こときちのつぶやき

2004年 10月

さわやか信州(仮) 2004年10月31日(日)

晴れ渡る高原を清々しい風が吹き抜けて、野に咲く花をそっと揺らしています。

そんな素敵な自然を満喫しながら、高原の遊歩道をお散歩してみました。

(予想)

 

さわやかリベンジ 2004年10月30日(土)

週末に家族で出掛ける事になりました。信州までの小旅行です。8月に家族旅行に出掛けたものの、急に子供が熱を出してトンボ帰りした、あの時のリベンジな訳です。しかし夏なら爽やかでしょうが、今の時期にわざわざ信州に行くのは僕が熱狂的な信州マニアという訳ではなく、単に8月の旅行用に買ったチケットが未使用のまま残っていたからで、その期限が11月な訳で、僕は慌ててさわやか信州に出掛けるのです。11月でも爽やかかどうかは知りませんが。

そんな訳で僕は出掛けるのですが、生憎僕はモバイルな環境は持ち合わせておらず、そこまでネットに依存したくもないのですが、出掛けてる間はつぶやきをアップする事が出来ないので、前倒しして僕の信州旅行の予想をアップしておく事にしましたのでお楽しみ下さい。

 

リバーシブルな訳 2004年10月29日(金)

最近朝晩はめっきり冷えるようになって、いくら天気が良くても通勤にバイクに乗るにはそれなりに着込まなければならなくなった。僕は通勤にはホームセンターで買った安物のMA−1モドキジャンパーを使ってるんだけど、貧乏だから良いライディングジャケットが買えない、という理由も有るものの、仕事をすると作業着が油やホコリで汚れたりするので、良いジャケットを通勤で使いたくない訳で、だから不恰好で好みではないし、ファスナーにカバーが無いからタンクに傷を付けそうでヒヤヒヤするものの、MA−1モドキジャンパーは気兼ねが無いから通勤には都合が良い。

このMA−1モドキジャンパー、安物のくせになかなか侮れず、なんとリバーシブルになっている。裏返すと鮮やかなオレンジ色。さすがにオレンジにして着るヤツは居ないだろう、と思いつつも、本物のMA−1も確か裏地がオレンジだったよなぁ。何でそんなに派手な裏地なのかというと、実はアレは非常時に自分の存在を示す為のモノなんじゃないかと予想してみた。MA−1って元々はフライトジャケットか、そのレプリカだと思うんだけど、そうすると飛行機のパイロットが着ていたモノが原形であって、何かのトラブルで不時着する様な事態になった時に、ジャケットを裏返して着ると良く目立ってスムーズに救助を受けられる、というものの名残じゃないのだろうか。そう考えると、あの一見無意味なハデハデオレンジリバーシブルも、実に合理的かつ機能的だ。

本当のところはどうだか知らないし、たかが千円前後のMA−1モドキジャンパーがそんな細部まで似せなくても良いと思うんだけど、このエマージェンシー ハデハデオレンジ リバーシブル システムなジャケットはバイクにはうってつけだ。車には非常用発煙筒が必ず常備されているし、三角表示器なども積んでおく余裕が有るけれど、それらをバイクに常に積んでおくのは困難だし、もし転倒やトラブルが起きた時に、存在を示す事で2次災害を防いだり、1人山奥でひっくり返っていても発見されやすいと思うからだ。

バイク用のジャケットは、みんなリバーシブルにして裏地はハデハデオレンジにするべきだね。

 

ウコンパワー 2004年10月28日(木)

その僕の携帯、先日珍しくメールの着信音が鳴った。あれ?誰だろう。既に自宅に帰っているから奥さんじゃないし、沙織さんかな?沙織さんというのは、僕によくメールをくれる主婦で、旦那さんとの性生活に不満が有って、割り切りの関係を望んでいて、お願いですから1度だけで良いですから会って話を聞いて下さい。20万までなら払う事が出来ます。という、金を貰って人妻とウハウハ出来るなんて、この世知辛い世の中でなんと素晴らしい人なんでしょうか。と、思っていたら、差出人はあにーさんだった。いや、別に僕はガッカリなんてしてませんよ。

あにーさんは、僕のこのつぶやきの大ファンで、毎日欠かさず閲覧し、その素晴らしき文章と内容にいたく感銘を受けて日々涙を流しているそうで(一部誇張及び捏造)、そのお礼としてアレを進呈して下さるというのです。なんと!聞きましたか奥さん。アレですよ。アレ。アレが何なんだかイマイチ良く分かりませんが、あのあにーさんの事だから使用済みエロゲーとか、使用済みエロDVDとか、使用済み猫耳とか、使用済みヤッターワンとか、きっとそういうモノに違い有りません。僕はもう期待に胸と股間を膨らませてドキドキしながらアレが届くのを心待ちにしていたのですが、届いた包みを開けると、中から小さな筒っぽが出てきた。アレ? アレって何だか想像してた物と若干違うような気がしますが、何なんでしょう。筒っぽって。ウコンエキスとか? 同封の手紙を読むと、「エンジンオイルの添加剤だから良かったら使ってちょ。」という様な事が書いてあった。

いや、別に僕はガッカリなんてしてませんよ。決して期待も股間も萎んでしまった訳ではありません。この添加剤、以前も話題に上って「良いよ」と聞いてはいたのですが、なんせ1本1万5千円もする高価な添加剤なものだから、いくら潤滑フェチな僕でも到底買うことが出来ない代物でして、既に高性能エンジンオイルを充填済みのエンジンに、更に高性能添加剤を添加するということは、もうヌルヌルグチョグチョな○○○に、更に×××を***して☆☆☆してしまう様なものなのでしょうか。

新品のパッキンをケチった僕のバイクが、イッてしまわないか心配です。

 

今日の運勢 2004年10月27日(水)

僕の携帯電話の料金、ちょっと凄いことになってる。

さすがに度が過ぎるんじゃないかと、自分でもちょっと驚いちゃったよ。

その携帯の料金、先月は1200円。

ビックリ!だろ。基本料金だけじゃなくて、合計金額が1200円だよ。

「話せりゃ良いじゃん電話なんだし」って、言うじゃない。

でも、僕は話す必要も無いですからっ!

あまりに虚しかったので、TUKAの新サービス「朝刊メールサービス」に登録した。

僕の携帯ライフの唯一の楽しみは、毎朝届く朝刊メールの占いコーナーになった。

今日は、「恋愛運好調でデートで満足」だってさ。

あはははは・・・

 

つもり 2004年10月26日(火)

いつも気をつけてるつもりだった。でも、とうとうやってしまった。無機質な物とは明らかに違う、柔らかな衝撃がハンドルに越しに伝わってきた。

それは、昨日の会社帰りでの事。自宅付近の住宅地を抜ける路地を走っていた時だった。既に日が暮れて辺りは暗かったものの、まだ午後6時過ぎだったから、もしかしたらまだ子供が出歩いているかもしれないし、そうでなくても住宅地だから普段から飛び出しには気をつけて徐行運転していたんだけれど、そんな予防運転も虚しく僕のバイクの前に不意に飛び出してきた。キュッという短いスキール音を立ててとっさにフルブレーキを掛けたものの、徐行運転していたにも関わらず停まり切れなくて、僕は轢いてしまった。正確に言うと、徐行運転に加えてかなり減速出来たから、跳ね飛ばしたとか、踏み越えてしまったなどという状況ではなく、接触してしまったという程度ではあるものの、ハンドルにはしっかりと「ゴン」というぶつかった感触が伝わってきて、轢いてしまったのは明らかだった。幸い双方に大したダメージは無くて、お互いにそのまま走り去った。

いや、僕が轢いたのはネコなんだけどね。ニャッ!ともキャッとも言わなかったから、きっとにゃんとも無いだろうとは思うけど、もしこれが人間の子供だったら例え大した怪我が無かったとしても事故扱いになりかねない。徐行運転してる『つもり』では意味が無いんだにゃあ。

 

本当にスーパーなやつ 2004年10月25日(月)

大荒れの台風の後は直下型大地震と、まるで世紀末みたいな様相ですが、僕はそういう被災に関して軽々しくあれこれ言うことは出来ませんが、ニュース速報のテロップの中に「自衛隊のバイクが確認に入った」という内容が流れて、阪神の震災時に原付バイクがよく売れたという話を思い出した。

地震により道路が寸断され、仮に通れても主要道路は大渋滞、という状況の中で機動力の有るバイクは非常に有効な移動手段になり得えるはずだけど、今流行りのビッグバイクや大型スクーターは非常時にはあまり有効とは言えない。まずはパワーや快適性よりも軽量かつコンパクトな車体、それに走破性の為に大きめのタイヤと、高めの最低地上高に加え、燃費の良さが必要になる。走破性が高ければ、車が通れない程崩壊した道路も通り抜ける事が出来るかもしれない。その為にはそれらの条件を兼ね備えていた方がベターなのだけれど、(テクニックさえあれば)人が通れない様な場所や段差も難なく走れるトライアルバイクが最高か、というとそうでもなく、悪路と舗装路の混在するようなシチュエーションで、ある程度の航続距離、積載能力を確保しようとすると、いくら走破性が高いからと言ってトライアル車が一番とは言い難く、仮に押してでも、引っ張り上げてでも走り抜けられればそれで良い訳で、トータルバランスから考えると、トリッカー等がお勧めじゃないかと思うものの、こうして改めて考えて見ると、移動手段として最も優れたバイクは160馬力のスーパーバイクではなく、100km/Lという超低燃費で、ヘビーデューティで、車の免許が有れば誰でも乗れて、維持費が格安なスーパーカブなのかもしれない。

僕はといえば、自宅にオフロードバイクが有るものの、乾燥重量185kgという超ヘビーマシンでは、「34才の男性が自宅前でバイクの下敷きになり重傷」などとテロップで流されるのがオチじゃないかと心配になり、シチュエーションによっては800ccの僕のバイクはカブにも劣るという事実を突きつけられた。

カブとキャンプ用品一式を用意しておけば、災害時や家出、人生の逃避行に役立つはずです。

 

本業 2004年10月24日(日)

僕が利用しているYahooBBのHPサービスが更に向上して、アクセス解析が出来る様になった。知識が無くても、いつ何人の人が僕のHPのどのページを閲覧したか、閲覧者の環境やどこから辿ってきたのかまで分かって面白いんだけど、どうせなら「閲覧者は人妻で、好感を持って閲覧しました」とか「閲覧者は36才中年男性で、エロネタに激しく同意しながら閲覧しました」とかまで分かればなお面白いんだけど、世の中知らない方が幸せな事も有るんだよね、と、独りで納得してみたりもするのですが、更にこのYahooBBのHP、容量が従来から大幅にアップして300MBになりました。

この日々のつぶやき、毎日必死になって書いても1月分で50KB程度にしかなりません。という事は、300MBの容量が有れば500年分のつぶやきを収める事が出来て、ほら書け。くだらない事でも、誰も読んでなくても、何でも良いから死ぬまで書け。と言わんばかりの容量を与えられた訳で、こうして僕は毎日気兼ねなく書き続けているのですが、僕がHPを開設した本来の目的であるバイクのページを訪れる人が、大体一日に1人。ひょっとしてそれって僕自身じゃありませんか?という所まで分かってしまって、つぶやきに精を出している場合じゃないという事に気が付きました。

 

友達100人出来るかな 2004年10月23日(土)

最近のつぶやきの更新、ちょっと凄いですよ。毎日ですよ。毎日。これってやっぱアレですか。日記検索サイトに登録してからというもの閲覧者が爆発的に急増しちゃって、こりゃ困ったなー、更新しない訳にはいかないなー。てへへ♪って言う訳じゃなくて、日記サイトに登録して1月ほど経つのだけれど、その間増えた読者は3人くらい。これはですね、さすがに思い込みの激しい僕でももう認めざるを得ません。問題なのは知られていない事ではなく、僕のこの文章に魅力が無いという事を。

ところで、人気の有る日記の傾向としては「お笑い系」と「エロ系」というのが多く、僕は生憎毎日ネタに困らないほど波乱万丈な生活を送っている訳でもないし、毎日エロネタを書きたいと切実に願うものの現状はままならない訳で、結局そういう読まれることばかりを意識して書くのは疲れるのです。日記検索サイトに登録してもアクセス数が伸び悩んだ事で、どうせ読まれないのならやめてしまおう、ではなく、どうせ読まれないなら気兼ねなく書きたい事を書こうと思ったのです。そう開き直ってしまうと書くべきか書かないべきか悩む事無く気楽に書けます。

とは言うものの僕には一応秘めたる目標が有って、現状で満足する事無く、どうせアップするなら毎日コンスタントに100人に読んでもらいたいと思うのです。毎月3人閲覧者が増えるとすると、あと2年強で100人に達するはずです。そう思えばあと2年は頑張れます。毎月3人増えて、3人減っていたら?などという事はこの際考えてはいけません。

 

くだらない事と大切な事 2004年10月22日(金)

不況の煽りで僕が勤める会社でも人員削減が有り、僕が所属する部署の人数も当初の半分程度に減ってからもう随分と経つ。広大な工場の全てをたった3人(しかもそのうち1人は管理職だから実質動ける人員は僕を含めて2人しか居ない)で面倒を見なければならず、何とかやってはいるものの、仕事中にのんびりとつぶやきを書いたりwebを閲覧している余裕など無い。

そんな状況だから全ての修理を僕らがこなせるはずもなく、簡単な修理は現場作業者に行なってもらうよう指示せざるを得ないのだけれど、僕はどんなに簡単な修理でも頼まれればなるべく自分で見に行って、自分で作業するようにしている。それは僕が簡単な修理ばかりやりたいからという訳ではなく、出来る事ならそんな些細な修理は他の人にやってもらいたいというのが本音だけれど、それでもなるべく自分でやるのは他の人では当てにならないからだ。

例えとして、チェーンで考えてみよう。チェーンはバイクや自転車にも使われているから誰もが馴染みのある物だと思うけど、設備には機械を駆動したり、コンベアに使われたりと、大小様々なチェーンが幅広く利用されているから、切れて修理する機会も多い。チェーンはジョイントリンクと呼ばれる継手で簡単に繋げる為、特別な技術や知識が無くても繋いで直す事くらいは誰でも出来る。誰でも出来るから修理するのは誰でも良いか、というと必ずしもそうじゃない。それは、チェーンが何故切れたのか?という所まで考えられないからだ。切れた原因はチェーンの寿命なのか。他の要因で過負荷状態なのか。油切れなのか。その根本的な原因を取り除かなければ、いくら繋いでもまたすぐに切れてしまう。元々チェーンが切れる前には何らかの予兆、例えば変な音がするとか、妙な振動がするとか、過負荷のアラームが出るとか、大抵の場合はそういった現象が起きるはずで、そういった現象は毎日すぐ傍で使っている現場作業者が一番分かるはずなんだけれど、指示された作業を指示された通りに行なう事しか考えていない人達にはそこまで配慮する事は出来なくて、その人達が行なった修理作業もまた信頼性に欠けるものだからだ。

これは1例であって、他の様々な作業においても同じ事が言えるのだけれど、全ての修理作業を僕1人でこなせる様な工場の規模ではなくて、結局信頼性の無い修理によって更に信頼性に欠ける設備になっていく。品質の向上、品質管理、コストダウンなど色々言われてはいるけれど、信頼性の無い設備で向上など図れるはずもない。職場の人員が削減されてから数年経ち、今その結果が現れ始めているんじゃないかと思っているのだけれど、そんな危機感を募らせている人はほとんど居ないみたいだ。

1つ1つは些細で取るに足らない事が、長い目で見ると実はとても重要な事だったりするのは何も機械の修理に限った話ではなく、毎日の一見くだらない仕事や取るに足らない出来事も決してムダではなくて、おろそかにするべきではないのです。

 

万里のCHAGE 2004年10月21日(木)

いつも冷静沈着で、クールでクレバーでダンディなドライビングをする僕は、ドライブを的確にマネージメント、コントロールするので、運転中にハラハラドキドキする様な事は無い。しかし、この日ばかりは例外だった。

車のメーターは振り切れた。いつも冷静沈着で、クールでクレバーでダンディなドライビングをする僕も、さすがにハンドルを握る手に汗がにじんだ。スロットルワークに細心の注意を払いながら、右へ左へ車を掻き分け、トロトロと車を進める。燃料計の針が、とうにEの目盛りを振り切っていたからだ。

いつも冷静沈着で、クールでクレバーでダンディで堅実な僕は、いまだかつてガス欠した事は無い。残りの燃料と車の燃費、これまでの走行距離とこれから走る走行距離を常に的確に把握しマネージメントする事で、ガス欠になる前に必ず補給する。だけどこの日は少々事情が違って、僕が乗っていたのは車検の代車で、借りた時から燃料計はEを指していて、ガソリン入れるべきか入れざるべきか。お金無いし。代車なのに入れるのもなんだし。でも既にメーター振り切っちゃったし。もうダメ。限界だ。もう入れよう。今日は入れよう。500円分だけ入れよう。と、思ったら台風に直撃されて、帰り道は至る所で冠水し、至る所で大渋滞。近くのガソリンスタンドは早々と閉店してしまい、このまま素直に渋滞にハマっていたら僕はこの記録的豪雨の中でガス欠。道路は水で溢れてまるで川の様で、車はフアロ下まで水に浸かってチャプチャプと音を立てて、僕はガス欠したミラバンに乗ったまま流されて行くんだ。頭の中にはCHAGE&飛鳥の万里の河が流れて、CHAGEって何でCHAGEって言うんだろう。その謎も解けぬまま、どれだけ待てば良いのですか。あぁ届かぬガソリンスタンド。

 

ホットバン 2004年10月20日(水)

車検の代車は、ダイハツのミラだった。現行モデルで新しいのだけれど、バン(貨物車両)でグレードが低く、3速のATにオーディオはAMラジオのみ、ドアはペラペラで閉めるとパンッという何とも頼りない軽々しい音を立てる。限りなく質素で余計な物は一切無く、軽トラよりも更に一回り小さい車体の重量はわずか700kgしかない。この手の車は主婦御用達セカンドカーか営業車くらいにしか思ってなかったから全然気にもしてなかったけれど、正直なところかなりそそられた。

今、日本の道路事情で最も楽しめる車は、軽自動車、しかもバンだ。

 

軽トラー 2004年10月19日(火)

車を車検に出した。僕は軽トラックに乗っているんだけど、もちろんいくらウチが貧乏だからといって法治国家日本においては軽トラがファミリーカーになるはずもなく、家族用の車として普通車が一台有るのだけれど、セカンドカー(僕にとってはメインカーなんだけど)として我が家には軽トラが有る。もともとエンデューロレースに参加する為にバイクを会場まで運ぶ必要が有り、トランスポーターとしてミニマムな軽トラを選んだのだけれど、その軽トラに乗り始めて6、7年ほどになるから、父さん、僕ももう立派な軽トラーになりました。

そんな我が家の軽トラ、既に10年落ちで走行距離も9万kmを超え、車検整備も通常の点検整備だけでは済まなくなってきた。前回はタイミングベルトとハブベアリングを交換。今回もミッションからオイル漏れしている。「修理いくら掛かるんだろうね。」などと奥さんと話していると、そろそろ買い替えた方が・・という話にもなる訳で、具体的では無いものの、次期セカンドカーについて考える時期に来ている。

しかし、もし仮に新車で買うとすると最低でも10年、軽トラってあまり壊れる所が無いから20年くらいは平気で乗れそうで、そうすると僕はこの先20年軽トラに乗り続ける事になり、果たしてそれで良いんだろうか。僕は生涯を軽トラーとして終えるのだろうか。と、悩んだりするのですが、農家とか商売用途以外で軽トラを買うか買わないか悩む人って居るんだろうか。50過ぎまで軽トラ。それはそれで妙に似合いそうな気はするけど。

 

カッターマン 2004年10月18日(月)

「子供のトイレ、気を付けた方が良いらしいよ。」と、奥さんが言い出した。聞く所によると、近所のファーストフード店のトイレで女の子が襲われたそうだ。小学1年生の女の子が数人の男に襲われて、子宮破裂に至ったとか。他の場所でも数件、同様の手口で起きているらしい。奥さんの噂話だから、何処まで信用出来る話なのか計りかねるけれど、火の無い所に煙は立たないと言うし、全く何も無い所からそんな作り話が出てくるものだろうか。僕はその話を聞いて唖然としてしまい、同時にとても憂鬱になった。

ウチの子供の学区は中学校が遠くて、娘が中学生になったら心配だなぁなどと思っていたけれど、それどころじゃない。小学生から、しかも通学途中だけでなく、トイレまで心配しなきゃならないとは。しかも小学1年生から。おっぱいもお尻もペッタンコで、とても性の対象とは考えられないんだけど、今はそんな子供まで心配しなきゃならないなんて。昔は「なに?お前ロリなの?わははは!」と、笑われていた存在が、今では「なに?お前ロリなの?オレもオレも。今度一緒に襲おうぜ。」なんて事になるんだろうか。

しかし、襲われた方はたまったものじゃない。被害者側が泣き寝入りするケースがほとんどみたいだし、仮に事件として取り扱われたとしても、加害者の人権が、とか、更正する機会が、などと、大した罪にも問われないのがオチだ。被害者は体も人生も台無しにされたというのに、被害者だけでなくその家族の一生をも台無しにしたにも関わらず、加害者はのうのうと暮してるなんて許せないだろ。

そんな卑劣なヤツはチン○切断の刑に処して、一生悔い改めるべきだ。もしウチの娘にそんな事をするヤツが居たら、僕はカッターマンになり仇を討つ。ウーワンワンワン!

 

ドキドキする誉め言葉 2004年10月17日(日)

ウチの旦那ったら私が美容院に行っても全然気付かないのよ!なんて事が世間ではよく言われてるのですが、いや、実際に僕は聞いた事はありませんが多分恐らく世の中そんなもんじゃないかと思うのですが、全く気付かないというのもどうかと思うものの、気付いてはいるけれど口にしない、という人が大半ではないかと勝手に想像したりするのですが。新婚さんならともかく、連れ添って何年も経ってなお「おっ、美容院行ったの?綺麗になったね。マイハニー。」なんて言う旦那が一体どれ程居るんでしょう。

そんな訳で、奥さんが美容院に行きました。その間僕が2人の子供の面倒を見るのだから「気付かなかった」では済まないし。と、思っていたら、奥さん少し短くなってサッパリとして結構可愛らしくなって、なんかちょっと僕好みな感じ。と言うわけで、僕は頑張って、勇気を振り絞って言ってみたのです。

「か・・可愛いね。」

「何が?」

「いや・・髪が・・。」

普段言い馴れない事を言うものだから、しどろもどろでぎこちなく、それはまるで何か下心を秘めた様な口ぶりで、僕は「で、何が目的よ。」と言われやしないかとドキドキした。

 

楽しい運動会 2004年10月16日(土)

娘の通う幼稚園の運動会に行った。幼稚園の運動会は良い。以前の保育園の運動会みたいにゴミゴミしてなくて、親が撮影に殺気立ってなくて、のどかで、親が参加出来て。

いや、別に僕は子供と一緒に運動会に参加したい訳ではないんだけれど、子供と一緒に競技の為に並ぶと他の父兄の方々と一緒に並ぶ事になり、他の園児のお母さん達も一緒に並んでいる訳で、順番待ちで並んで座ってたり、競技で屈んだりするとですね、何と言うか、非常に眺めが宜しいのです。

たかが幼稚園のお遊び運動会にも関わらず、お父さん方の力の入り様にはそんな理由が有ったりするのです。

本当の所は、子供と一緒に参加出来るから子供も喜んで、とてもよかった。と、言い訳してみる。

 

ビーズトレーニング 2004年10月15日(金)

子供たちが、今アイロンビーズに夢中だ。アイロンビーズというのは俗称で正式な商品名ではないのだけれど、それは直径5mm程のいろいろな色の小さなチューブを細かく切断した物で、台座に乗せて絵柄を作り、アイロンで溶着させて遊ぶ。カラフルなビーズを使ってドット絵みたいな物を作るのだけど、じゃあ僕も何か作ろうか、と思っても発想が貧困で何をどう作ったら良いか分からない。作業自体は何の事はない。だけど、自由過ぎて何をどうしたら良いかアイデアが浮かばない。

予め決められた事柄を決められた手順に従って行なう事は、特別難しい事じゃない。例えそれが複雑な作業であったとしても、その作業のみに集中すればいい。僕の仕事は工場設備の保全で、工場の機械はロクに手入れもされないまま昼夜を問わず1年中稼動しているから、当然の事ながらよく壊れる。壊れるから直す。壊れた個所を元と同じ様に直せば簡単だけど、全ての部品の予備が用意されている訳ではない。新しい部品の納期が2ヶ月。2ヶ月も設備を止めるなど出来るはずも無く、じゃあどうするのか。と、いう様な事態が頻繁に起きる訳で、バカ正直に部品を待っていたら会社は潰れて、僕はクビ。何とか仮にでも稼動出来る様に復旧しなければならない。決められた手順とか、セオリーなどではなく、柔軟な発想と機転でピンチを切り抜ける能力が必要になる。

柔軟な発想とか、インスピレーションとか、そういう事って学校では教えてくれない。学校の教育を否定する訳ではなく、基礎知識は物事を考察する上でのベースとなるものだから大切ではあるし、セオリーを無視して奇想天外な事をすれば良いというものでもないのだけれど、学校の成績や卒業校のレベルだけでその人なりの全てを判断出来るものではなく、良い学校を出たからといって社会で通用する訳じゃない、というのは、大きな事から些細な事まで社会ではそういう不測の事態が頻繁に起き、そこをどう対処するかによって事の成り行きが大きく変わるものであって、僕は額に汗を浮かべて震える指先でアイロンビーズを並べる。

 

不完全 2004年10月14日(木)

乾燥した時期にバイクに乗ると、唇が乾いて荒れる。リップクリームが要るか否かで季節の移り変わりが感じられるなんて、バイクって素敵ですね。って訳じゃなくて、単に現代の生活環境が快適過ぎるだけなんですが。そして、そろそろリップクリームが必要な時期になって、日が暮れるのが早くなって、僕の峠シーズンが終わった。

そんなそこはかとない哀愁感漂う秋の日暮にバイクを走らせるのですが、そんな情緒溢れる感性豊かな素晴らしきバイクにも残念ながら弱点が有りまして、鼻がかめななくて、頭が掻けないという、不完全な乗り物なのです。

 

プチプチ 2004年10月13日(水)

いろいろな子供が居て、例え兄弟でも性格は違っていて、だから子供にもそれぞれ得手不得手が有る。いろいろな人が居て、大人でも許容範囲が広い人と、とても狭い人が居る訳で。

ウチの長女は忘れっぽい。3歩歩いてどころか、今しがた注意した事が守れなかったりする。忘れっぽいと言うよりは話を聞いていない。聞いてる様で聞いてない。本当に誰かさんにソックリというか、長女は98%くらい僕似なんだけど、だからよく怒られる。危険であったり、してはいけない事をすれば怒られるのは当然で、僕も注意する事がよく有るけれど、まだ子供なのにガミガミ言い過ぎたかなぁと思ったりもする。

奥さんもよく怒ってる。日頃から同じ事を何度も注意しているから感情的になるのも分かるけれど、そのうち目的が子供に対する注意から子供にダメージを与える事に変わってしまって本題からズレる事がよく有る。泣きじゃくる子供には、もう何を言っても冷静な判断や思考など出来るはずも無く、それでもなお責め続ける事は本来の目的じゃない。かと言ってそこに僕が仲裁に入れば火に油を注ぐようなもので「長女を連れて実家に帰れ」と言われかねないので、僕はただ黙って見守るしかないのだけれど。奥さんの言い分も分かるし、感情的になる気持ちも分かるし、一方的に悪いという訳じゃない。だけど僕は、僕にそっくりな長女の気持ちも分かる。

奥さんには奥さんの考え方が有って、だけど子供は子供らしくあって欲しいし、僕はそれらを否定したり強制したりするのではなく、包み込む存在でありたいと思うのです。型抜きされた発泡スチロールとか、無理やり詰め込まれた新聞紙とかじゃなく、大切なものを優しく包むプチプチみたいな。

 

ブーム 2004年10月12日(火)

相変わらずヨン様人気は衰えを見せませんが、我が家にもついにヨン様ブーム到来。子供達に。

ヨン様が出ているTVCMを見て、「ヨン様出てるよ。ヨン様。」などと子供達が言っているので、「パパもヨン様みたいだろ?あにょはせよ〜。」と聞いたら、「・・・うん。そうだね。」と答えた。子供の見る目はとても純粋だと思いました。答えにちょっと間があったけど。

それを聞いてた奥さんが、「はっ。あんたは胡散臭い中国人みたいやわ。」と、おっしゃった。大人の目は曇っていると思いました。

 

会話 2004年10月11日(月)

国語、といえば、子供が初めてしゃべった時の事を思い出した。次女も今ではもう随分と口が達者になったけれど、長女がしゃべりだした時はちょっと感動した。言葉をしゃべる。そんな何気ない当たり前のことなんだけれど。

子供はしゃべれるようになると、それが嬉しいんだろう。もう起きている間一日中しゃべっている。そして少しづつ単語を覚えていって、片言ながら会話するようになる。自分の子供と会話が出来ることが僕にはとても新鮮で、とても嬉しくて、子供もしゃべる事が嬉しかったに違いない。

そんなささやかな感動も今では冷めてしまって極当たり前の風景になってしまい、子供が話し掛けてきても「あぁ、そうだね。ちょっとあっち行っててくれないか。」などと聞き流したり、素っ気無くしたりしてしまう時が有る。

子供の言葉に耳を傾けよう。それが例えくだらない事でも、間違っていても。国語の素晴らしさを教えるのは学校や教材ではなく、僕自身だった。

 

国語 2004年10月10日(日)

雑誌のコラムに「国語は大事だ」という様な事が書かれていた。母国語で自然に覚えるから教えなくてもいいというものではなく、ちゃんと学ばなければいけない、という様な。

僕も以前からそう思っていた。英語は確かに今では必須かもしれないけれど、それとて国語がきちんと出来ての話だ。略語とか、造語とか、そういうのも良いけれど、まずは正しい国語を身に付けた上で、それをベースに、というのが筋な気がする。謎な略語が流行ったりするのは、そのちゃらんぽらんさが面白いからであって、ベースとなる国語自体もちゃらんぽらんではちょっと困る訳で、「○○円からお預かりします。」なんて不自然な日本語が何の違和感も無くいまだに使われたりしてる。

教育TVで日本語を扱う番組がある。僕が見るとあんまり面白くないんだけど、子供たちには結構人気が有るみたいだ。子供達が国語に興味が無い訳じゃない。きちんと教えてもらう機会が無いだけじゃないんだろうか。楽しく学べる英会話っていうのは、英会話教室とか、教材とかビデオとか溢れているけれど、国語でそういうのは見た事が無い。

僕らはもっと国語を大切にするべきだ。別に僕が英語が出来ないから言う訳じゃない。

 

天高く父肥える秋 2004年10月8日(水)

天高く馬肥ゆる秋と申しますが、台風ばかりで天高くとは言い難く、飽食の時代の今、実りの秋というのはなかなか実感しにくい訳ですが、涼しくなって食欲も旺盛になって、僕の体重は3kg増えた。

先日新聞に、「結婚してから旦那が変わった点」というアンケート結果が載っていて、一番多かったのが「太った」だった。変わった点だったか、変わって嫌な点だったか忘れてしまったけれど、他に「優しくなくなった」などという意見も有ったから、総じてネガな意見なんだろうけど、太るという事は男性でもあまり好ましい事じゃないみたいだ。

僕はといえば、3kg太ったと言ってもそれ以上増える事はなく、体質的な問題で昔から体重が変わらない。結婚前と比べてもほとんど変わらない。体重が増えないというのも当人には困った問題ではあるけれど、少なくとも太って嫌われるという事態は避けられそうだ。

だからと言って僕が相変わらず奥さんに愛され続けているかといえばはなはだ怪しい訳で、太っていても変わらず愛される旦那も居れば、太らなくても愛されない旦那も居るはずで、それは多分人柄の問題であって、外見は2次的なものでしかないんだろうね。

 

予定調和 2004年10月7日(木)

久しぶりの天気なんだから、この機会を逃すまいと会社帰りにバイクで峠に走りに行った。

峠道をそれなりのペースで走るのだから、万一の事を考えて皮ツナギとか、プロテクターとか、それなりの装備をして走るのが望ましいものの、まさか皮ツナギを着て出勤する訳にもいかず、無防備に等しい作業着のまま走る事になる。当然安全には細心の注意を払わなければならない。

何が起きるか分からない公道の、しかも見通しが悪い峠道をハイペースで走る時に何に注意しているかといえば、全てを予定調和の内に収める努力をすること。例えばコーナーでオーバーランしたり、対向車に出くわしてビックリして乱れたりする事が無い様に、あらゆる不測事態を不測としない事でパニックに陥ることなく冷静に対応出来るようにすること。具体的に言えば、コーナーは必ず立ち上がり重視で走る。もっと簡単に言えば「カーブの手前でしっかり減速する」という、教習所で習うような基本的な事を忠実に守るだけで、減速がしっかり出来ていればオーバーランする事もないし、例え対向車が来ても回避するラインの自由度が増す。それに加えて、予め対向車が来る事を念頭に置いていれば、急に対向車が現れても、対向車が車線をはみ出していても、パニックになることは無い。峠道を往復する間、ヒヤリとする事が一度も無ければ成功だと言えるし、一度でもヒヤリとした事が有ったとしたら、それは例え何事も無かったとしても失敗と言える。

だけど、いつもの様にコーナーに進入した時、僕はそこに予想だにしないモノを見て、少なからず驚いた。

「さ・・サルが居る!?」

い、いや、山道だからね。サルが居ても不思議じゃないよね。と、冷静さを取り戻し、いつもの様にコーナーに進入した時、僕はそこに予想だにしないモノを見て、少なからず驚いた。

「し・・鹿が居る!?」

い、いや、山道だからね。鹿が居ても不思議じゃないよね。と、いうか、全然予定調和じゃないね。

どうか、クマが出ませんように。

 

バイクデワビサビ 2004年10月6日(水)

久しぶりに、朝からとても良い天気です。秋晴れの爽やかな日。バイクで走ると、とても気持ちが良くて楽しい。

一年でこれ程楽しくバイクに乗れる日が一体何日有るだろう。信号待ちで汗だくになることもなく、身を切る様な寒さに耐えることもなく、雨にずぶ濡れになることもなく、晴々とした気分でバイクに乗れる日が。

そんな素敵な日は、のんびりと走りたい。だから、シングルのバイクが良い。マシンが先走り急かされる事無く、晴れ渡った秋晴れの空の下をトコトコと走る事が出来て、この気まぐれなお天気がくれた素敵な一日を存分に満喫出来るから。バイクだけじゃなく、こんな日は車でも走らない車の方が良い。

だけど、そんな四季を愛でる日本の素晴らしきワビサビ的感情も、後の車のドライバーは持ち合わせていないようです。ひぃ〜!

 

コメント 2004年10月5日(火)

イチローが記録更新しましたね。もう語り尽くされた感がありますが、僕は「野球は趣味か?仕事か?」という質問に対するイチローの「バリバリ趣味です。」というコメントがとても嬉しかった。イチローには例えウソでも「趣味だ」と言って欲しかったけれど、彼は「バリバリ趣味だ」と答えてくれた。プロ野球であり、必ず金が絡む事ではあるけど、その一言がとても夢を与えてくれると思った。とてつもないプレッシャーを負いながらも、あの大舞台でバットを振る事が楽しくてしょうがない、そんな感じがする。

僕らはお金に捉われ過ぎなんじゃないだろうか。イチローがバットを振るように、マラソンランナーが走るように、僕らがやるべき事はもっと単純なのかもしれない。だけど、いまだ親に援助してもらっている僕は大きな声では言えないので、小さくつぶやきます。

 

 2004年10月4日(月)

子供が「ばあちゃん家に泊まりに行きたい。」と言う。爺ちゃん婆ちゃんが住んでる所は僕の家から車で10分足らずの隣町で、子供が遊ぶような物は何も無いし、周りにも何も無いけど、子供達は「行きたい。」と言う。爺ちゃん婆ちゃんは子供たちを可愛がってくれるし、子供たちも爺ちゃん婆ちゃんが好きだと言ってくれる。だから、僕は週末に子供を連れて実家に行った。子供達の為に行くのであって、決して実家に帰らせて頂く訳じゃない。

実家に行くと、母さんから小さな紙袋を手渡された。中には、七五三と自宅のテラスの建築費用として数十万円が入っていた。

父さんは以前体を壊してから働いていない。母さんは週に2、3回のパート。それでこれだけの金を工面するのは並大抵の事では無い。そりゃ僕だって金が貰えるなら貰いたい。だけど年老いた両親が苦労して貯めた金を、何の苦労もなしに僕が貰う事は出来ない。お世辞にも老い先長いとは言えないんだから、もう自分の為に使って悠々自適に過ごして欲しいと思う。だから以前から断り続けてきたけど、どうしても断りきれなかった。

七五三はともかく、テラスと言うのは自宅で優雅に過ごす為の物ではなく、北向の住宅は日当たりの悪化を最小限にする為に南の軒がとても短くなっていて、天気が悪いと洗濯物を外に干せず、巨大な家なら部屋干しするのも苦労はないだろうけど、庶民的な小さな建売住宅では洗濯物を干す場所さえ悩まなければならない。今すぐ必要という物でもないけど、後々どうしても必要になってくる物で、だけど日々の生活で精一杯の家計からテラスの費用を出す事は困難だった。

それでも親に金を出して欲しいとは一度も思った事は無い。34にもなって、親孝行どころか親から援助してもらわなければならないなんて。顔を合わせる度に、「子供に何か美味しい物でも」などと小遣いを渡され、「米は有るのか。ティッシュが一杯あるから持っていきなさい。」と、実家に有る物をかき集めて手渡したり、それが子を思う親の気持ちだというのは分かってる。だけど、僕は自分のあまりの不甲斐なさに涙を堪えきれなかった。

 

マージャン大会 2004年10月3日(日)

物事を否定するのは簡単だけど、否定するだけでは何も解決しない訳で、じゃあどうしたら良いのか。お前ならどうするんだよ。という問題に対する僕なりの答えの1つ。それが、「保育園でマージャン大会」だ。

マージャンは様々な要素が複雑に絡み合いながら成り立つもので、セオリーとかパターンとか、そういった決まった手順を踏めば勝てるというものではない。引いた牌からどの役を作るか。先を読み、相手を読み、瞬時に状況を見極め、臨機応変に対応していかなければならない。それは正に人生の縮図であり、そこに人の本性が現れる。と、いうのは、僕はマージャンが苦手だからだ。

義務教育的なパターン化された教育は、試験問題には強くても実践的な能力にはつながらない。知識がいくら豊富でも、例えば数学の公式を全て覚えていても使い方が分からなければ役に立たない。逆に公式を知らなくても答えを導き出す方法が有る。それは結果に対するアプローチの違いであり、実社会で重要なのはアプローチの仕方ではなく、結果が全てだという事だ。保育園や義務教育の方法を非難したいのではなく、指示通りに学び、パターン化された問題を解くのが得意な人が居る一方で、型にとらわれない柔軟な発想を持つ人も居るのだから、全てが同じ教育方法では能力を発揮しきれない人も居るという事で、そこをどうフォローし、個人の能力を最大限引き出してやれるかが問題だということだ。

その1つがマージャン大会なんだけど、保育園児が「ツモ。」「あー、ハコったぁ。」とか言ってると、すぐにクレームが付くだろうね。

 

カリキュラム 2004年10月2日(土)

次女が来年4才になるので、そろそろ保育園の入園の準備をしなければいけない。ウチの近くの保育園は大層人気の保育園らしく、朝から並ばないと入園願書すら手に入らない。人気の理由は多彩なカリキュラムによるもので、僕も長女が通っている時に見て凄いなーと思ったものの、奥さんから「本当に良いのかな」と言われて改めて考えることとなった。

高度な演劇や演奏を披露する学芸会。運動会でも難しい合奏や組体操など多彩で、年長になると英会話やパソコンも学ぶ。そこが父兄にウケる要因だ。今の時代、英語もPCも必須。だから子供のうちから慣れ親しんでおいた方が安心。素晴らしい演奏や体操をする我が子を誇らしげに思う。と、いった所だろうけど、果たしてそれが本当に子供の為なのかどうかだ。結局それは親が望むものであり、子供達が望むものでは無いんじゃないか。天気の良い日は外で思いきり自由に遊びたいのに、やりたくもない演奏の練習をみっちりやらされて、ストレスを感じている子供も少なくない。

僕はそういうのが全ていけないとは思っていないが、かといってやりたくない事を親の為に無理強いする事も良いとは思わない。そもそも何が一番良くないかといえば、それら一見素晴らしいと思われるカリキュラムは全て大人が組んだ物で、子供達は大人に言われるがままに行動し、それが出来れば褒められて、出来なければダメと言われ、つまり大人が望む事を大人が望む様にする事が一番良い事だと無意識のうちに刷り込まれてしまう事だ。英語やPCは確かに重要な要素かもしれない。だけど、それらは自らが興味を持てば特別難しい事ではなく、必ずしも3、4才から始めなければいけない物でもなく、「これからの事を考慮して組まれたカリキュラム」をこなすことは結局自主性を損ないかねず、大人の指示が無ければ何も出来ず、絶えず大人の顔色を伺いながら過ごす様になってしまう。

ぎっしりと綿密に組まれたカリキュラムを消化するのが精一杯で、その中で柔軟な発想とか、発想の転換とか、機転とか、そういう能力が養われる事は無く、何かを自らの力で探し出し、成し遂げていくという能力が欠如していく。真に考える能力が損なわれていく。アイデアやアイデンティティは、そのカリキュラムからは生まれてはこなくて、子供にフタをしてしまっている気がしてならない。

 

僕と彼女と特別編 2004年10月1日(金)

今更ながらなんだけど、「僕と彼女と彼女の生きる道」を見ている。以前やってたドラマの再放送で、僕はリアルタイムでは後半部分しか見ていなかったんだけど、それでも話の筋は分かったし、面白かったし、感動して泣いたし、もう僕の中では済んだ過去の事だったんだけど、奥さんがご丁寧に夕方やってる再放送をビデオに録画して、「撮ったけど見る?」と聞くものだから、奥さんに「見る?」と聞かれて「見ねーよ」なんて答えられる旦那などこの世には存在しない訳で、僕は残業で疲れきって今にも閉じそうな瞼にセロテープを張りながら見てみたら、思わずのめり込んでしまって、相変わらず単純です。

しかし、ひっでーなー。草剪じゃなくて、小柳って最悪だなー。と、思いつつも、草剪の行動が全く理解出来ない訳でもない。仕事は仕事である。そこには責任も付きまとう訳で、家庭の事情を持ち込むのはタブーという風潮はいまだに根強く残っているし、不景気で再就職も困難な今、あまりに身勝手な行動もそうそう出来ないだろう。あそこまで酷くないにしても、似たような状況の家庭は結構有りそうな気がする。逃げた女房の「もし子供が居なかったらって考えてしまう。」というのも分からなくも無い。現状に特別不満がある訳ではなく、子供が居なくなって欲しいという訳でもないけれど、もし、仮にもしもという話で、子供が居なかったら、結婚していなかったら、今頃どうしていただろう、という事は、妻帯者なら誰しも1度くらいは考えた事が有るんじゃないだろうか。

もしも、と考え出したらキリがないし、考えた所で何も変わらないんだけど、でも、結局僕は奥さんと結婚した事で変わり、子供が生まれた事で変わってきた。それらの過程が無ければ今の僕にはなり得ないし、それは多分とてもつまらない人間だったと思う。少なくとも僕は、僕の子供を愛してる。その強く、温かく、雄大な感情は、子供が居なければ知り得ない事だ。

色々考えさせてくれるこのドラマは良いと思うけど、先日の特別編、アレはないだろ。

 

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