こときちのつぶやき

2004年 3月

骨伝導は必要か否か 2004年3月31日(水)

TU−KAにしてはちょっと話題になった骨伝導携帯。良いね。骨伝導。僕は普段工場内で仕事をしているから、機械の騒音で携帯の音が聞こえない。呼び出し音が聞こえない。あれ?何かブルブルする。と、思って、汚れた軍手を外して、汚れた手を拭いて、はい。もしもし?と出た時には切れてる。それがほら、骨伝導なら骨を通じて音が伝わるから着信もすぐに分かるよ。って、それって只のバイブレーターじゃないか。まずは電話に出ないと骨伝導も意味無いし。

話せりゃ良いじゃん、電話なんだし。のTUKAユーザーの僕は、話せれば良いんです。電話なんだし。話せて、写真が撮れて、動画も撮れて、「割り切りエッチ♪」なんていうメールが届いて、ラジオも聞けて、TVも見れて、TVのチャンネルも変えれて、ラジコンが操作できて、ドラクエができて、仮面ライダーに変身できるのが良い。そんなわがままユーザーの僕の携帯の使用料金、先月は1,400円でした。ブッチギリです。「家族2人で4,500円〜♪」ってCMやってるけど、僕はそれより遥かに安いんですが?話せりゃ良いじゃん、電話なんだし。だけど電話の機能すら必要無い。携帯する電話だから携帯。単に携帯するだけの携帯。もう止めようかな。

いや、携帯するだけの携帯でも役に立つ時は有るよ。家族でお買い物に出掛けた時。奥さんは買い物に、僕は子供の面倒を見る為に別行動。合流する時に、ほら、携帯が必要。と、奥さんが不機嫌そうな顔をして近寄ってくる。「携帯に掛けてもちっとも出ないじゃない!」って、怒られてしまった。カバンの中で着信音が聞こえませんでした。やっぱりね、骨伝導が話題になる訳だよ。というか、もう止めようかな。

 

夕暮れ時に自転車に乗って 2004年3月29日(月)

日曜日の夕方、子供の面倒を見ていると「自転車に乗りたい」と言うものだから、僕は娘を自転車の前カゴ付近に有る子供用の椅子に座らせて、自転車で出掛けた。気持ちいいね。自転車も楽しいね。だけど車が邪魔だね。

大通りは凄い勢いで沢山の車が走り回り、段差で仕切られた歩道を走っていても怖い。だから裏の細い路地を通ることにした。だけど細い路地も車が走り、邪魔だと言わんばかりに自転車を避ける事も減速する事もなく走り抜けていく。細い路地は歩道が仕切られていない分、余計に危ない。若者が乗る今時な車だけじゃない。若い女性も、おじさんも、おばさんも、じいさんも、ばあさんも、自転車は邪魔だと言わんばかりで、小さな子供を乗せていてもお構い無し。ちょっとヨロけたらどうなるか試してみようかと思ったけれど、子供が一緒ではシャレにならないから止めた。だけど、子供を乗せた自転車は、1人で乗る自転車よりもはるかに不安定で、風や路面状況で簡単にフラついてしまう。ドライバーは誰も自分の置かれた状況を的確に把握していなくて、誰も何の違和感も感じていない。強い立場を利用して弱者を威圧し、蹴散らすように走る。一般ドライバーは、暴走族と何も変わらない。普通の格好をして、普通の車に乗る暴走族。車は、この世の中で一番低俗な乗り物に思えた。子供とのんびりしたサイクリングを楽しむつもりが少しガッカリしてしまった。でも、娘は自転車の前で楽しそうに笑う。あははは。楽しいかい?まぁ良いや。お前が楽しければ。

僕は上着を脱いで、娘を包んだ。娘が、少し冷たくなってきた風に冷やされないように。低俗な乗り物に蹴散らされないように。

 

あの日 あの時 あの場所で 2004年3月28日(日)

「ねぇ、水族館ならニモが居るんじゃない?」 事の発端は、奥さんのそんな一言だった。娘が喜ぶだろうから、僕は良く晴れた週末の朝、家族を乗せて水族館に向かった。

ところが、水族館に入った途端に些細な事からいさかいを起こし、奥さんは僕と2人の幼い子供を残して人ごみの中に消えてしまった。そして僕は途方に暮れる。いや、暮れてる場合じゃない。水族館の入館料は大人2千円もするんだよ。こんな所にボーッと突っ立ってたんじゃ元が取れない。いや、そういう問題じゃないけど、奥さんは携帯も持ってるし、とりあえず子供にお魚を見せてやらなければ、僕が週末の休みを潰してこんな所まで運転してきた事も、2千円も払って入場した事も、楽しみにしていた娘の気持ちもフイにしてしまう。僕は2人の子供の手を引いて人ごみを掻き分け、ほら、イルカが見えるよ。あれ?しっぽしか見えないね。ほらほら、こっちはベルーガが居るよ。ベルーガと言ってもヤマハの原付じゃないよ。え?何言ってるか分からない?つーか、何だこの人ごみは。何でこんなに混んでるんだ。水槽の前は何処も人垣が出来てよく見えない。子供の手を放すと2人違う方向に走り出して、小さな子供はすぐに見失ってしまいそうだ。迷子になったらすぐに誘拐されてしまう。ウルトラキュートなウチの娘たちはすぐにさらわれてしまうに違いない。僕は下の娘を抱っこし、上の娘の手を引いて、人ごみを掻き分けて進む。娘の重さと人ごみの熱気で汗をかく。これじゃ到底2千円の元は取れそうも無い。そんな時、薄暗い深海魚コーナーで、はぐれた奥さんと再会した。

あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕らはいつまでも トホホな父子のまま。

携帯で連絡を取る事も無く、この人ごみの中で再会出来た君は、運命の人に違いありません。

だから、オムツの入ったカバンを押し付けるのは止めて、早くこのちっこいのを1人負担して下さい。

 

別れを惜しんで泣いた事がありますか 2004年3月27日(土)

娘が通う保育園は、昨日でお終いだった。娘は来年度から幼稚園に通う事になっている。だから、本当にお終い。帰りのバスから降りる時、保育園の先生が泣いた。「こっちゃん、さようなら。」って。

その先生は、昨年度娘の担任だった先生で、娘が保育園で初めてお世話になった先生。娘は、今年担任だった先生もよく慕っていたけれど、その去年の担任の先生もとてもよく慕っていた。最初は不安げだった保育園も、「先生に会いに行く!」と、張り切って行くようになった。いつも先生にくっついていた。

毎年何十人という新しい子供達が入園し、何十人という子供達が卒園していく中で、保育も事務的にならざるを得ない面は必ず有ると思う。そんな中で、今現在の担任でもないのに別れを惜しんで涙を流してくれる先生が居る。

素敵な先生に出会えてよかったね。

 

手紙 2004年3月23日(火)

2月23日のつぶやきで書いた、ライダーの事故に関する署名。署名を集めて送りました。とは言うものの、実は僕はライダーの友達がほとんど居なくて、と言うか、全然居なくて、じゃあライダーじゃなくても誰か友人知人にと思いつつも、友達居ません。愕然。結局奥さんの交友関係者にお願いして、バイクとは全く無縁な方々から署名を集めることになった。

その署名のお礼の手紙が届いた。事故死したライダーのお母さんから。僕はその亡くなったライダーを知らないんだけど、その短い手紙から、ルネッサが愛車だったという事と、初めての事故で亡くなった事を知った。

どんなに無茶な運転をしても、幾度となく事故に遭っても、かすり傷で済んでしまう人も居れば、たった1回の事故で亡くなる人も居る。命を落とすか、生き長らえるか。それは何で決まるんだろう。

お母さんの手紙は、悲しみで溢れていた。

 

変なヤツ 2004年3月21日(日)

今日は少し気温が低かったものの、穏やかな天気。外に出ると、近くの幹線道路を走るバイクの音が聞こえてきた。春の日曜日だからね。それにしても大きな音で、何台も通る。まるで暴走族みたいだな。そう思って路地の隙間から通り過ぎるバイクを見ると、本物(?)の族だった。

「バイクに乗ってる人は皆暴走族だと思っていた。」と言う人がいた。サイレンサーを交換し、仲間で揃って走ったなら、それこそライダーも族も変わらないのかもしれない。そう言うと「そんな事はない!」と反論する人が必ず居るだろうけど、少なくともバイクの事を全く知らない一般の人から見れば、族もライダーも同じに見えても不思議じゃない。

一般的なライダーという定義はあまりにも曖昧だし、僕は族の特性を良く知らないけれど、ここは1つ僕と族は一体何が違うのかを検証してみたいと思う。

族は、後ろが跳ね上がった独特のシートが好き。

僕は、スペシャルシートならやっぱり野口装美だよね。

族は、真っ直ぐな道をクネクネ走るのが好き。

僕は、クネクネ道を真っ直ぐ走るのが好き。

族は、人目が多い交通量の多い道が好き。

僕は、人気が無い交通量の少ない道が好き。

族は、無意味にスロットルを開けるのが好き。

僕は、不必要なスロットル操作はしないが、必要な時も開けられない。

そして、族も僕も、少し古いバイクが好き。

一緒にされたくは無いけど、どちらも変なヤツには変わりないという結論。

 

驚きと感動と父と母と 2004年3月20日(土)

先日、ある人のところに赤ちゃんが生まれたそうだ。去年は2人の友人に赤ちゃんが生まれた。今頃育児に翻弄されてることだろう。

ウチは次女が生まれてから3年経とうとしている。月日が経つのは早いもので、あっという間の3年。当時感じた出産の感動も薄れつつある。奥さんの掛かり付けの産婦人科は、旦那が出産に立ち会う場合は事前に申し出をして、出産に必要な知識や経緯の説明を受けねばならず、そんな事とは露知らず、僕は長女の出産の時に奥さんに続いて分娩室に入ろうとしたら1人だけ病院の廊下に締め出しを食らって、看護婦さんに何度か「入れてくれませんか?」と頼んでみたものの「ダメです。」と言われて、やっぱり1人廊下で途方に暮れてしまった。そんな二の舞を踏むまいと、次女の時は説明を受けて、お産の経過とか、ラマーズ法とか、旦那とやろう妊婦さんのストレッチとか教えられ、いざ分娩室に乗り込んだはいいけど、あっけない程の安産で、「おいおい、もう出ちゃったのかよ。もうちょっとこう、スーハースーハーとかやっても良いんでない?」てな具合で、あっという間に我が子とコニャニャチワ。初対面の我が子は頭がイビツに歪んで、まるでサルの赤ちゃんの様にグロかったけど、何だか妙に感動した。母親の胎内から新しい命が生まれてくる感動。3000gにも満たない小さな体なのに立派に生きているという感動。理屈では分かっていても、実際に目の当たりにするまで分からなかった感動。

お産は大変とは言うものの、大変なのはお産だけじゃなくて、もちろん生まれてからも大変なんだけど、生まれるまでも大変。妊娠したら薬は飲めないからヘタに風邪もひけない。酒もタバコもご法度。つわりで食事も喉を通らず、妊娠初期は流れやすいから安静にしなければいけないし、安定したと思ったらお腹が大きくなって体を動かすのも大変。だけど怪我や病気じゃないからあまり周りからチヤホヤされず、出産や育児に対する精神的な不安もあるだろうし、母親に掛かる負担はとても大きい。それに加えて出産の苦痛が有るんだから、母は強しと良く言われるけれど、母親が強くなるのは当たり前なのかもしれない。そして、そんな強くなった母に虐げられて、父も強くなるのです。

そんな妊娠の経過中に、大きなお腹の中で赤ちゃんが動くのを感じた事がある。あの、人の体の中に別の生命が宿る不思議な感じ。精子が卵子と結びついて子宮に着床して育ち、子供が産まれる。なんて事は学校でも教えられて誰でも知ってるだろうけど、実際にその様を自分で身を持って体験すると、驚きと感動を覚える。母親ならば、自分のお腹の中で子供が動いてるんだから、尚更感動するんじゃないだろうか。男では絶対に感じる事が出来ない感動なんだろうね。

 

閉鎖 2004年3月19日(金)

もうだいぶ前になるけれど、僕のHPの掲示板に「いいガレージですね」という書き込みがあった。相手は「ScooterSyndrome」というHPを開設している人だった。スクーターというタイトルからあまり期待もせず覗いてみたら、今流行りのビグスクではなく、モペットと呼ばれるような古い小排気量のスクーターを楽しんでる感じだった。そして、それらを納める為のガレージ。

その人のガレージは古いトラックだった。月極駐車場に格安の古い中古トラックを停めて、その荷室をガレージに改造した物で、その内部はトラックとは思えない様な綺麗な仕上がりだった。僕の、家を購入する際についでに工務店に頼んで労せず得たガレージよりも、厳しい条件の中で工夫を凝らしたオリジナリティあふれるガレージこそ本当の意味で「いいガレージ」であり、そういうアイデアやノウハウや努力こそHP上で公開するに値する有益な情報だと思い、先の書き込みに対して大変恐縮した覚えがある。

その人のコンテンツは大変分かりやすく、そして参考になった。もちろん扱う対象は全然異なるけれど、それは手順であったり、対処法であったり、その費用であったり、とかく難しく堅くなりがちな整備内容の文章も面白くて、「コンテンツはかくあるべき」と思える内容で、最後にいつも「努力と苦労と愛情 0円」という様なことが書いてあった。お金を掛けずにグレードアップさせるアイデアは、どれも素晴らしくて脱帽もので、「どーですか!オレのカスタム!」という感じのサイトが多い中で、工夫と努力とわずかなお金で可能性が大きく広がる事を教えてくれる稀有なサイトだった。個人で開設している優れたサイトには少なからず影響を受けてきたと思うけれど、中でもそのHPは僕のHP作りの1つの指針となり、どうせ公開するならなるべく分かりやすく、その為に詳細な手順と情報を載せる努力をしてきた。

だけど、慌しい毎日にいつしか忘れてしまって、久しぶりにふと思い出して見てみようと思ったら、既にHPは閉鎖されていた。私的なHPだからいつ消えてもおかしくないけれど、とても残念だった。

あの人は、今も何処かでモペットを楽しんでいるのかな。

 

そこで考えました。 2004年3月18日(木)

なーんて、僕はそんな慈善事業の様な高尚な目的を持ってHPを開設してる訳じゃない。いつの間にかトホホ博物館になってしまって、いや、待てよ。冷静になって考えてみよう。なんだかもう当たり前のような気がしていたけれど、冷静に考えたら自分でエンジンのOHを何度もやるなんて、異常じゃないのか?

金が無い。それはいつもの事だけど、困った事にタイヤの溝も無い。このままでは、これからシーズン本番という時にお預けを食らってしまう。何とかならないものかと思案に暮れた末、この切羽詰った現状を打開する為の1つの解決策を思いついた。それは、「自分で交換する」ということだ。タイヤショップの通販を使えば、SRXのタイヤなら前後で1万5千円も有れば済む。自分で交換出来るのなら。チューブレスのバイアスロードタイヤをタイヤレバーで交換する事を思うと、うんざりしてしまうけど。

DRにしろSRXにしろ、バイクを手に入れることが出来た事に関しては、僕はとても恵まれていて幸せだと思っている。だけど、走らせること、乗り続ける事に関しては、決して恵まれている訳じゃない。限られた予算内で走り続ける為には、努力と苦労は避けられない。「自分で出来るから良い」とは言って欲しくない。自分で出来るからやるのではなく、自分でやらないと走れないからやってるんだ。今の僕には「バイクに乗るのを諦めるか、自分でやるか」という2択しか残されておらず、そこに選択の余地は無いんだよね。

 

存在理由 2004年3月17日(水)

自宅に居ながらにして、世界の様々な情報が得られるネットは非常に便利な反面、落とし穴も多い。その1つに、あらゆる情報が「一般的なもの」であると思いがちな事がある。

例えば、「出会い系サイトでウハウハした」という記事を2、3件見たとすると、それだけで世間の人はみんな出会い系でウハウハしていて、うわっ!出会い系凄!今すぐやらなきゃ!って思ってしまったり、「競馬で大穴」という記事を2、3件読んだとすると、うわっ!今すぐ競馬やらないと人生で損してる!って思ってしまったり、「R1超絶!誰でもレーサー!」という記事を2、3件読んだとすると、ライダーならR1に乗って当たり前だよね。と思ってしまったりしてしまいがちだけど、それはとんだ誤解であって、そんなのはごく一部の事であるし、信頼出来る情報かどうかも分からない。

世の中の人が全て楽してウハウハしてる訳ではなく、実情は貧乏で、コツコツと貯めた部品代が医療費でイッパツで飛んでしまったりしてガックシしたりして、あぁ、SRXのタイヤどうしよう。ただ走る事すらままならない。と途方に暮れたりして、悩み、苦しみ、もがいて、あえいで、トホホりながら生活をしているんだという事をさらけ出し、「あぁ可愛そうに。コイツも苦労してんだなぁ。同情するよ。」と苦労を慰め合い、それを踏み台にして明日も頑張ろうという気力をみなぎらせてもらう為に僕のHPが存在するのです。

 

健康保険 2004年3月16日(火)

病院に行ったら、診察と薬代で6千円も掛かった。

3千円もあれば充分かと思っていただけに、ビックリした。

看護婦さんと一言二言言葉を交わしただけなのに、これじゃ割に合わない。

人妻と30分しゃべり放題で1300円の理髪店を見習って欲しいと思った。

医療問題が取り沙汰される訳だ。

 

違いが分かるちびまる子ちゃん 2004年3月14日(日)

ダバダ〜♪というネスカフェのCMに以前出ていたアルピニストの野口さん、エベレストの清掃活動をしていたというのは有名だけど、子供に対して環境問題とかゴミ問題とか講演していたという話も聞いた事がある。

子供を講演の対象にする理由は、「大人じゃダメ」だから。些細な事でも、子供にとっては大きなキッカケに成り得るのかもしれない。ちびまる子ちゃんのエンディングテーマを聞きながら、そんな事を思いました。

 

赤キュー 2004年3月13日(土)

バイクを選んだ時点で車を諦めてる僕は、車に関しては奥さんの要望を聞き入れている。僕は奥さんとはイーブンな立場で居たいと思っている。僕は大好きなバイクを手に入れ、それを楽しんでいる。奥さんもバイクに乗るなら好みのバイクを買えば良いけど、生憎ウチの奥さんはバイクに乗れない。そこでせめて車は奥さんの趣味にしてやろうという計らいだ。奥さんが免許を取り、車を買おうという時に、「軽はイヤ。」って言うから、僕は奥さんのお望み通りのフェスティバを買い、代わりに僕の愛車を軽トラに替えた。その後、「子供が居るから、もっと大きいのが良い。」と言いだして、僕が「別に3ドアでも家族で乗れるじゃないか。」と言うと、「じゃあ2人目は作らない。」と言い出すもんだから、僕は2人目の子供欲しさに泣く泣く車をワゴンに替えたら、今度は「デカ過ぎてイヤ。」と言い出す始末。結局我が家のマイカーは、真っ赤なキューブになった。

それは、主婦にとっては結構恵まれていると思う。僕が住む辺りは、移動手段と言えば車がメインであって、セカンドカーは当たり前の様な環境で、ヘタすると一家に4、5台車が有ったりするんだけど、大体主婦と言えば、「値段で決めました。」と言わんばかりの軽自動車か、「旦那の車です。」と言わんばかりのデカくてイカついワゴンとかセダンとかだったりして、可愛い普通乗用車なんてまず有り得ない。現にキューブを買った時に、奥さんの友達連中は「いいねー。」と羨ましがっていた。みんなは、キューブが奥さん用のセカンドカーだと思っていたみたいだけど。

だから、良い歳したオッサンが真っ赤なキューブに乗ってるからって、笑うんじゃないよ。

 

和み系 2004年3月12日(金)

去年、マイカーを日産のキューブに替えたんだけど、僕のこの車に対する評価は60点であって気に入らない点を挙げればいくらでも挙げられるんだけど、そんな中、良い所を1つ見つけた。それは「ホーン」だ。

ホーン。いわゆるクラクション。これがキューブは「プ〜♪」という素晴らしい音色を奏でる。初めて鳴らした時、僕は驚愕し、感嘆した。クラクションというと何かとうるさく威圧する様な大音量の物ばかりだけど、コレは良い。高過ぎることもなく、低過ぎることもないその音色は絶妙で、この音色を選定した人は賞賛に値するね。キューブの愛くるしい外観を損なう事なくプ〜♪。ありがとプ〜♪ ちょっとどいてプ〜♪ これなら鳴らされた方も嫌な気はしないだろう。

社外品もうるさい物ばかりじゃなく、「和みホーン」を売るべきだと思プ〜♪。

 

来週のこの時間は 2004年3月11日(木)

「草剪のドラマ見てよ。」奥さんが言う。あぁ、アレね。クレイマークレイマーのパクリだろ。面白そうではあるけど、僕はTVには執着は無いんだよね。TVドラマの位置付けは、子供>食う>寝る>風呂>ドラマってな所。それでも多少は興味があるドラマも有るには有るけれど、チビッ子が2匹も居る中で、落ち着いてTVなんて見ていられない。君が今日もゆっくりとTVを見ることが出来るのは、僕が2人の子供を寝かしつけてるからなんだよ。ねぇ、聞いてる?早くドラマ見ろって?はいはい。再生。ポチッとな。

なんでも、草剪の娘役の子供が、ウチの次女に似ていると言う。あぁ、そう言われれば、何となく似ているね。もう少し小さくして、もう少し言う事キカンチンにしたらソックリだね。あんなに聞き分け良くないよな。あははは。娘役の子供を見たら止めるはずが、僕はついついドラマに見入ってしまった。幼い娘を持つ親としては、共感するところも多い。

離婚も珍しくない今だから、ドラマの内容も絵空事ではない人だって沢山居るんだろう。奥さんにとっては耐えがたい旦那であっても、旦那にとっては許しがたい女房であっても、子供にしてみれば、どちらもかけがえのない親なんだよね。子役の「ママの所には行きたいけど、パパと離れるのはイヤ。」というセリフに、僕は切なさを覚えた。

親父役の大杉連がまた良かった。親父の手紙を読むシーンで、僕は今までのいきさつを見ていないにも関わらず泣けてしまった。毎日、子供が起きる前に仕事に出かけ、子供が寝静まった後に帰宅し、休養を取ったら休日が終わる日々に、子供と接する時間なんてとても限られてるだろう。子供を愛していない訳じゃない。だけど、子供との接し方が分からなくなってしまう。そんな人も、きっと沢山居るんだろう。

娘たちは、僕をとても慕ってくれる。それは、子供と充分に接する事が出来る環境にあるからなんだろう。そういうのって、とても大切な事で、とても幸せな事だと思う。

来週も見よう。

 

幸せの法則 2004年3月8日(月)

若い頃は結婚に憧れもあったろうけど、結婚生活って決してバラ色じゃないと思うんだ。だけど、結婚って人生の墓場でもないと思うんだ。円満な結婚生活を送る為には、当たり前の事、ただ1つの当たり前の事に留意するだけで良い。

その当たり前の事っていうのは、「自分が嫌な事は相手も嫌で、自分がしたい事は相手もしたい」という事。改めて考え直す程の事でもない。小さな頃、親に「人にやられて嫌な事は、自分もやってはいけません」と教えられただろう。小学生でも分かる当たり前の事と、基本的には何も変わらない。だけど、その当たり前の事にいつも留意しているだろうか。裏返しに丸めて脱いだ靴下を誰が戻すのかとか、汚れたトイレを誰が掃除するのかとか、風呂は誰が掃除するのかとか、洗い物は誰が洗うのかとか、子供のオムツは誰が替えるのかとか、考えた事があるだろうか。毎日一緒に暮らすからには、ドラマで描かれるような綺麗な事ばかりじゃなく、そんな所帯じみた事の方がはるかに多く、そしてそれは避けることが出来ない事で、誰かが必ずやらなければいけない。

そんな事は女房がやるのが当たり前だ、と思うだろうか。それは、先の「当たり前の事」を忘れてしまっているから言える事だ。人が脱いだ丸まった靴下を、喜んで戻すだろうか。汚れたトイレを掃除する事が嬉しいだろうか。毎日毎日食器を洗ってアカギレを作るのが幸せだろうか。それらは、出来る事ならやりたくない事で、生活していく上で仕方なくやっているに過ぎないだろう。誰だって面倒な事はやりたくないし、自由に過ごせる時間や金が欲しい。結婚の約束をする時に、「オレの裏返しに脱いだ靴下を戻して、食事は決して手を抜かず、毎日アカギレが出来るまで洗い物して、トイレはお前が掃除して、風呂も毎日お前が掃除して、片付けもお前がやって、子供の育児は全てお前がやってくれ。」と言って「はい、喜んで。」なんて答える女なんて居やしない。そもそも幸せにすると約束したのだから、アカギレが出来た女房の指先を見て心を痛めなければいけない。あぁ、オレは君を幸せにすると約束したのに、辛い思いをさせてしまったね。今日はオレが洗うよ。と、いたわりの言葉を掛けなければいけない。日曜日に子供を放ってパチンコに行く前に、今日はオレが子供の面倒を見るから、たまにはお前も出かけてこいよ。と、ねぎらいの言葉を掛け、靴下は裏返さないように脱がなければいけない。

当たり前の事に留意する。それだけで、バラ色ではないにしろ、辛さは半分に、喜びは2倍になる。決して辛さは2倍に、喜びは半分になる訳じゃない。決して。断じて。恐らく。多分。ひょっとして。もしかして?

いや、いいんだ。君が幸せなら。

 

アカデミーとトホホ 2004年3月6日(土)

たそがれ清兵衛をTVで見た。正直、アカデミーにノミネートされるまで気にも留めてなかったけれど、良かった。社会の理不尽さ。否応無く突きつけられる、どうにもならない現実。そして最愛の家族。時代は違うものの、リアルさと親近感を感じた。

それは、冷静に、客観的に見た時、清兵衛って結構トホホだから。

 

バトー 2004年3月5日(金)

聞くところによると、子供の点滴を幾度となく失敗した例の看護士、大人が対象でもいつも2、3度失敗しているらしい。点滴が、だ。点滴の針を刺す事がどれ位の難易度なのか僕は知らないが、何も限界にチャレンジする様なものでもなく、出来て当たり前じゃないんだろうか。これでは流石に頂けない。

毎日毎日幾度と無く繰り返してる作業。出来て当たり前の作業。それが一向に上手く出来ないというのは、向上心が無いからだ。素人じゃないんだから、何故失敗したのか、どうしたら上手く出来るのか、1回1回の作業毎に自ら分析しなければいけない。仕事でやってるんだ。プロならば、失敗しても仕方が無いなどという考えは、捨てなければいけない。

「もういい加減に止めてくれって言おうかと思った。」と、奥さんが言う。プロなんだからもっと向上心を持って取り組むべきだ。それに気付いていないのなら、ハッキリと文句を言うべきだ。それがその人の為であり、患者の為でもある。「何やってんだコラァ!何処に目つけとるんじゃ何度も失敗してんじゃねーぞ!針だってタダじゃねーんだぞボケ!」って、ためらわずに!いつもの様に!僕にいつも言ってるように!罵倒する様に!

 

診察 2004年3月4日(木)

奥さんが子供を連れて病院に行った。悪い事は重なる物で、たまたま小児科が休診だった。やむなく内科で診てもらったが、その内科の医師、なんとも頼りない診察だったらしい。

「インフルエンザではないみたいですねぇ。いや、今は流行りのピークを過ぎてますし・・・。え?麻疹ですか?いやー、違うと思いますけどねぇ。麻疹の初期の症状?う〜ん・・・・・、あ、でもインフルエンザ以外は薬も点滴も内容は同じですから。」と、なんともハッキリしない。挙句に看護士は点滴の針をなかなか上手く刺せなくて、30分もの間針を刺したり抜いたりしていたらしい。小さな子供は血管が細くて、しかも泣き喚いてジタバタするから難しいのは分かるけど、それじゃまるで拷問で、治療しに行ってるんだか悪化させに行ってるんだか分かったもんじゃない。

経験を積む事によって技術と知識を高めていく。それは何事も同じで、医師や看護士も同じ。だけど願わくば僕の子供を経験材料にされたくはないよな。

人間相手の仕事は失敗が許されない。僕は機械相手の仕事でよかったよ。失敗しても文句言われないからね。お礼を言われる事も無いけど。

 

発熱 2004年3月3日(水)

2才の次女が突然熱を出した。ついさっきまで元気に走り回っていたのに、急にブルブル震えてうずくまってしまった。熱は39度あった。

我ながら良いアイデアだと思った「良い旦那レンタル」。幸せな家庭を疑似体験出来るなんて面白いと思うんだけどな。そして疑似体験だから良い所だけで、悪い面は体験しなくて済む。突然我が子が熱を出して、成す術も無く狼狽する必要も無い。

良い事ばかりじゃないけれど、それはかけがえのないものを手に入れた証拠でもあるんだよね。

早く元気になりますように。

 

両親 2004年3月1日(月)

僕の親は貧乏サラリーマンだった。父は定年後、パートで重労働をしていたけれど体を壊して今は療養中だ。母は今、シルバー派遣で細々とパートをして生計を立てている。年金で暮らすにはまだ若過ぎるといってももう良い歳で、それでも働かないと食っていけない。

子供を連れて行くと、「イチゴ食べる?プリンも有るよ。」って、小さな子供はそんなに沢山食べられないのに色々買ってきたり、ご馳走を並べたりする。一応遠慮の言葉は掛けるけれど、孫が可愛くて仕方が無いんだろう。そんな物ばかり食べてるとご飯が食べられなくなるけど、今日は大目に見てやるよ。

帰り際に、「幼稚園のお祝い。」と言って、母は制止する僕の手に茶封筒を押し付けた。中には5万円入っていた。苦労して稼いだ金だというのが分かるから、涙が出そうだった。

親って本当に有り難い。また子供を連れて遊びに行くよ。

戻る

inserted by FC2 system