生活していく上では「ダメな仕事」が沢山必要であって、公務員、銀行員、大企業だけでは、当たり前だけど社会は成り立たない。ホームレスも仕事も、「金」で良い悪いを判断していないか。

物や人や仕事の価値は、金だけで決まるものじゃない。そう言いながら、小遣いを5千円減らされたお陰で、もうこの世の終りのような絶望感に打ちひしがれて、肩をガックシ落しながら仕事も全くやる気が起きない僕は、やはりダメな人でしょうか。

 

カスガイは猫の耳 2004年1月28日(水)

最近は離婚も特別珍しくもなくて、学校でも「父親参観」などという行事は無くなったし、僕の周りでも離婚経験者は何人か居る。実際に行動に移さないにしても、所帯持ちの身となって長年暮す間に、「もう離婚する!」と思った事が何回あるだろうか。些細な揉め事が起きる度に「実家に帰る!」「出て行け!」「もう離婚する!」と言い合う夫婦も居るだろうし、「ウチは全然そんな事ありませんのよ。」という夫婦も居るかもしれないが、昨日やってた踊るさんま御殿に出演していた高橋英樹は「奥さんとケンカしたのは2回だけ。」と言って周りの出演者から「ええぇ〜!?」と言われていて、全く「ええぇ〜!?さすが桃太郎侍は違う!」と感心してしまうんだけど、しかしながら他人がおしどり夫婦だろうが、こまどり姉妹だろうが、ピンカラ兄弟だろうが、そんな事は僕にはどうでも良い事で、僕です。僕自身はどうなのかが問題なのです。

そんな僕は、いくら奥さんと揉めてケンカしても離婚しようとは思わないし、冗談でも口にしたことはない。それにはいくつかの理由が有るんだけど、その最たるは子供だ。子供が成長していくにあたって、奥さんの存在は欠かせないからだ。

それは、子供には母親が必要だからとか、女の子だからとか、そういう問題ではなくて、僕だけでも子供は育つだろうし、奥さんだけでも子供は育てられるだろうけど、どちらか1人で育てるのと2人で育てるのでは、子供の成長、成長と言うよりは子供の性格や物事の考え方、要は人格の形成に大きな差が出ると思うからだ。僕と奥さんは全く性格が違う。僕の考え方だけでは偏りがあるし、奥さんだけでもやはり同じく偏りがある。性格が違う2人が揃う事でいがみ合いながらも互いに無いものを補い合い、そういう中で両親の良い面悪い面を見ながら成長する子供は、バランスが取れてより深い人間になってくれるんじゃないかと思うからだ。

だから僕は、どんなに奥さんとケンカしても、僕の前に非の打ち所が無いほど素晴らしい女が現れてベタ惚れされたとしても、「もう離婚する!」などとは決して言わないけれど、猫耳とエプロンをつけた女が言い寄ってきたら「結婚してください!」と口走ってしまうかもしれないんだから、子はカスガイとは良く言ったもんだよね。

 

大人 2004年1月26日(月)

奥さんとケンカした。

狭間に立たされて、娘が泣いた。

僕は堪えきれずに声を荒げ、

奥さんは堪えきれずに涙を流した。

僕は

僕は、いつ泣いたら良いですか。

みんなが平穏な日々を送る為には、

僕はとても大きな人間にならなければいけないのだと痛感した。

そして僕は、目標を大きく上回る脱力感に見舞われる。

 

孤独な闘い 2004年1月22日(木)

僕は必死だった。

仕事中、必死に耐えていた。

誰も助けてはくれない。

僕は独り孤独に闘っていた。

苦しい。

たまらない。

もう我慢の限界だ。

拳を握り締め、口元を歪めながら、そっとうつむいた。

僕はPCのモニターを見つめながら、笑いをこらえていた。

みんなどうしてるんだろう。

静まり返ったオフィスで、思わず「ぷっ・・」と吹き出したりしないんだろうか。

笑えるネタは、仕事中に見るもんじゃない。

と言うより、仕事中にそんなもの見てはいけません。

 

 2004年1月20日(火)

「お父さんね、肺が悪いのよ。」母さんが言った。長年に渡る喫煙と老化から、肺機能が低下しているらしい。

父さんは昔から、僕が物心ついた時からヘビースモーカーだったから、いつかは体を壊すだろうとは思っていた。まぁ、余命数ヶ月とか、春まで持ちませんとか言われた訳じゃないし、肺機能が低下したからといってすぐに死ぬ訳でもないし。母さんから聞かされた時は、そんなふうに思っていた。

だけど、後からなんだか胸の辺りにズシリときた。そう、すぐに死ぬ訳じゃないけれど、回復する事も無い。この先80、90まで元気ハツラツという訳にはいかないだろう。数年後かもしれないし、10年後かもしれないし、もっと後かもしれないけれど、父さんは確実に死ぬんだ。僕ももう良い歳した大人なんだから、親がいつ死んだっておかしくはないし、それは自然な事で当たり前の事なんだけど、だけど僕は実感していなかった。親はいつまでも元気で、僕もいつまでもこのままだと思っていた。

父さんは、今何を思ってるんだろう。

そして僕は、ロッテのアーモンドチョコを買った。

 

無駄遣い 2004年1月19日(月)

オークションでスノボのブーツを買った。アルペンボード用のハードブーツ。スノボに限らず、靴やブーツを買う際は店頭で実際に履いてみて、自分の足に合うかどうかしっかりと確認するのがセオリーだろう。でも、オークションでは現物を確認出来ない。足に合うかどうか以前に、サイズが合うかどうかすら分からない。しかもハードブーツはガチガチに足を固定する物だから、少しでも不具合があるともう最悪。だけど僕にはどうしてもオークションで買わなければいけない理由があった。

少し前、スノボのショップを覗いたことがある。そこでアルペン用のハードブーツを探して、僕は驚いた。なんと、アルペン用ハードブーツが1種類しか置いてない。しかも、とても高価だ。スキー用のブーツは、高い物から安物まで山ほどあるし、スノボ用でもソフトブーツは山ほどあるというのに、アルペン用のブーツはただ1つ。そこまで不人気だったとは。この辺りでは最大級の店だというのに。

つまり、僕がセオリー通りの買い物をしようとすると、一生アルペンボードでは滑る事が出来ないだろう。率直に言えば、金が無いというだけなんだけど。それで渋々オークションで買った。幸いサイズが合いそうな物が安く出ていて、最悪サイズが合わなくても諦めがつく金額だったから購入する事にした。

ブーツは無事に届き、部分的に少々圧迫感があるものの、なんとか履けそうだ。アルペンボードとハードブーツをなでなでしながら、僕はゲレンデに思いを馳せ、今後を想像してみる。

僕はもう数年滑っていない→かなりのブランク→まずは慣れたフリースタイルで感覚を取り戻そう→子供が一緒だとロクに滑れない→感覚を取り戻す前にシーズンオフ→アルペン用ハードブーツ使わず終い→以下繰り返し・・

なんだかとても無駄遣いした様な気がする。

 

子供の工作 2004年1月18日(日)

子供を連れて、工作教室に出掛けた。本当は他にも色々やりたい事が有るんだけど、たまの休日くらいやりたい事は沢山有るんだけど、と言うか僕のDRはいつまで経ってもちっとも直らないんだけど、子供を連れて出掛けた。工作教室は、自然の物、例えば木の枝とか木の実とか、そういう物を使って作品を作るという事で、今回は何とかという見慣れない木の実だか殻だかで、熱帯魚(カクレクマノミ、つまりはニモ)を作ろうというテーマだった。

子供は喜んで木工用ボンドで貼り付けたり、塗料で色付けしたりしていたんだけど、僕は子供では無理と思える細かな作業や仕上げ作業を手伝うだけで、なるべく子ども自身に作業をさせるようにしていた。だけど指導員の人が「あー、そこはねー、そうじゃなくてこう。」とか、「あららー、ニモじゃなくて、これじゃお父さん(マーリン)だね。」とか言うんだ。あまり手助けしない僕は放任主義というか、無関心な親だと思われたかもしれない。そして子供は脇から色々注意されて、自分が好きでやってる作業なのに自信が持てなくて、「パパ、これやっても良いの?」とか「これ、こうしても良いの?」とか、萎縮してしまっていちいち確認しなければ何も出来なくなってしまった。

子供がやる作業だから、仕上がりは正直イマイチだ。だけど所詮遊びなんだよ。プロじゃないんだから、それで飯を食うわけでもない。仕上がり加減なんてこの際二の次だと思うんだ。大人が手助けして綺麗に仕上げる事に意味は無くて、子どもが自ら作業をすることが一番大切な事だと思うんだ。子供の工作なんて、もっと好き勝手にのびのびやればいいじゃないか。

小春日和のとても良い天気の中、子供の隣で作業を見守りながらそんな事を思った。

 

ナウシカ 2004年1月17日(土)

昨夜、TVで風の谷のナウシカを見た。以前も幾度かTV放映していたし、VTRもDVDも販売されているし、今更改めて言う事でもないんだけど、僕はビデオに録画して、リアルタイムでも見ていた。宮崎アニメは今では一大ブームとなって、新作が出来る度に大騒動になって、それはアニメ=ヲタクという図式を払拭してくれたのは良いけれど、代表作と言われる作品よりも僕にとって風の谷のナウシカは特別印象深いものがある。

ナウシカが放映されたのは僕が中学生の頃で、当初は「少女が世界を救う?お決まりのヲタクパターンだな。」と大して気にも留めていなかったけれど、知れば知るほど興味を惹かれて、ついには僕はなけなしの小遣いを叩いて町の映画館まで独りで映画を見に行った。スクリーンに映し出されるナウシカに、僕は圧倒された。既に20年ほど経つアニメーション映画なのに、今見ても全然陳腐な印象を受けない、子供騙しなアニメーションではなかった。いや、大人こそ真剣に見るべきアニメーションかもしれない。当時の僕は、ただただ圧倒された。だけどストーリーの展開が早過ぎて、僕が話の流れを掴んだのは映画を見終わってパンフレットを見てからだった。観る前にあらすじは知っておいた方が良い。その後、僕は原作のマンガを読んだけれど、それは途方も無く奥深くて、映画で描かれていたのは、原作のうちのほんの一部分でしかない事を知った。映画という限られた時間内に収めるには、ああいう展開にせざるを得なかったんだろう。原作を読んでない人は、ぜひ一度読んでみて欲しい。

バイオテクノロジーと、環境汚染と、戦争。20年前のアニメーションは、今を象徴しているみたいだ。

 

40円の境界線 2004年1月14日(水)

アーモンドチョコが食べたい。チョコレート菓子が並ぶ棚の前。明治とロッテのアーモンドチョコが並んでいる。どちらも同じ量で同じ価格。見た目も全く変わらないアーモンドチョコ。だけど僕は迷わずロッテのアーモンドチョコを手に取る。

アーモンドチョコはロッテなんだよ。見た目は全然変わらないし、中身はもちろんアーモンドだけど、それを取り巻くチョコが違うんだよ。ほんのりとしたチョコレート本来の苦味と控えめな甘さの絶妙なハーモニー。それに対して明治のそれは、甘過ぎて折角のチョコレートの味を著しくスポイルしている。食べ比べてみれば一目瞭然。いや、一口瞭然。ロッテこそアーモンドチョコの中のアーモンドチョコ。キング オブ アーモンドチョコなのだ。分かるかい?この熱い情熱と頑なまでのこだわりが。ベッカムを起用したくらいで揺らぐようなモノじゃないのだよ。

明治のアーモンドチョコに一瞥をくれてロッテのアーモンドチョコを買い物カゴに入れようとした時に、ベッカムの写真と『40円引き』の値札が見えた。ロッテのアーモンドチョコは商品棚に戻され、代わりに明治のそれがカゴに入れられた。

僕の熱い情熱と頑ななこだわりは、40円以下だった。

 

リサイクル 2004年1月11日(日)

リサイクルって、とても大切な事だと思うんだよね。今の世の中、大量生産、大量消費が経済を支えている訳で、僕が勤める会社でも受注量が少なければ赤字だし、多ければ利益が出るし、ニュースで「経済回復の兆し」などと言うのは結局製造業の伸びであって、沢山物を作ってそれが売れてるという事であって、僕らが豊かな生活を送る為には、否が応でも沢山の物を作って消費しなければいけないんだけど、でもその大量に製造された製品の行く末など知るよしもない。きっと大量生産、大量消費は資源を浪費し、莫大なゴミを生み、燃やせないゴミが毎日大量に埋められて、燃える物は焼却することでまた環境を破壊していくんだろう。でも、それがもし完全な循環型の環境になったなら、たとえ大量生産、大量消費を続けたとしても、環境に与える影響はずっと抑えられるんじゃないかな。

ぶつけて交換された巨大なリヤバンパーを見ながら、僕はそう思った。

 

3割 2004年1月7日(水)

正月気分も抜けきらないというか、大晦日まで仕事して、疲れて帰宅したら頭痛がひどくて起きていられなくて、今年こそ見ようと思っていた紅白も、ゆく年くる年も見れないまま年が明けてしまって、正月気分どころか年越し気分すら味わえなかった今日この頃、なんだか全然やる気も起きないから今年の目標を考え直してみた。

今年の僕のテーマは『脱力』に決定。

目標は脱力度30%UP。手を抜き、他人に押し付け、無責任にグータラしよう。よぅ〜し、目標目指して頑張るぞ!

 

分かってください 2004年1月4日(日)

オレは後ろを振り向かない。

オレは過ぎた事をクヨクヨ考えない。

オレは小さな事はいちいち気にしない。

オレは新しかろうが古かろうが気にしない。

オレは人の過ちを責めたりはしない。

オレは後悔ばかりしてはいない。

オレは過去じゃなく未来を見る。

僕が君を一度でも責めた事があったかい?

だけど君は全然分かってくれなくて、僕を責めるのさ。

「あんたはいっつも後ろ!後ろ見てないんだから!」ってね。

僕は今日、新車をぶつけた。

流石に128,000円分の言い訳は苦しい。

 

50%OFFのブタ 2004年1月3日(土)

DragStore’sって知ってるかな? ドラッグストアって言っても薬局じゃなくて、レディースファッションのブランドらしいんだけど、そのキャラクターがブタなんだよね。ブタだよ?豚。初めて見た時、僕は驚愕してしまったよ。レディにブタって、そりゃタブーだろ!って。でもその「いけない加減」がいいんだろうか。結構人気が有るようで、しかも高い。トレーナーが8,000円って高いよ。ブタなのに。

とあるショッピングセンター内のテナントにDragStore’sが入ってるんだけど、そこの子供用の遊び場で僕が子供の面倒を見ていると、恰幅の良い奥様がやって来て、「あたしこの服好きなのよねー。このブタ可愛いでしょ?」とおっしゃっていたんだけど、僕は「洒落にならないから止めた方が良いですよ。」と忠告してあげたかった。

そして『50%OFF』のワゴンセールを漁る奥さんにも忠告してあげたかったけど、余りに似合い過ぎていて、言うに言えなかった。

 

父親と抱負と物覚え 2004年1月1日(木)

映画の日の今日、子供とファインディング・ニモを見に行った。確かに面白かったし、父親として泣けたけど、僕はニモの父親のマーリンとダブって仕方が無かった。

それは父親だからとか、そんなんじゃなく、ただ臆病で何事も消極的で、悪い方向にばかり考えて、子供の身を案じる余りに過保護になり過ぎて、笑い話の1つも出来ないって事だ。それともう1つ、ニモを探す旅の相棒、あの青い魚、何ていったっけな、室井滋が声をやってるあの魚の「物忘れが激しい」所。正に今、映画を見終えたばかりの今でさえ、あの魚の名前すら忘れてるし。

去年の僕の目標は「一歩踏み出す事」だった。それは達成できた面もあり、達成できなかった面もある。一歩踏み出したは良いけど、そこで立ち止まって2歩目が出ない。マーリンがニモを探す事で成長したように、今年は僕ももっと踏み込もう。ためらう事無く、もっと先へ。

それから、もう少し物覚えを良くしよう。

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