こときちのつぶやき

2005年 1月

銀行 2005年2月1日(火)

役場も銀行も、週末に窓口を開けろ。それくらいやる気になれば簡単に出来るだろう。そう思っていた。だけど、メルマガの投稿を読んで、少なくとも地方銀行は、労働条件も賃金も僕が想像していたよりも遥かに厳しい状況だった。みんな人知れず頑張ってるんだろう。根拠の無い想像で、決め付けるのは良くないね。

だけど、週末のATMで掛かる手数料の105円を惜しんで不自由する僕は、あれは何とかならないものかといつも思うのだけれど、消費者金融が大流行りな今時に手数料の105円を惜しむ客をないがしろにしたところで、大した問題にはならないのかも。

 

ユビキタス小児科 2005年1月28日(金)

ユビキタスだのユキビタスだの、意味不明な言語が飛び交う昨今、何でもかんでも、いつでもどこでもネットワーク。それが目指す情報化社会であると思ってるらしい。だけど、ネットも携帯も必須ではなく、自動車のATすら余計なお世話だと感じる僕にはユビキタス社会は素晴らしき近代化社会でも桃源郷でもない。

そんな事よりも、もっと簡単に出来て人の為に役立つ事はいくらでもあって、例えば土日に窓口が開いている銀行、土日に窓口が開いている役場、土日に窓口が開いている陸運事務所、日曜日に診察している小児科。必要なのはやる気で、高度な技術開発など必要無い。それでどれだけの人が助かるだろう。

携帯を持っていないと不安になる。ネットに繋がらないと孤独になる。情報に踊らされちゃいけない。生きていく為に必要な物、本当の意味で生活を豊かにしてくれる物は、そんな物じゃない。

子供が寝込んだ。僕に今必要なのは高度情報化社会ではなくて、小児科なのです。

 

ガリレオ 2005年1月26日(水)

買い物で立ち寄ったホームセンターの片隅に、カラフルな玉が封入されたガラス細工が展示してあった。ガリレオ温度計だ。以前東急ハンズで見かけて、買おうか随分悩んだものの、少々値が張る割には大して役に立つ物でもなかったから渋々諦めた事が有ったけれど、まさかこんなホームセンターでお目に掛かるとは思ってもみなかった。展示品は丁度20℃を示すガラス玉が浮き上がるところで、しばし見入ってしまった。綺麗だなぁ。何だか神秘的だなぁ。隣の温度計もほぼ同時に浮沈子が動くから、中国製の安物でも意外に誤差は少ないのかもしれないなぁ。ひとしきり眺めた後、少し大き目のガリレオ温度計を1つ買った。

多分これはインテリア用にアレンジした物で、元々はこんなにカラフルな物ではなかったんだろう。その浮沈子も2℃おきにしか無いから、正確な温度を測るべくもない。今なら瞬時に正確な温度を測る道具が幾らでも有るし、ガリレオ温度計についても、沢山紹介されている。今の世の中、そんな事は特別珍しくも無いって事だ。

僕が学校に通っている時から、既に理科で扱う事は周知の事象ばかりだった。結果が分かっている事を実験し、最初から分かっている結果を導き出し、時々それに合わせて結果を誤魔化したりしているだけだった。昔でもそうなんだから、何でもすぐに検索出来てしまう今の世の中、分からない事や謎めいた事は、もうほとんど残されていない。だけど、僕は理科が好きだった。頭では分かっていても目の当たりにする現象は、不思議で、神秘的で、面白かった。何も無くて、何も分からない時代に、ガリレオは圧力に屈する事無く、様々な事象を見据え続けてきたんだろう。今、僕らはあらゆる物が解明され、あらゆる物が手に入り、あらゆる情報が溢れかえるこの世の中で、物知り顔をしながら大切なものを見失っている様な気がした。

ガリレオ温度計を居間に置くと、すかさず子供たちが寄って来て、「うわー、綺麗だね。」「面白いねー。」「パパー!青いのが下行ったよー!」と、目を輝かせながら覗き込んでいた。本当は何も変わっていないのかもしれない。ただ、大人の目が曇ってしまっただけなのかもしれない。

 

類友 2005年1月25日(火)

そんな日曜大工を終えた休日の夜、1人岡崎まで出掛けた。ラリーに出たいなーラリラリホー♪と、言っていたところ、うなぎさんから「ラリーマシンの製作の打ち合わせをするから、良かったら来ませんか?」というお誘いを受け、行く行く!ラリーには行かないくせに行く!と、1人岡崎まで車を飛ばした。

ラリーに必要な計器類の設置方法とか、タイヤはどんな銘柄をどれくらいのスパンで使うかとか、スプロケットはどうするかとか、モンゴルのコースはどんな感じなのかとか、なかなか知る機会が無い具体的な事を詳しく聞くことが出来て非常に参考になった。しかし、うなぎさんは「東京から知人が来る」と言っていたので、僕はラリーに参加するライダーが1人と、その友人らが集まるものと思っていたのに、集まった4人(僕を含めて5人)の中で、ラリーに参加する人が2人。しかも参加する人が他にもまだ3人居て、チームエントリーすると言う。あははは。アホや。アホが一杯おるで。会社で頭を下げて無理やり休みを取って150万円をパーにするアホがこんなに沢山居るとは思いもしなかった。

帰りがけに、うなぎさんがビデオテープを貸してくれた。ラリーレイドモンゴルのビデオだ。子供を寝かし付けた後に見てみると、ゴビ砂漠を走るバイクが写っていた。写真で見るよりずっと走りにくそうだな。フカフカの砂地は重いバイクでは辛いなぁ。もっと軽くて扱いやすいマシンが必要だなぁ。しかし無難なマシンで無難に完走を目指すというのもどうなんだろう。順位争いを捨てるなら、例えペナルティを負ってでも冒険したいなぁ。でも僕のDR−BIGでは、色々な意味でゴールまで辿り付けないよなぁ。あ、軽トラってのも面白そうじゃん。4駆の軽トラで4輪クラスに参加っていうのも面白そうじゃないか。

見事にアホが伝染った。まったくネタ的な事しか思い浮かばない。そんなアッパレなアホの皆さんには、思う存分頑張ってきて欲しいと思う。(ここで言う「アホ」は、自身の価値観をしっかりと持つ人に対する褒め言葉です)

 

月曜日 2005年1月24日(月)

「こときちさんは、お休みの日は何をしてるんですか?」と、よく聞かれる訳でもないのだけれど、つーかそんな事は誰も聞いちゃいないんだけど、アラヤダちょっと奥さん聞いてよ。こときっつぁんたら休日はいつも日曜大工なんですって。土曜にやっても日曜大工。なーんつってね。ナハナハ。などと寒いオヤジギャグをカマしたりする訳なんですが、真冬のこの時期に屋外作業というのもまた非常に寒い。と、思いきやそうでもなくて、大工仕事は肉体労働。赤いトラクターで熱い男の仕事なのです。真冬でも汗をかくくらいにね。

日曜大工で何を作っているかといえば、以前つぶやきでも書いた(04/11/28)様に、自宅の庭先にテラスを作っているのです。テラスといえば聞こえは良いけど、要は洗濯干場。構想を練り、材料を選定し、おおよその費用を算出し、お、何だ。意外に簡単に出来そうじゃないか。オレってば凄いな。カーペンターだな。ナハナハ。と、気楽に考えたものの、確かにそれ程難しくはないのだけれど、なんせ作業をするのは僕1人。構想や設計から材料の選定、買出し、加工、組み立て、基礎の穴掘りからペンキ塗りまで、全て自分1人でやらなければならない訳で、ハシゴをよじ登って作業しようと思ったら、あ、アレ忘れた。おーい、アレ取ってくれ。って誰も居ないや。仕方ない。と、ハシゴを降りてアレを取って再びハシゴを登ったら、あ、ハシゴの位置が悪い。おーい、ハシゴ移動してくれ。って誰も居ないや。仕方ない。と、ハシゴを降りて位置を調整して再び登って、延々とハシゴを登ったり降りたり登ったり降りたりして、しかも「天気が良い休日の昼間、そのうえ正月休みもロクに無し」という厳しい作業時間の制約もあって遅々としてはかどらず、かと言って放っておいても僕以外に作業者は誰も居ないのだから僕がやらなければいつまで経っても終わらない訳で、そうすると休日にバイク整備とか、ツーリングとか、コタツでうたた寝とか、笑っていいとも増刊号とか、そんな事は完成させてから言ってよ。となる訳で、もう天気が良い休日は朝から日暮れまで、途中昼ご飯の時間以外は休憩どころかトイレに行く時間すら惜しんでぶっ通しで黙々と作業するのです。

つまり、月曜日は燃え尽きているのです。

 

指定席 2005年1月21日(金)

軽トラックは非常に高いユーティリティ性とか、高い経済性とか、意外に楽しいドライブフィールとか、与えてくれる恩恵が多い反面、至らない点も多く、それでも大抵の不都合は多少の我慢で笑って許せるのだけれど、中には笑うに笑えないものもある。その1つにスタビリティの無さ、つまり簡単に破綻してしまう走行安定性の低さという点が有る。

軽トラックは非常に簡素な造りだから車体もとても軽く出来ていて、トラックという形状だから、空荷の時は当然後ろが軽い。それに、荷物を積む事を前提としている為、サスペンションが非常に硬く、空荷の軽トラは後輪のトラクションが不足しがちで、スリップやスピンを起こしやすいという欠点がある。4輪駆動という手も有るのだけれど、僕は田んぼのあぜ道を走ったり、山林に分け入ったり、軽トラでスキーに出掛けたりする訳ではないので、重く、複雑な機構を持ち、高価な割に普段は恩恵を受けにくい4駆は、なるべくなら避けたい。4駆じゃなくても、スバルの様に重量物であるエンジンを思い切り後方に配置するものも有って、メカ的には非常に興味深いものの、スバルには最大の欠点が有って、それはとても「ブサイク」だということだ。トラックにデザインを求めるのもナンセンスであるとは思うものの、スバルの格好にはいかんともしがたい耐え難いものがある。

安定性に欠けると言っても安全に走れるまで速度を落とすなり、気をつけるなりすれば良いのだけれど、積雪や凍結路など極端に路面状況が悪い場合は、例えスタッドレスタイヤを履いていてゆっくり走っていてもさすがにスリリングで、運転には神経を使う。要は後輪にしっかり駆動が掛かる様にすれば良い訳で、ならば後ろに荷を積めば良いのだけれど、それは晴れの日には非力な軽自動車にとって単なる足かせとしかならない。更に、重りも広い荷台の何処に置くかで効果も全く違う訳で、後端に置けば後輪のトラクションが増すけれど、代わりに前輪の接地感が薄れて直進安定性に欠けるし、左右のバランスも大切だ。つまり、加速、減速、右曲がり、左曲がりなど刻々と変化する車の状態に対し、重りの位置によってはその効果は+にもなれば−にもなる訳で、必要な時に、必要なだけ、必要な場所にウェイトが有るのが理想的と言える。加速時は前寄りに、減速時は後寄りに、右コーナーでは右に、左コーナーでは左に、つまり慣性とは逆方向に移動しなければならないから、単に重り任せでは無理が有るのだけれど、フト思いついたのです。非常にフレキシビリティなウェイトを。それは「人間」だ。

人なら自在に動けるのです。パッセンジャー(と言うかウェイター?)の働きいかんによっては、軽トラックのポテンシャルを120%発揮する事が出来るでしょう。そんな訳でお義母さん、荷台に乗ってください(悪天候の日は僕が職場まで送っている)。

 

絶望に効くクスリ 2005年1月18日(火)

山田玲司というマンガ家の作品、僕は結構好きで、中でも「17番街の情景」が好きなんだけど、あの荒っぽいデッサンの様な画風と熱くてクサいストーリーの中に、作者の陰の様なものを感じて、それがどことなく共感するのかもしれない。
その山田玲司のマンガが、本屋のコミックのコーナーに置いてあった。「絶望に効くクスリ」というマンガ。マンガではあるのだけれど、山田玲司と様々な人との対談をマンガにしたもので、内容は気になるもののコミックとしてはどうなんだろう?別に活字でも良い様な気がするけど。別に僕は絶望してないしなー。650円って微妙な金額だしなー。などと購入をためらっていたんだけど、コミックの帯に「この国がイヤなら捨てちゃえばいいんだよ by 五味太郎」と書かれていて、僕は頭をド突かれた様な衝撃を受けて反射的にコミックを手に取り、フラフラと本屋のレジに差し出し、ついでに図書券も差し出して追金150円で購入するに至った。
僕も小さな子供を持つ身だから、五味太郎の絵本は何度か目にした事が有る。なんとなくほのぼのとする印象を受ける絵を書いている人が、あれほど辛口な人だったとは思いもしなかった。とは言うものの、辛口なのは「大人に対して」だけなんだけど。その意見は「なるほど」と頷くことしきりなんだけれど、この先この国はどうなっちゃうんだろう?という漠然とした憂いに対する明確な答え。「イヤなら捨てちゃえ。」 日本は小さな島国だから、外国に住むという事はとてつもない事に思えてしまうけど、陸続きの欧州なら隣の国に移り住んじゃう、なんて事が極普通に行なわれているのかもしれない(本当の所はどうだか知らないけど)。
分かってはいても社会や既成概念の呪縛から逃れるのは難しいだろう。実際に僕が日本を離れる事はまずないだろうし、何処へ行っても少なからず不平不満は有るだろう。だけど、出来る事なら僕の子供は自由にしてあげたい。その為に、何処でも、どんな状況でも生きていけるだけの術を与えてあげたいと思う。そう思う事が既に親のエゴなのかもしれないけれど。
このマンガ、かなり面白い。

 

雪だるま 2005年1月17日(月)

毎日寒い日が続き、時折雪がちらついたりしている。この時期、雪にまつわる話などを目にする事も多いのだけれど、先日、とある所に雪だるまに関するエピソードが載っていた。

子供の頃、雪が降ったのが嬉しくて小さな雪だるまを作った。でも、そのままでは溶けてしまうから、お母さんが冷蔵庫に入れてあげたら?と言ったそうだ。その後、毎年雪が降ると小さな雪だるまを1つ作って冷蔵庫に入れていたらしいのだけれど、子供も中学生くらいになって雪だるまも15個くらいに増えた頃、冷蔵庫を買い替える事になって、雪だるまは消えていったそうだ。受験をひかえた子供を気遣ってお母さんが冷蔵庫を買い替える話を切りだせなかったなどと書いてあって、僕は素敵な話しだなぁと思った。少し昔の話しだから、きっと今ほど冷蔵庫も大きくなかっただろう。毎年増え続ける雪だるまも冷凍庫を圧迫し、正直迷惑な面も有ったに違いない。それなのにお母さんは「いい加減に止めたら」などと言う事もなく、子供が作る雪だるまを大切に保管し続けて来たんだろう。子供の成長と共に増え続ける雪だるまが、思い出深くて捨てるには忍びなかったのかもしれない。でも大人の立場ならたとえ1個の小さな雪だるまでも「冷蔵庫に入れておいたら」などとはなかなか言えないんじゃないかと思う。

温暖化が進み、昔は豪雪だったこの地域でも雪が降ることは珍しくなった。それに連れて雪だるまにまつわるエピソードも減っていくんだろう。世知辛い世の中を見ると、地球温暖化は人の心も砂漠化させる様な気がした。

 

大は小を兼ねません 2005年1月16日(日)

大きなバイクを否定する訳じゃない。ただ、大きいが故に困る事も少なからず有るという事だ。

僕が所有するDR−BIGが壊れ、修理の間SRX−6に乗っていた。修理を終えて久しぶりにDRに乗ったら、あまりの乗りにくさに驚いた。もちろんオンロードとオフロードという大きな違いが有るのだけれど、それを差し引いても何もかもが重く、鈍重なのだ。

SRXとDRは同じ単気筒エンジンのバイクで、SRXは600ccで40馬力、DRは800ccで50馬力ほどのパワーがある。軽量なバイクでの10馬力の差は非常に大きな差になるはずだけど、実際にはSRXの方がシャープな動きをする。レスポンスの悪いノーマルエンジンであるにも関わらずSRXの方がシャープな印象を受けるのは、車体が軽くてコンパクトだからだ。30kgという重量差が10馬力の出力差を完全に食ってしまっているんだろう。ビッグバイクで800ccも有るのに動きは鈍重で、乗っている時だけじゃなく押し引きでもかなり神経を使う。純粋にライディングだけを考えるなら、SRXの方が遥かに楽しい。

じゃあDRは全然ダメダメなバイクなのか?と言うと、そういう訳でもない。シャープなフィールは、特定されたシチュエーションで短時間に限るならこの上ない悦楽をもたらすだろうけど、それが刻々と変わる状況で長時間に渡るとなると神経を使って疲れてしまう。しかも、DRならSRXでは到底走ることが出来ない状況でも走ることが出来るというメリットもある。欲を言えばもっと軽ければ良いのだけれど、それは古いバイクだから仕方が無い。

僕が持っている2台のバイクでさえこれだけの差が有るのだから、世間に出回っている数々のバイクにはそれぞれ長所と短所が有るはずだ。所詮趣味の物だから、他人が何を選ぼうが勝手ではあるけれど、「どうせなら大きい方が良い。」という短絡的な考え方は、僕はお勧めしない。

 

大は小を兼ねるか 2005年1月15日(土)

とあるバイク雑誌の中で、大型バイクと小型バイクを比較するコーナーが有った。内容からは「ビッグバイクは凄い。注目の的。」という印象を受けて、僕はとてもガッカリした。なんで好きで乗る趣味のバイクでさえ他人の目を気にして選ばなきゃならないんだろう。ビッグバイクは確かに迫力があって、カッコ良いかもしれない。だけどその判断基準は人それぞれで、人によってはガラが悪いとか、威圧感を覚えるとか、違う印象を受けるかもしれない。それでも雑誌を読む人の大半は、大きなバイクに迫力や魅力、カッコ良さを感じているのかもしれないし、雑誌の企画としては成功したのかもしれない。だけど、どうせ比較するなら一方的な価値観を押し付けるのではなく、大きなバイク、小さなバイクのメリット、デメリットをそれぞれで挙げる事で、バイクに対する価値観をもっと押し広げて欲しかった。つまり、既成概念に捉われる事無く、カッコイイとは何かという事を色々な角度から提言して欲しかったんだ。

あのコーナーを読む限り、「バイクはデカくて迫力があって、ついでに音もデカい方がカッコイイぞ」という印象しか受けなかったのだけれど、バイクの車幅やタイヤの幅、排気量や排気音の大きさで優劣を決めるなんて、あまりに大人気無い。僕は、そんなものに魅力は感じないけれど、うぁっ!だから僕は人が見向きもしないモノばかり乗ってるのか!

 

限界の先にあるもの 2005年1月11日(火)

そもそも、何でラリーなの?ドロドロになって、クタクタになって、ボロボロになって、そうまでして走る理由が有るのか。広大な大地を疾走したいなら北海道でも堪能出来るし、モンゴルじゃなきゃダメにしろ、バイクのツアーや個人でツーリングという手段も有る。その方がよほど自由が利くし、費用もずっと安上がりだ。

だけど、僕はそれでは満足出来ないと思う。それはあまりに自由過ぎるから。苦痛になったらすぐに止められる。困難になれば、誰かが手助けしてくれる。それ以上進めなくなったら、引き返す事が出来る。僕はとても甘い人間だから、きっと自分に都合の良い様に理由つけて、困難から目を背けてしまうだろう。そもそも、ツアーとかツーリングって楽しく過ごすものであって、困難や苦難は出来る限り排除されるべきものなんだよね。

バイクに乗っていて、「もうこれ以上は1mだって走れない。」と思った事があるだろうか。コンペティティブな世界は良い。立場は皆イーブンであり、抜け道は無く、言い訳は出来ない。そういうシチュエーションでなければ、自分の限界を知る事も無いだろう。自分の限界。そして、その先に有るもの。幾多の困難を乗り越えた先に見えるものは、ツアーやツーリングでは見えないものだと思う。ラリーでなら、それが見えると思うからだ。

 

エントリーフィー 2005年1月8日(土)

出たい!出たい!ラリーに出たい!と言ったって、費用も分からないんじゃ話にならない。ラリーに参加する為に必要なものは、情熱と金だ。じゃあ一体いくら有れば出られるのか? それが知りたくて請求した資料が届いた。ちなみにこのベイジン〜ウランバートル・ラリーレイドの資料、希望の方は200円分の切手を同封の上〜などとセコイ事は言わず、無料である。参加するしない如何に関わらずタダである。しかも、オリジナルバンダナのオマケつきである。参加しないのに貰うだけ貰ってはあまりに申し訳無いので、自分のHPにリンクを張っておいた。

その資料によると、参加費用は最大で約110万。前もって参加出来るのが分かっていれば、早期申し込みの優遇で10〜20万の割引が有る。だけどそれはエントリーに必要な金額であって、それだけで走れる訳じゃない。マシンのセットアップに20万、装備品で10万、雑費に20万。ざっと考えてもトータルで160万円。早期割引を最大限利用したとしても140万くらいは必要になる。アプローチの仕方によって費用も変わるだろうけど、目安としてはおおよそで150万前後といった所だろうか。これはあくまで今有るバイクで参加する事が前提の概算だから、完走出来る確率を上げるなら、更にマシン本体の費用が掛かる。

車に150万使った。ギャンブルで150万つぎ込んだ。女に150万つぎ込んだ。飲代で、旅行で、ダイエットで、なんていうのはありがちな事で、投資の対象は人によって様々で、それは何を重視するかで変わるものだから、海外ラリーの費用が150万円というのも途方も無い金額という訳じゃない。それは現実的な金額ではあるものの、だけど妻子持ちのサラリーマンにとっては絶望的な金額でもある。会社休んだ上に、10日程で150万を使いきってしまうなんて、賀来千香子じゃなくても馬鹿げてると思うよ。そんな金が有ったら、家族で東京ディズニーランドやハワイにでも行こうって絶対思うだろう。

無理だと思っていても、砂塵を上げて平原を疾走するバイクの写真に鳥肌が立った。望みを捨てなければ、いつかチャンスが巡ってくるかもしれない。その為に、まず壊れたエンジンを直そう。

 

妄想爆走チンギスハン 2005年1月7日(金)

賀来千香子の旦那の宅麻伸は大層なバイク好きで、バイクにお金をつぎ込んでいるらしいのだけれど、賀来千香子はそれが理解出来ないらしい、という様な話をTVでやっていたと奥さんが話していたものだから、それとなく「オレ、ラリーに出たいなー。中国とモンゴルを走るヤツ。」と言ってみたら、ウチの奥さん、「ふ〜ん、出れば良いじゃん。」と言った。やったー!わーい!わーい!ラリーに出れるー。嬉しいなー。ラリーラリーララルルルー♪・・・じゃなくて、「そんな簡単に言うけどスッゲー金掛かるんだよ。」と言ったら、「そうなの?メカニックとか連れて行かなければ、そんなに掛からないのかと思った。」と奥さんが言うものだから、「一人でもかなりの費用が掛かるんだよ。」と、言ってはみたものの、一体いくら掛かるのか僕も知らなかった。

僕の頭の中はモンゴルで一杯になり、チンギスハーンが旗をたなびかせながらラリーレイドマシンでゴビ砂漠を爆走している。

 

正月 2005年1月3日(月)

僕にとって正月は普段と何ら変わり無く、折角の休日に出掛けても何処もかしこも人ごみでうんざりして、何がめでたいんだかサッパリ分からない。正月はめでたい。あぁうれしいなお正月休み。なんて思ってる人ばかりではなく、正月も休み無く働いている人も沢山居るだろうし、休みでも苦痛を強いられている人も大勢居るだろう。例えば、正月休みに実家に帰省する人。実家は実家でも、旦那の実家に帰省する奥さん。旦那の実家じゃくつろげたもんじゃないし、旦那の兄弟とか、親戚とか大勢集まれば家事も大変だろうし、皆良い人達ばかりで幸せです。なんて恵まれた環境の人はまず居ないだろうし、正月なんて来なければ良いのに!って思ってる人も居るんじゃないだろうか。

それでも正月が無意味であるとは僕は思わない。それが変わり映えしない1年の中の数日だったとしても、1年という区切りを付ける大切な日でもある。区切りが無ければ死ぬまで変わり映えしない毎日が続くのだけれど、正月という区切りのお陰でリセットすることが出来る。去年は散々な1年だった。だけど今年は何か良い事が有るかもしれない。ちょっと頑張ってみようか。とか、去年は素晴らしい1年だった。今年もより良い1年になるように頑張ろう。とか、ここで1区切りつけて仕切り直すのも大切だと思うからだ。

僕にとって去年はあまり良い事が無かった。かといって悪い事ばかりだった訳じゃないけれど、有意義に過ごせたかどうかははなはだ疑問だ。30過ぎの子持ちにとって時間にゆとりが無いというのは何も僕に限った事ではなく、誰もが同じような状況に置かれている訳で、だからといって「忙しい。時間が無い。」と言うだけでは何の解決にもならない訳で、それならばその限られた時間を少しでも有効に、充実したものとする為に努力しようと思う。

つまり、それは「同じバイク修理を何度も失敗しない。」という事です。今年こそは!

 

抱負 2005年1月2日(日)

正月といっても、僕の生活は普段と何も変わらない。週休2日が1日増えた程度で、僕にとっての正月は慌しく過ぎ去る毎日の中の1日にしか過ぎない。

つぶやきを書くのをやめたからといって、僕の生活は何一つ変わらなかった。正確に言えば、「僕の私生活の中で10分ほどゆとりが出来た」という程度の変化はあるものの、全体的に見たら何も変わらないに等しい。変化が必要であるか否かは別として、僕が日記をやめても、ネットを断ち切っても、携帯を捨てても、バイクをやめても、多分僕の生活はさして変わらない。

だけど、コレならきっと、僕の価値観や世界観を一変してくれる気がする。生きる事とは何か、生きていく上で何が本当に必要で、何が人生を豊かにしてくれるのかを教えてくれる気がする。僕が望むのは物が溢れかえった便利で豊かな暮らしではなく、こういう経験なんじゃないかと思い資料請求をしてみたけれど、「参加予定」の欄に迷わず「ない」をチェックして、儚くも現実を実感させられた。

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