こときちのつぶやき

2005年 4月

晴れ舞台 2005年4月24日(日)

僕は昔から運動が苦手で、でも苦手と言っても全くダメダメな訳でもなく、通知表の評価で言えば5段階の3くらい、100m走を5人で走れば3番目くらい、という、抜群の運動能力ではないけど全くのダメダメでもないという実に平凡で地味な立場であり、だから運動会の花形競技であるクラス対抗リレーなんて僕の出る幕じゃなかった。

それが高校を卒業してから17年にもなろうかという今、リレーに出る事になった。地区運動会の年代別リレー。参加者が集まらずにやむを得ず、という理由からなのだけれど、運動会の取を飾る花形競技だ。BMIも体脂肪率も標準的であり、どちらかと言えば肉体労働的な仕事で毎日体を動かしているし、学生時代ならいざしらず、一緒に走るのはみんな中年なんだから、今ならなんとかなるかもしれない。

リレーがスタートし、僕らのチームは2位という好順位。バトンを受け取り、僕は全力で走り出す。たかが200mじゃないか。それも1度キリ。スタミナが尽きる前にゴールしてるよ。ほら、コーナーリングはお手の物さ。コーナーを終えてストレートに入りスパートを掛けた直後、何故だか地面が傾いて、気が付けば僕はグランドの上に突っ伏していた。咄嗟に立ち上がって走り出すものの、2、3歩踏み出したところで足がもつれて再び転ぶ。良い所を見せるどころか、這う這うの体で次のランナーにバトンを渡すことになった。

歳を取ると、本当に走れなくなるんだ。そして、僕自身もそういう年代にあるんだという事を痛感させられて、僕の晴れ舞台は一世一代の舞台となった。

 

昇給と僕のプライド 2005年4月20日(水)

春と言えば、桜。花見。そして昇給。僕の給料も、僅かではあるけれど昇給した。

週刊誌に、TV局の実情が掲載されているとか。何でも某テレビ局社員の平均年収は1500万とか。対して、下請けの製作会社社員の給料はとんでもなく薄給とか。以前このメルマガの中でもTV局の事情が出ていたので、多分実情はそんなものなんだろう。

ライブドアのTV局買収劇で、TV局の社員のほとんどがライブドアとの提携に対して否定的であったらしいけど、そんな事情を垣間見ると、「今までの仕事に誇りがある」と言うよりは、「安泰な現状を維持したい」という思いからじゃないのか?という、うがった見方をしてしまいそう。

TV局の給料がいくらであろうが、実情がどうであろうが、僕にとってはどうでもいいんだけれど、少なくとも昇給した分くらいは去年よりも良い仕事が出来る様でありたい。年功序列に甘んじるのではなく、給料に見合うだけの仕事が出来るように。それは愛社精神ではなくて、僕のささやかなプライドなのです。

 

走り出すヲタク 2005年4月14日(木)

まだエロゲーの話を続けんかい!?って言う事なかれ。エロゲーネタも、もうこれで最後となると一抹の寂しさを感じるのではないでしょうか(誰が?)。

プレイヤーを楽しませる事を目的としたゲームなのだから、その世界が居心地が良いというのは当たり前。それに比べれば現実は平凡でつまらないと感じるかもしれない。だけど、自分の行動や気の持ちよういかんによっては、バーチャルな世界では決して再現出来ない素晴らしい世界にも成し得る事が出来る。かもしれない。だから、そこに引篭もるのではなく、実生活も充実したものにしようというポジティブな考えのきっかけになれば良いと思う。

ギャルゲーのエンディングは、幸せな家庭を築いた主人公たちが、当時(ゲームの舞台設定は高校生)を振り返るというものだったのだけれど、僕はもう高校生とは程遠い年齢になってしまったものの、でも、所帯持ちであるが故に妙に共感してしまう所もあって、何だか甘酸っぱい気持ちになった。浅はかではあるけれど色々な事を経験してきた今だからこそ分かる、という事もきっと有るに違いない。

ファミコンのギャルゲーに励まされる34才というのも考えものだけれど、僕は中年エロエロヲタクのままで居るつもりはない。バーチャルな世界から抜け出して、そろそろ走り出さなければいけない。

 

ビギナーヲタクの結論 2005年4月13日(水)

なんだよ最近エロゲーの話ばっかりしやがって、こときちはやっぱり中年エロエロヲタクだったんだな、などと言わず、ちょっと聞きなさいよ。今までのは前振りで(長げーな)、ここからが本題なんだから。

いくら言い訳を並べたところで30も半ばの良い歳したオッサンがギャルゲーに夢中になってる様は自分から見てもヲタクだよなぁと思うのだけれど、ふと思ったのです。良い歳したオッサンにこそ、ギャルゲーが適しているのではないか、という事を。

いくら好みの可愛い女の子と仲良しになった所で、それはゲームというバーチャルな世界での話であり、リアルな実社会において自分自身が報われるものではない、という事は先日も書いたけれど、それが彼女も居ない独身の青年であれば虚しくもあるけれど、それでは所帯持ちのオッサンだったらどうだろう。妻も子も居る身では、実社会で報われてしまっては非常に問題になってしまう訳で、報われない事は逆に結構な事だ。不倫の映画を見て「純粋な不倫もあるんですね。」などと言う人が居るが、純粋でも不純でも不倫は不倫であって不徳行為以外の何物でもなく、不倫とか、援交だとか、そういう行為を実際に行なってしまうと大きな問題になるのだけれど、ゲームの中で女の子と仲良しになってもそれは一向に問題にならない。

例えば実社会での場合、

「オレさぁ、今日○○ちゃんとデートしちゃったよ。てへっ♪」

「○○ちゃんって誰よ!?」

「え?いや、出会い系で知り合った女の子。」

「あんたって人は! むきーっ!!」

となるものが、ギャルゲーなら

「オレさぁ、今日○○ちゃんとデートしちゃったよ。てへっ♪」

「○○ちゃんって誰よ!?」

「ん?ギャルゲーのキャラだよ。」

「・・・あんたってヲタクオヤジだね。」

と、至極平穏。

30過ぎの独身男性がやるギャルゲーは不毛な行為かもしれないが、30過ぎの所帯持ちがやるギャルゲーは健全な遊びで、みんなが平穏で幸せに暮せるのであれば、ヲタクに甘んじるのもそう悪い事じゃないかもしれないと思った次第なのです。

 

ビギナーヲタクの言い訳 2005年4月12日(火)

ギャルゲー=ヲタク。ギャルゲーのプレーヤーというのは、休日の昼間から薄暗い部屋の中で、独りニヤけながらモニターを食い入るように見つめている、眼鏡を掛けて青白い顔をしたヲタク、という偏見に満ち溢れているのだけれど、ギャルゲーも役柄を演じるという点を見ればRPGと何ら変わらない訳で、正義の勇者→色男 経験値→女の子の好感度 と、置き換えて考えるとやってる事は同じであって、「世界を救う為に悪と闘う」という目的よりも、「好みの女の子と仲良しになる」という目的の方が僕としては賛同出来る訳で、言うなれば、ギャルゲーはドラゴンクエストに勝るとも劣らない、と言う事が出来るのであって、ドラクエはOKだけどギャルゲーはヲタク、という偏見を持ってはいけないと思うのです。

しかも僕が遊んでいるのはファミコン版であって、元々はPC用のエロゲーだったものをファミコン用に移植した物らしいのだけれど、ファミコンというハードを使用する以上、年齢制限が必要な程の過激な内容には出来るはずもなく、内容はプラトニックと言って良い程の健全なお付き合いになってる。それが僕にとっては逆に好印象を持った理由でもあり、違和感を感じる所とか、思わずツッコミたくなる部分も無い訳ではないのだけれど、無理やりエロに結びつける強引さが無い分、自然な感じがした。つまり、仲良しになる過程とその結末が楽しみなのであって、ただ単に行為を目的とする短絡的なものではないという事だ。

そんな苦しい言い訳で、肩書きは ビギナーヲタク(予備軍)34才 という事にしてもらいたい。

 

ビギナーヲタクに甘んじる 2005年4月11日(月)

パソコンショップのゲームコーナーは、恋愛シュミレーション系ゲームに占拠された趣で、恋愛シュミレーションと言うと聞こえは良いけど、要はギャルゲーと言うか、つまるところエロゲーであり、僕はその手のゲームに関しては断固として拒絶し続けてきた。

と言うのも、その手のゲームは可愛い女の子が沢山登場し、あの手この手で好みの女の子と仲良くなって、あんな事やこんな事をするのが目的だと思うのだけれど(やった事が無いから詳しくは分からないが)、いくら好みの女の子と楽しい経験をした所でそれは所詮ゲームの中のバーチャルな世界での出来事であって、自分は報われることがない、いや、主人公はハッピーエンドで報われるかもしれないけれど、主人公を操作する自分自身はリアルな実社会では絶対に報われる事はなく、そういう行為に没頭するのは非常に不毛な行為に思えるからで、晴れた日の休日でもモニターに向かいピコピコやるのはとても不健全であり、その情熱や行動力はリアルな現実で有効に活用するべきである、と思うからだ。

と、言うのは表向きの理由であって、実のところ、その手のゲームに手を出すとハマってしまう自分が容易に想像出来るからであって、僕はそんな不毛な行為に没頭するようなヲタクにはなりたくない。と、必死に拒み続けてきたのだけれど、ふと貰ったギャルゲーをプレイしてしまい、僕の予想を裏切る事無く見事にハマった。しかもファミコン(SFC)のギャルゲーで。ファミコンのギャルゲーで喜ぶビギナーヲタク34才、という肩書きを甘んじて受け入れなければなりません。

 

パンダの答え 2005年4月8日(金)

面倒臭いからパンダで良いや。と、思いつつも、いやいや、やっぱり良〜く考えよう。お金は大事だし。と、頭を悩ませる生命保険。月々数万円の支払いになるのだから、こちらとしても真剣であって、代理店の営業マンを呼んで、疑問点を事細かに聞くのだけれど、僕の質問に対して営業マンが、「それはちょっと分かりません。」と、言った。な・・な、なにおぅ!?保険の営業マンであるにも関わらず、「分かりません。」とは何事だ。以前のつぶやき(04年4月30日)にも書いたけれど、大の大人が、しかも自分の飯の種である分野において「分かりません。」とは言語道断である! とは僕は思わなかった。

自らの仕事に関する事柄や、得意な分野において、「分からない。」とはなかなか言えない。保険の営業マンにしても、相手は素人なのだから難しい事を並べてうやむやにしたり、焦点をずらして誤魔化したりする事はそう難しい事じゃないはず。だけど、分からない事に対して「分からない。」と答え、「すぐに調べます。明日までの宿題とさせてください。」と、言う。誰しも分からない事や、うっかり忘れてしまう事は有るはずで、質問する側にとっては、分からない事が問題なのではなく、その後の対処の仕方が重要であり、求めるべきものは正確無比な知識ではなく、そういう誠実さだと思う。まぁ、「分かりません。」を容易く連発するのは論外ではあるけれど。

生命保険でも、ネットや電話で申し込む事が出来る商品が有り、代理店を通さない分、簡単で支払額も低かったりするのだけれど、生命保険というのは自分に万一の事が起きた場合に使うものであって、そうすると必然的に自分以外の家族が請求の手続きをしなければならず、保険内容や請求手続きに明るくない者にとって、代理店の担当者というのはある意味保険内容よりも重要であると思う。

 

決定打はパンダ 2005年4月1日(金)

そんな訳で、生命保険を見直すことにした。どんな訳かは、先日のつぶやきを参照されたい。

言われるまで僕は「ちゃんと生命保険に入ってる。何があっても万全。」と思っていたのだけれど、確かに万全なんだけど、それは今だけ。生命保険なんて、なかなか真剣に内容を考える機会無いよな。本当に必要な切羽詰った状況にならないと真剣に考えられないのだけれど、本当に必要な切羽詰った状況になってから、「あっ、しまった。この保険ダメじゃん!」では遅過ぎるのであって、色々考える。しかし保険会社も沢山有るし、保険内容も色々有って難しい。

世界一の保険加入率とか言われてるけど、日本人って保険好き。生命保険、自動車保険、火災保険、地震保険、学資保険、ゴルファー保険、etc。万が一の事が有るからね。だけど、ひょっとしたら無いかもしれない事の為に、月々数万円を使っている。色々な保険を合わせると、そりゃもうバカにならない金額になる。これじゃ万が一貧乏だ。安心を買うのも大変だ。

だからと言って生命保険に加入しなくてもOKという事にはならなくて、家庭を支える立場では何も考えない訳にはいかない。そこで保険内容と見積りを見比べるのだけれど、一体何がどう違うんだろう。だんだん面倒臭くなってきて、良いじゃん、どれでも一緒じゃん。もう良いよ。パンダで良いよ。パンダ可愛いよ。って、決定打はパンダ。

 

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