こときちのつぶやき

2004年 9月

脂の乗った信念 2004年9月30日(木)

愛車のDRが煙を吐くようになって修理しなければならなくなったのが2002年の10月頃で、結局修理や費用の工面などで2年掛かった。2年。長いだろうか。短いだろうか。その間はもう1台のSRXに乗っていたからバイクに全く乗っていない訳ではないけれど、僕は不器用なのですぐに順応する事が出来ず、バイクの基本は同じとは言うものの、ロードバイクとオフロードバイクとでは余りに違って、この2年、オフロードは完全なブランクと言ってもいい。

エンデューロレースに出ていた。子供が産まれてしばらくは参加出来なくなるだろうという話をしている時に、「ライダーとして一番美味しい時期を逃す」と、ある人が言った。肉体的には20代が最盛期だろうけど、色々な面を鑑みると30代は確かにベストな時期かもしれない。子供に手が掛からなくなる頃は40代になるだろう。のんびりツーリングならそれでも良いだろうけど、コンペティションとなると30代ならまだ戦えるかもしれないが、歳をとればとる程厳しくなるだろう。絶えずトレーニングを欠かさなければ下降の度合いを下げられるかもしれないが、ただ何もせず漠然と過ごしてしまっては、その差は広がるばかりだ。

別に僕はエンデューロレースで勝ちたいと言ってる訳じゃない。ただ、この一番脂の乗った時期の2年間がどうだったかという事だ。家族も居て、子供も居て、当然仕事もあって、限られた時間と限られた予算の中では仕方ない事かもしれない。だけど、その状況の中でベストを尽くしたと言えるだろうか。

時が過ぎるのは早いと言うけれど、今本当に時が経つのが早い。ベストな時期を浪費する事無く最善を尽くすには、信念が必要だと思う。

 

優勝記念セール 2004年9月29日(水)

ドラゴンズ優勝!って雰囲気ですが。

ドラゴンズが優勝する年は台風が多いというジンクスが有るそうですが。

非常に迷惑なんですが。

バイク全然乗れないんですがっ!

 

シャア少佐日記 2004年9月28日(火)

100円ショップで、コレクションケースなる物を200円で買ってきた。100円ショップなのに200円という矛盾した価格設定はさて置き、コレクションケースというのはチョコエッグやボトルキャップの様な小さなオマケと言うか、どっちがオマケだか分からないその小さなフィギュアを飾る為の透明なケースなんだけど、ホビーショップで買うと1000円位するので、100円ショップで200円というやるせなさも、絶大なるお買得感の前には寛大に受け入れられる。

僕はそういう類のコレクターではないんだけど、それでも自宅にはいくつか有って、子供が触ったり奥さんが捨てたりしないように部屋の隅の方に置いているにも関わらず、奥さんに邪険にされたり、子供の破壊活動に曝されたりしている。ガチャガチャでダブったドムを3体並べて、黒い3連星だぞ。マッシュ!オルテガ!ジェットストリームアタックをかけるぞ!なんて悦に浸っていると、子供がワシワシと掴んでバラバラにしてしまって、僕は、ザクで大気圏に突入してしまった部下を見守るシャア少佐の如くなす術も無く見守るしかなく、関係無いけど、シャアしょうさ。シャアそうさ。シャアしょうしゃ。シャア少佐って言い難い。そうだ。コレクションケースに入れれば良いのであります、少佐。と、100円ショップなのに200円のケースを4個買ってきて整理したら、ペプシのオマケだけで一杯になってしまって、少佐!助けてください少佐!

1つ1つは取るに足らない物でも、それを丁寧に拾い上げ、整理して並べ、装丁すると、価値が有る物になる。つまり、日々の日記もシャア少佐みたいなモノであります、少佐。

 

大きなドングリの木の下で 2004年9月27日(月)

日曜日、子供を連れて山間の公園にドングリを拾いに行った。9月も終りというのにいまだに蒸し暑くて、でも木陰は程よく涼しくて気持ちが良かった。子供達が熱心にドングリを探していると、「何を探してるの?」とウォーキング途中のおじさんが声を掛けてきた。「ドングリ探してるの!」と答える子供に、「昔はよく拾ったなぁ。」と言いながら、おじさんがドングリを数個拾ってくれた。子供達は、まるで宝物でも探す様に、夢中になってドングリを拾っている。時折パラパラッと木の葉を打つ音がして、ドングリが上から落ちてくる。落ちてきたばかりのそれは、艶やかで薄茶色に輝いて、確かに森の宝石みたいだった。

木漏れ日の中、子供達はしゃがんでドングリを拾ったり、ねこじゃらしを振り回したり、赤とんぼを追いかけたりしている。僕はドングリと一緒に、とても素敵なものを見つけた気がしたよ。

 

条例と虐待死と僕が思うこと 2004年9月26日(日)

親の子供に対する愛情は偉大で、子供の親に対する思いも一途である。はずなんだけど。

近所に小学生の子供が居た。母子家庭だった。母親は情緒不安定で子供は滅多に家の外に出してもらえず、母親の怒鳴り声がよく聞こえた。それでも子供は母親にくっついてた。だけど、結局施設に行った。生活能力が無い訳じゃない。親が子供を見捨てたんだ。そして母親は1人悠々自適に暮らしている。

子供の虐待死のニュースが報じられる。0歳児ならまだ分からなくも無い。いや、本当はいけない事なんだけど、乳児はあまりに未熟でか弱過ぎるから、力加減を誤ると簡単に死んでしまいそうで、ついカッとなってと言うのも全く理解出来ない訳じゃ無い。だけど、2、3才にもなれば体は小さくてもかなりしっかりしていて、ちょっと小突いたくらいでは死なない。躾とか体罰とかじゃなく、それはもう悪意を持った殺人行為に他ならないんだよね。

どうして自分の子供を殴り殺すんだろう。出来ちゃった結婚だったから? 別れた人との子供だから? 自分の生活の邪魔になるから? 大人は良いよね。気に入らなければ全てを放り出して、新たに0から始められるから。だけど、子供はどうすることも出来ない。子供は親を選択する事なんて出来なくて、1人で暮らしていく術も無く、どんなにロクデナシな親で、いつも暴力を振るわれていても、それでもすがって「パパやママが好き。」って言うんだ。

中学生のSEXを禁じる条例が話題になってるけど、大人がコレじゃ仕方ない。大の大人でも、自分の行為に責任が持てない人はSEXするもんじゃない。精神的に、金銭的に、子供を育てていく事も出来ないヤツが中出しするんじゃないよ。矛盾のしわ寄せは、いつでも一番弱いところに来るんだから。

青臭い思いだという事は分かっているけど、子供はみんな、両親に心から祝福されながら生まれてきて欲しいと思う。

 

偉大なる愛情 2004年9月25日(土)

ウチの次女は今3才で、子供ってこの2、3才が一番可愛いんだよね。体つきもちっちゃくて可愛いんだけど、舌っ足らずなしゃべり方で時々一丁前な事を言ったりするアンバランスさがまた可愛かったりして、もう何をやっても可愛い。

そんな可愛い娘に、「パパ好き?」と聞いてみたら、「ぱぱきらい。」と言われた。むむー。

「じゃあ、ママ好き?」

「まま好き。」

「じゃあ、じいちゃん好き?」

「じいちゃん好き。」

「じゃあ、ばあちゃん好き?」

「ばあちゃん好き。」

「じゃあ、パパ好き?」

「ぱぱきらい。」

「じゃあ、パパ嫌い?」

「うん。ぱぱきらい。」

「・・・・。 」

言い回しを変えても、誘導しても、正確にハッキリと「パパ嫌い」と答える。それでも可愛い。ぎゅーって、ちゅーってしたくなるんだよね(だから嫌われるのでは?)。

親の愛は偉大なのです。

でも、お友達のパパは好きで、自分のパパは嫌いってのはどういうこと?

 

夕食に現れた暗殺者 2004年9月24日(金)

最近どうも気管支が弱く、体調を崩すとすぐに咳が出て止まらなくなる。そして今、咳が止まらない。ごほっごほっ。

夕食で梅干を食べた。梅干のあの、すっぱー!な感じが健康的な気がして梅干が好きなんだけど、そのすっぱー!な物が気管支を刺激して、咳が止まらなくなって、僕は夕飯時に危うく死にかけた。危険は何処に潜んでいるか分からない。梅干は危険だ。

その様子を見て奥さんが、「そんな時にまで食べなくても良いのに。」と、至極まっとうな意見を冷ややかに述べた。そうですね。僕も梅干で死にたくはありません。

 

スーパーモーレツ 2004年9月23日(木)

なんてロクでもない事を考えつつも、抜け目無く若くて可愛い店員さんが居るレジを選んで買い物カゴを置くと、レジの店員さんがウチの娘を見て「あれー?!Kちゃん(娘の呼び名)じゃない!」と言う。あれ?何なに?やけに親しげ。お友達なの?パパもお友達になりたいわー。と思ったら、以前娘の通う幼稚園に実習で来ていた先生のタマゴだった。娘はその見習い先生が大好きで、とてもよくなついていた。あー、分かる分かる。だってパパも好みだから。

だけど、そんな詳細は帰宅してから分かった事で、分かってたら挨拶の1つくらい交わしたのに。というか、ロクでもない事考えてる暇があったらウィットに富んだ会話の1つや2つ用意しておけば良かったのに。というか、ヨレヨレのTシャツと短パンで出掛けた事をモーレツに後悔した。

 

リニューアルオープン 2004年9月22日(水)

最近はスーパーも過剰で同じ様なお店が近くにいくつも有り、薄利多売だけのサービスではもはや生き残れなくて、他には無い特色を出して客を取り込もうと必死なんだけど、そこに盲点が有る。消費者はなにも主婦を中心とする女性客だけではないのだ。

生鮮食品販売業界はこの男性アルゴリズムに基づき、新たなプレミアム戦略を打ち立てるべきだ。プレミアムというのは店頭に並べる品物ではなく、サービスのプレミアム化であり、セクシーレジカウンターである。若くて綺麗なセクシーお姉さんを特別枠のレジに置き、品物をピッピッとやりながら客の耳元で「サンマ 1匹120 え ん ♪、タマゴ広告の品105 え ん ♪」と、お買い上げ項目を囁くという、うぉー!素晴らしきかなセクシーレジカウンター!

だけど、セクシーレジカウンターに並んでいる所を知り合いにでも見つかったら恥ずかしくて立場が無いから、ここはあえて「男性専用レジ」として欲しい。これなら安心。だって男性専用だからね。僕は本当はこんなレジには並びたくないけど、仕方が無いんだ。男性専用だから、僕はイヤでもココに並ばなきゃいけなくて、あー、本当はこんなサービス全然興味無いんだけどなー。なんて素振りをしながら鼻の下を伸ばしてレジに並ぶ。でへへ。

買い物に行ったスーパーには、店内改装の為臨時休業するという張り紙が有った。きっとセクシーレジの設置工事を行なうに違いない。

 

アルゴリズム行列 2004年9月21日(火)

風呂に入って夕飯を済ませて一服していると、奥さんから買い物を頼まれた。むむー。くつろぎのひとときなのに、僕は娘を連れて近所のスーパーまで買い物に出掛けた。

買い物をするには少々遅過ぎる時間帯とあってスーパーはお客もまばらで、僕は頼まれた物を買い物カゴに入れるとレジへ向かった。お客も少ないからレジも空いていて、何処のレジに並んでもすぐに済むであろうけど、だからといって何処のレジでも良いというものでもなく、そういう時に何を基準にレジを選ぶかといえば、レジの店員さんが若くて可愛いかどうか。それは素早い状況判断能力と、さりげなさを装う演技力が求められるものであり、えーと、こっちのレジにしようかな。と、店員オバサンだよ。あからさまにガッカリ。やっぱりこっちのレジにしよ。なんてウロウロする事は人間性を問われかねない訳で、僕はたまたま偶然そのレジの前を通りかかっただけなのさ。裏に何の思惑も無いのさ。そしたら、あ、丁度ココ空いてる。偶然ココの前を通りかかり、偶然ココが空いていたからココにしようって決めたのさ。ただそれだけの事なのさ。と、終始自然に振舞わなければいけない。そう言うと僕がさもエロオヤジの様に思われるかもしれないけれど、世の男性のほとんどはこの様なアルゴリズムに基づいてレジカウンターを選択している。

 

採点してみました 2004年9月20日(月)

日記サイトに登録すると、どうしてもカウントを意識し過ぎて良くない。「コレはウケないかも」とか、「オチはどうしようか」とか、考えるべき事はそんな事じゃなくて、例え誰一人として理解出来ない内容であっても僕が書きたい事を書くべきものがつぶやきのはず。何か以前もそんな事を書いた気がするけど。そこで、今日は車の話です。僕が書きたいんだから、もう車に決定。

購入してからもうすぐ1年になる我が家のキューブ・キュービック。知らない人は居ないであろう日産のコンパクトカーだ。今日は家族で高速を使ってドライブに出掛けた。市街地から高速道路までそつなく走る。燃費も良好で室内も広い。これで139万円なら超お買い得。僕なら自分用には絶対に買わないけど。

ドコだったか忘れてしまったけど、とあるサイトにユーザーの評価を書き込む所が有り、キューブキュービックは軒並み好評価を得ていたけれど、その中で「×な点」という項目に「高速走行が悪い」と「3列使うと狭い」という意見が有った。多分「あえて言うなら」というニュアンスで書かれたものだと思うけど、僕はこの2点は特に悪いとは思っていない。なんせリッタカークラスのコンパクトカーだ。高速を快適に走れるはずがない。それでも、快適とは言えないものの1発免停を食らう程度の速度で巡航する事は可能だから、逆に僕はあの車にしては良く走る方だと思った。3列シートは、CMでは大人が7人乗った状態で紹介されているけれど、あのボディサイズで大人が7人乗って余裕があるはずが無い。これは店頭で確認出来る事だから、実際に見て、乗って、これ以上の余裕が欲しいならキューブなどやめておくべきだ。ウチの3列目はいつも畳まれて荷室になってる。まったく無意味な3列で、エマージェンシー的なものでしかなくて、それなら5人乗りの車を検討した方が良かったと思うけど、奥さんがメインに使うんだから僕は喜んで笑顔でハンコ押します。

良い点、悪い点を挙げればとてもココには書き切れないから、一度きちんとまとめてコンテンツとしてアップしようと思いつつも、僕が特別気に入って買った車じゃないからそこまでするのも面倒で書いてないんだけど、特に悪い点を2つ挙げるとすると、ATとシート。オートマの方は詳しく書くとそれこそそれだけでつぶやき1日分くらい書いてしまいそうだから省略するけど、シートは本当に頂けない。なぜみんな悪い点として挙げないのか不思議なんだけど、座ってもしっくりこない。特に助手席で寝れないというのが最悪。僕が助手席に座るのは、奥さんに運転を代わってもらって寝たいからで、それなのにどんな姿勢をとっても苦痛というのは最悪。ベンチシートだからとか、そんな問題以前の様な気がするけど、悪い評価として問題にならないのなら、やっぱりこの車は格好だけの車でしかないと思う。

最後に1つだけ良い所を挙げるとすると、あの無意味なオーバーフェンダー。と言うか、個人的にオーバーフェンダー萌ぇなだけなんだけどね。

 

自己満足 2004年9月19日(日)

このつぶやきを頻繁に更新するようになって1年以上経った。気乗りがしなくて更新しない期間が続く時もあったけど、かなり頻繁に更新してきたつもり。それは、僕がどれだけの文章を書くことが出来るかどうか試してみたかったからで、文章だからこそフォントを操作する事も、顔文字を使う事も、極力避けてきた。優れたテキスト系サイトの文章は、文章の表現のみでも面白く、また感銘を受けたりするものだから。

で、どうだったかたというと、何も変わらない。自分自身では上手く書けたと思う時もあれば、イマイチな時も有って、それでも所詮は自己満足な雑記なんだから、と思っていたけど、本当に自己満足だった。僕はアクセス解析が出来るほどの技術も無いし、サーバーはcgi不可だし、そもそもcgiって何ですか?な訳で、一体僕のこのつぶやきをどれ位の人が読んでるのか把握しきれていないものの、多分コンスタントに読んでくれている人は20人前後だと思う。その人数は1年前とほとんど変わらず、つまり僕が一生懸命書いた所で読者が増える訳ではない事が分かった。

読者が多ければ良いと言う訳じゃないけれど、極限られた一部の人だけにしか受け入れられないという事は、あまり良い文章とは言い難いと思う。僕の文章が悪いのではなく、知られていない事が悪いんだ、と責任転嫁して、日記検索サイトに2、3登録してみることにしたけど、優れたサイトってこういう所に頼らなくてもアクセス多いんだよね。

少々宣伝がましくなって申し訳ないです。だけど、いくら自己満足の日記であろうと、反響も何もないままモチベーションを保ち続けるのは難しいんだよね。何かハッキリと目に見える結果が欲しいのかもしれない。

 

ご来賓挨拶 2004年9月18日(土)

9月ももう半ばと言うのに相変わらず蒸し暑い日が続くものの、それでも朝晩は少し冷えてそろそろ秋の気配を感じる頃になった。秋晴れの朝の冷えた空気を吸うと、決まって運動会を思い出す。運動会の前の、あの胸騒ぎみたいな感じ。小中高と12年間繰り返し刷り込まれてきたものが、30も半ばになってもいまだに思い起こされる。

運動会を思い出すって言っても僕は運動が得意という訳じゃなかったから特別待ち焦がれるものでもなく、だからといって運動が特別ダメダメという訳でもなく、100m走を5人で走れば3着くらいになるレベルというか、並というか地味というか、どちらかというと長距離の方が得意だったんだけど、そうすると尚更地味な印象なんだけど、それでも全校生徒の前で、と言うよりは全女子生徒の前で醜態をさらす訳にはいかないから、もう持てる力を振り絞って全力で走る。あと、運動会というと必ず行われる予行演習がもう嫌で嫌で、特に行進。1、2、1、2、左、右、左、右、あれ?右になってるよ。っと、あれ?左?つーか、何でこんな日に限ってゴムが伸びきった靴下履いてきちゃうんだろうなー。もう足踏みする度に靴下がヨレヨレッって下がってきちゃって、それを周りに悟られずに素早く自然な素振りで引き上げようとするんだけど、行進の途中で靴下を引き上げる事は極めて困難であって、母さん、ゴムの伸びきった靴下とパンツだけは勘弁してください。と、足踏みしながら切に願ったものです。要は、何もかもが、女子の前で良い所を見せたかったんだよね。それは今でも全然変わってないんだよね。

子供の運動会を見ていた。僕が過ごした小学校ではないし、時代もすっかり変わってしまったけど、運動会の全工程は短縮されつつあるのに今でも相変わらず来賓の挨拶だけは長くて、子供じゃなくてもうんざりする開会式を眺めながら、そんな事を思い出していた。

 

モエ 2004年9月17日(金)

先日某TV番組でコスプレ喫茶(って言うの?)がやってて、メイドやアニメキャラクターの様な格好をしたウェイトレスが居る喫茶店なんだけど、噂には聞いた事があるがアレがコスプレ喫茶かー。しかしなー、いくらメイドが好きっていっても僕にはとても入れないなー。と言うより、僕はベタなメイドよりもさりげないエプロンの方が・・などと思っていたら、店内の客が映し出されて、しかも団体で! 多分番組が仕組んだ者だとは思うけど、コスプレ喫茶の客として自分がTVに映し出される事に抵抗は無いのか。と言うか、「萌ぇ〜。」とか、「僕の好みは○○です。」とか言ってアニキャラのプロマイドまで出して、うぉー、僕ならもう生きて行けません。もう田舎に帰ってひっそりと暮したいです。が、既に田舎でした。と言うか、ウチの近くにはコスプレ喫茶なんて無いんですけどね。まぁコスプレ献血などと言ってる時点で既に同類の様な気がしなくもないんだけどね(7/15参照)。

いやいや、他人の嗜好を批判してはいけない。そもそも、支持する絶対数が増えればそれが「正常」とみなされスタンダードとなる訳で、ファミレスを気取っているけどアン○ミラーズだって所詮コスプレ喫茶の様なものだし、そう言えば昔ノーパン喫茶なんてのも有ったよなー。バカバカしいなぁと思いつつも、じゃあお前は嫌いなのか?と問われれば、いや嫌いじゃないけど。むしろ好きだけど。となる訳で、メイド姿やアニメキャラの容姿が男性の本能的な部分に訴えかけるものだとすると、やがて普通の喫茶店はコスプレ喫茶に駆逐され、みんなコーヒーを飲みながら「萌ぇ。」と言うようになるのかもしれない。そう言えば、先日名古屋に行った時も似たような趣旨の喫茶店が有ったけど、需要があるからそういう商売が成り立つんだろうし、美少女系アニメとかエロゲーとかって相当定着してるのかもしれない。少なくともこういうお店が成り立つという時点でシングルオタク(シングルはあくまで単気筒エンジンのバイクを差すのであって、独身オタクという意味では決してない)はアニオタ以下なんじゃないだろうか。オタク度が人口比率に反比例すると考えると、シングルオタクから見ればアニオタは普通の人とも思えるべき格差がある様な気がした。

オタはオタ故に自らがオタである事に気付かず、自分の嗜好や思考が世間一般的なものと錯覚しがちで、自分は大丈夫。僕は普通だ。と思ってる人が案外普通じゃなかったりする訳で、シングルオタクの僕はもう一度自分の生き方を見つめ直して、メイド姿に萌ぇ。

 

黄昏オタオタ 2004年9月16日(木)

ある晴れた日の夕方、終業のサイレンが鳴ると同時に僕はいつもの様にいそいそとバイクに跨り、いつもの様にとある峠道に出掛けた。峠道を折り返して下る途中、工事用信号に引っ掛かっていると、背後からバイクが1台追い付いてきた。タイミング良く信号が青になり走り出すと、それが僕と同じ型で同じ色のSRXだという事に気付いた。思いがけずして、SRX2台でのランデブー。夕方の峠道に、シングルの排気音が交差する。

僕は仕事帰りにしか峠道を走らないから、ライダーと出会う事はほとんど無くて、たまに見掛けるのはツーリング途中のライダーか、もしくはバリ気合入ってます系レプリカだったりして、寡黙で内気で作業服のズボンの裾から靴下が見えてる僕は他にライダーが居ても話し掛ける事が出来なくて、いつも峠道を1往復するとそそくさと帰途につくんだけど、さすがに今回は停まって声を掛け、SRXに対する熱い情熱をぶつけ合った訳なんだけど、コレを見た後だっただけに、さながら渋谷の人ごみの中で同類の人を見つけたアニオタの様な気がして(渋谷がどんなだか知らないが)「オタオタ!(^o^)丿」と、声を掛けてしまいそうになったのはココだけの秘密。

僕はアニオタじゃないので、とかなんとか言って自分でそう言う人が一番信用出来ないって言うけど僕はココに書かれたネタがイマイチ理解出来ないので多分オタではないと藁にもすがる思いなんだけど、オタネタを読みながらその情景が想像出来て笑えてしまったり、微妙に自分にも思い当たるフシが有ったりする時点で既にオタに片足突っ込んでる様なそこはかとない絶望感に打ちひしがれつつも笑えるという、この何とも形容し難い感情を引きずりつつ、人が見向きもしないマイナーなバイクに乗りながら「コレ最高っすよ!」と言いきってしまう僕は、アニオタと大差無い様な気がしてきた。

初対面の方をネタに(しかもオタネタ)してすみません。でもほら、ライダーってみんな傍から見たらオタみたいなものだし。

 

豊かさ 2004年9月15日(水)

この歳で、この状況で「バイクに乗れる」という事が、ただそれだけで既に凄い事だ、というのは自分を慰める為だから言う訳じゃなく、上を見ればキリが無いし、下を見てもキリが無いけれど、でも子持ちのオヤジがバイクに乗れる状況は凄い事に違い無い。

子供が居ると子供の友達の親さんと会う機会も有って、中には僕がバイクに乗っていると知ると羨ましがるお父さんも居たりして、「昔乗ってたんですよ。大型取って○○に乗りたかったんですけどねぇ。」と、お父さんが言うと、横からすかさず「バイクはダメよ!絶対ダメ!」と、奥さんに牽制される。他にもバイクじゃないけどレーシングカートをやっていて、子供が出来たから止めた人とか。結婚を期に止める人は少なくないし、出産を期に止める人も少ないない。「それは情熱が足りないからだ。」と言うセリフがある。でも情熱さえあれば続けられるという単純なものじゃない。同じ状況になった時に、それでも同じ様に言える人が居たとしたら、他人をとやかく言う前に自分の恵まれた環境に感謝するべきだ。

雑誌やwebで紹介されるバイクや旅行記は素晴らしいんだけど、だからといってそうしなければいけないとか、そうすることが良い事だと考えるのはちょっと違う気がする。バイクは自分自身が乗るものなんだから自分が満足出来る状態、状況を良しとするべきで、例え50ccのどノーマルな中古バイクでも、例え近所の自販機にタバコを買いに行くだけでも、自分が楽しめるのであればそれで良いと思う。妥協しろと言う訳じゃない。所詮は全てが自己満足であるという事だ。

裕福である必要は無いけど、豊かではありたいと思うのです。

 

坊主とぐうの音 2004年9月14日(火)

僕が坊さんになりたかったのは、別に悪霊退散でカウンタックに乗りたかった訳じゃなく、檀家にいかがわしいツボを売りつけてボロ儲けしたかった訳でもなく、物も金も人も溢れかえった何もかも過剰で、でもその割には世知辛い今の世の中で、坊さんなら周りに惑わされる事なくストイックに真っ直ぐに生きることが出来るような気がしたからなんだけど、それが出来る人なら別に坊さんにならなくても出来るだろうし、女好きで女に弱い僕は自分には厳しく出来ても女性には厳しく出来ないだろうから、僕が坊さんになれたとしてもきっとエロ坊主でお終いだったんじゃないかと思う。

中学生の同級生に、寺の息子が居た。同じ部活だったし帰り道も同じ方向だったからすぐに友達になったんだけど、僕は絶対コイツには敵わないと思った。それは腕っぷしとか勉強とか、そういう上辺のものじゃなく、物事の考え方とか価値観とかそういった一朝一夕には成し得ない人間性みたいなもので、中学生というと一端の大人気取りで言う事は達者なんだけど、物事や意見に筋が通ってないかったりして、傍から客観的に見るとやっぱり子供な面が少なからず有ったんだけど、彼の意見には筋が通っていて、意見を交し合うとすぐに僕はぐうの音も出なくなった。

寺の1人息子だった彼は、生まれた時から既に進むべき道が決められていたんだろうけど、そういう事に対して何を考えて、何を思っていたんだろう。今は立派な坊さんになってるんだろうか。久しぶりに会って話がしたくなったけど、きっと今でも僕はぐうの音も出なくなるに違いない。

 

寡黙な僕の野良仕事 2004年9月13日(月)

日曜日に田舎に出掛けたのは子供を遊ばせるという目的の他に野良仕事をするという目的があって、僕は畑で鍬を振る。畑といっても僕が畑を持っている訳ではなく、実家が農家という訳でもなく、僕が軽トラに乗ってのは農家だからじゃねーっつーのって訳で、借りた小さな家庭菜園なのです。生協が田舎の畑を借りて、それを組合員に貸してくれるサービスがあって、それを奥さんと友達で借りて畑を始めた。日曜日、暇なので僕も刈り出され、鍬を持ち、畦を作る。首にタオルを巻き、長靴を履き、汗だくになって鍬を振る。畑仕事って、クリエイティブで何だか楽しい。

昔、気象台で仕事をしたかったというのをつぶやきで書いたけれど、それ以外にもやりたい仕事が有って、それが坊さんと農業だったのを思い出した。だけど僕の実家は寺でもなく、彼女が寺の一人娘という訳でもなかったし、僕の実家は農家でもなく、僕は農作物の生産に関するノウハウなど皆無で、それでも情熱を持ち、労力を惜しまなければ成し得る方法はいくらでも有るんだろうけど、僕は漠然とやりたいなーと思っていただけで結局何の努力をする事もなく安泰なサラリーマンに妥協した。どちらも大変な仕事には変わりない訳で、並々ならぬ情熱が無ければ挫折しそうだから、結局それで良かったのかもしれない。

だけど、畑を耕していると、地に足をつけて云々と言う様にそれが本来の人のあるべき姿であるというか、僕には妙に性に合っている様な気がした。

 

寡黙な僕の日曜日 2004年9月12日(日)

今日は家族で久瀬村の月夜谷に出掛けた。田舎慣れしている僕から見ても田舎の中にポツンと存在する施設は、日曜日なのに人がごったがえす事も無く、コテージなども有ってなかなか良かった。近くには穴場的温泉も有るし、クネクネ道も一杯有るし、都市部からだとツーリングがてら訪れるには良いかもしれない。

月夜谷 http://www.tsukiyodani.com/

温泉(白龍の湯) http://www.ginet.or.jp/kuze/index.htm

日曜日で天気もまずまずだったから、ツーリング途中のバイクもよく見かけた。僕はと言えば、もう1年ほどロクにツーリングにも出掛けていない。伸びる走行距離はほぼ100%通勤によるもので、いくらバイクに乗れるだけで凄いことだと言っても少し寂しくなった日曜日の午後。

 

寡黙な僕の休日 2004年9月11日(土)

休日に家族で出掛けたデパートで、子供がじっとしていられなくて奥さんに怒られた。悪い事をしたのは子供であり怒られるのは当然で、奥さんの言い分も分かるんだけど、せっかく家族で出掛けたのに気が重くなった。

それは、子供を弁護するとより奥さんを不快にさせる事になり、それはより家族の雰囲気を悪化させる事を意味し、逆に奥さんに同調して子供を責めると子供を家族から追放してしまいかねない位突き放すような気がするからで、僕はどうする事も出来ず、より無口になるしかなかった。

 

凄い事 2004年9月10日(金)

ゲームは面白いんだけど、いくら没頭したところで結局バーチャルな世界でしかなく、リアルな社会には剣も魔法も無ければ、救うべき王女様も世界を牛耳る大魔王も居なくて、あー、でも大魔王は居るかもしれないね。そんなバーチャルな世界にうつつを抜かしていると引篭もりヲタになってしまいそうで、僕はリアルな社会で熱中出来るバイクと女にうつつを抜かし、引篭もりヲタから鉄砲玉バカになって親に呆れられた。

免許を取り、バイクを買い、僕は自由を手に入れた。はずだった。だけど現実はそれほど自由ではなく、学校やバイトに束縛され、免許には「中型に限る」と束縛され、免許の呪縛から解き放ちV−MAXに乗って自由を勝ち取ろうと思い限定解除したら、中古でもV−MAXを買えるだけの金を工面する事は非常に困難で、V−MAXどころかガソリン代を工面するのも困難で、一見自由に見えた実社会は見えない障害物が沢山有って身動きが取れなくなった。どうも僕は昔から金と時間に束縛されながら生きている。

それなのにバイク関係のサイトを見ると、僕には到底工面出来ない大金をつぎ込んだカスタムとか、到底都合つけられない程時間を掛けたツーリングとか、そういうのが溢れていて、そのくせ僕には到底マネが出来ない様なトホホなんてほとんど無くて、そういうのを見るにつけ僕は本当にバイクを堪能してるんだろうか?と、疑問に思ってしまうんだけれど、でも本当は30代40代の所帯持ちのオッサンがバイクに乗るという、ただそれだけでも凄い事なんだ。そう、凄い事。それは凄い素敵な事かもしれないし、凄い馬鹿げた事かもしれないし、凄い事なんだけど、凄いはずの僕はバッテリーすら買うことが出来ず、少し泣けた。

 

グラフィック 2004年9月9日(木)

ゲームボーイアドバンスを買って昔のファミコンソフトの復刻版ファミコンミニをやる!と言いながら、結局家電屋のゲームコーナーで叩き売りされていたゲームボーイカラー980円を買ってゼルダの伝説にハマる。いやー、おもろいなー、ゼルダ。こんな小さなカセットに広大なフィールドとダンジョンと、奥深いストーリーが閉じ込められているのです。なんかね、もう僕はGBレベルで充分だと思えてしまうね。34にもなってGBでピコピコ遊んでるのもどうかと思うけどね。

「ゼルダの伝説」をネットで検索すると色々出てくるんだけど、思い入れの深い個人のサイトが最初にヒットする。「初代ゼルダが1番だ。初代以外はゼルダの伝説ではない。」と言い切っている。確かに続編はちょっと路線が外れたけどね。ハードもソフトも、昔とは比べ様も無い程進化したというのに、今なお支持される物。個人の思い入れに過ぎないかもしれないけれど、ファミコンソフトが復刻されるという事はそれを望む人が居るからで、1個人の偏った思い込みだけでは無いみたいだ。

なぜそれ程までに昔の稚拙なゲームが支持されるのかと言うと、その出来の悪さじゃないかと思う。いや、僕が勝手にそう思ってるだけなんだけど、出来が悪いというのはハードの限界に起因するグラフィックの悪さで、ゼルダの伝説にしても、ドラゴンクエストにしても、今となってはグラフィックに見るべきものは無い。だけど、そこにはプレーヤーの思想が入り込む余地が有り、良いゲームは想像力を掻き立てられ、平面的で極限られた範囲の大地、ドットが荒々しい主人公やモンスター、ゲームのグラフィックでは表現しきれない物や背景をプレイヤーが想像力で補い、小説を読み進める様に拙い映像の中の冒険に心を躍らせる。つまり、ゲームの世界に引き込まれるのだ。昔、ゼルダの伝説の取説に描かれたイラストを見て、冒険のステージを思い描いた事を思い出した。そして、僕は小さな液晶画面内の拙いエンディンググラフィックに冒険の達成感と一抹の寂しさを感じた。

 

没頭 2004年9月7日(火)

自宅の押入れの中に仕舞い込んでいたゲーム機を引っ張り出してきて、ちょっと子供と遊んでみようかと思ったらウチの娘がハマってしまって、いつでも「ゲームやりたい。」と言い、家族で出かけてもゲーム売り場のデモ機に夢中になったりして、ゲーム好きと言うよりは度が過ぎてすっかりゲーム馬鹿になってしまって呆れていたら、奥さんに「あんたにソックリやなぁ。」と言われた。

まぁ僕も昔はトチ狂った様に寝食を忘れてゲームに没頭していたけれど、しかしまだ小学生にもなっていない小さな子供がゲームに夢中になるのはあまり好ましくない気がする。それだけの情熱と集中力があるなら、もっと有意義に使って欲しいと思う。だけど娘は言うんだ。「クリスマスプレゼントはゲームボーイアドバンスが欲しい。」って。

よし、パパからもママ・・いや、サンタさんにお願いしといてあげるよ。だからパパにも貸して下さい。

 

編集後記 2004年9月4日(土)

エロ系のメルマガは腐るほど有るけど、面白かったりタメになったりする物はほとんどない。いや、僕はそんなの沢山購読したりはしないんだけど、そんな中、僕が唯一購読しているエロ系というか、そんなにエロくないのでエッチ系にしておこうか、とにかく、それ系のメルマガが有る。これ

「男と女の営み」ってタイトルが何だか凄く怪しい雰囲気をかもし出しているんだけど、その実誰しも思うような男女のちょっとした疑問に対して読者がアンケートに答えるという形式で、もう6年も前から行われてるらしい。アンケートから導き出された結果は簡潔にまとめられていて、それに対して管理者がクドクドと解説したり、アドバイスしたり、「ソレにはコレ!コレが良いから今すぐ買いなさい。」なんていう商売っ気も無くて良いんだけど、そんなアンケート結果も興味深いものの、実は僕はこのメルマガの一番最後に書かれている編集後記が好きだ。いつも共感したり、感心したりする事が簡潔に書かれている。1度や2度なら綺麗事を書くことも容易いだろうけど、それを毎週毎週数年間書き続けることは容易ではなく、編集者の人柄を現してる様な気がする。

 

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